168話:食料価格暴落
セレンスキー王国の冬は厳しかった。
戦争は続いている。
街道は破壊された。
橋は落とされた。
畑は焼かれた。
徴発された農民は帰らない。
残された老人と女たちだけでは耕作が追いつかない。
各地の市場では悲鳴が上がっていた。
「小麦一袋が銀貨八枚だ!」
「先月は三枚だったぞ!」
「買えねぇ!」
「子供に食わせる飯がない!」
人々は怒鳴り合う。
だが怒鳴ったところで食料は増えない。
商人たちも苦しい。
仕入れがない。
輸送路がない。
護衛を雇えば利益が消える。
市場は少しずつ死んでいた。
国王は理解していた。
このままなら。
戦争で負ける前に。
国民が飢える。
そんな空気が王都を覆っていた。
しかし。
その空気が変わったのは突然だった。
空だった。
ある日の朝。
見張り台の兵士が空を見上げる。
「なんだ……あれは」
黒い点。
一つではない。
十。
百。
千。
万。
無数。
空を埋める飛行部隊だった。
風属性魔法。
飛行魔法。
レビテーション。
巨大輸送箱。
アルカディア連邦の飛行物流隊。
彼らは止まらない。
次々と王都へ降り立つ。
そして。
荷を下ろし始めた。
小麦。
米。
豆。
芋。
塩。
保存肉。
干物。
薬。
毛布。
種子。
農具。
市場関係者は言葉を失った。
「いったい……どれだけ持ってきた?」
誰も答えられない。
数が多すぎた。
倉庫が埋まる。
広場が埋まる。
城壁内が埋まる。
それでも飛行隊は降りてくる。
昼。
夕方。
夜。
翌朝。
まだ来る。
三日後。
市場価格が崩壊した。
小麦一袋。
銀貨八枚。
銀貨六枚。
銀貨四枚。
銀貨三枚。
銀貨二枚。
銀貨一枚。
人々は信じられなかった。
「安い……」
「買える……」
「本当に買える……」
老人が泣いた。
母親が泣いた。
子供が笑った。
久しぶりだった。
満腹になるのは。
市場に活気が戻る。
食堂に客が戻る。
職人が働き始める。
人は腹が減っていては働けない。
これは戦争支援ではなかった。
国家再生だった。
王城。
セレンスキー国王は報告書を見つめていた。
「食料価格」
「平均六十八パーセント下落」
宰相が震える。
「前代未聞です」
国王は静かに頷いた。
「そうだな」
「我々は援軍を期待していた」
「だが来たのは農民だった」
「教師だった」
「治癒師だった」
「商人だった」
国王は窓の外を見る。
広場では子供たちがパンを食べている。
たったそれだけの光景。
それだけで国は救われる。
一方。
ブーチン帝国では逆の現象が起きていた。
帝都。
兵站局。
役人達が顔を青くしていた。
「兵糧価格が上がっています」
「どの程度だ」
「三倍です」
空気が凍った。
三倍。
異常だった。
帝国は巨大である。
人口も多い。
兵士も多い。
だからこそ。
物流が止まれば壊れる。
セレンスキー王国侵攻。
長期戦。
兵士数千万。
その維持には莫大な食料が必要だった。
さらに。
アルカディア連邦が参戦している。
武力ではない。
市場に。
物流に。
商売に。
参戦している。
トミーが送り込んだ商人たちは優秀だった。
彼らは価格を読む。
需要を読む。
在庫を読む。
市場を読む。
そして。
帝国周辺国家から食料を買い集めた。
合法的に。
徹底的に。
結果。
帝国が買うはずだった食料が消えた。
市場から。
倉庫から。
港から。
消えた。
帝国兵站局長が机を叩く。
「買え!」
「どんな値段でも買え!」
しかし買えない。
売る側がいない。
商人たちは知っていた。
帝国は負け始めている。
ならば。
支払い能力が高いアルカディアへ売る。
当然だった。
利益になる方へ流れる。
それが市場だ。
そして。
最前線。
帝国兵士達は異変に気づいていた。
「飯が減ったな」
黒パン。
半分。
翌週。
さらに半分。
肉が消える。
豆が消える。
塩が減る。
兵士たちは不満を漏らし始めた。
「勝ってるんじゃなかったのか?」
「聞いてねぇぞ」
「補給はどうした」
誰も答えられない。
上官も同じものを食べている。
補給が来ない。
馬が痩せる。
兵士が痩せる。
士気が落ちる。
その頃。
アルカディア中央会議場。
セリナが報告書を閉じた。
「予測通りです」
マーガレットが笑う。
「市場は正直ね」
トミーも笑った。
「食料は嘘をつかねぇ」
会議室が静かになる。
誰も戦争の話をしていない。
誰も戦術の話をしていない。
話題は物流。
農業。
市場。
教育。
治癒。
それだけだった。
ケルナインは窓の外を見る。
遠く。
広大な農地。
収穫を続ける人々。
教師たち。
農民たち。
治癒師たち。
彼は何も命令しない。
必要ない。
人材が育っている。
環境が人を育てる。
それがアルカディアの答えだった。
そして今。
その答えが戦場を変え始めていた。
剣ではない。
槍でもない。
食料だった。
兵糧だった。
物流だった。
飢える軍は戦えない。
食べられる国は立ち上がる。
セレンスキー王国の市場では歓声が響く。
ブーチン帝国の兵営では不満が広がる。
戦争の天秤は。
静かに。
確実に。
動き始めていた。




