164話:トミー分析
アルカディア中央議会。
巨大な会議室には、世界地図が広げられていた。
先日のセリナによる国家構造分析に続き、本日は経済分析の日である。
議長席にはエレノア。
周囲にはセリナ、ロバート、マーガレット、各地の行政官、そしてセレンスキー王国の使者たちが並んでいた。
その中央に立っているのは一人の狐獣人。
トミーだった。
かつては要領よく生きるだけの男。
強い側につき、損を避ける。
そんな男だった。
しかし今は違う。
人口九億人を抱える世界最大級の経済圏。
アルカディア連邦。
その物流と商業を支える最高責任者である。
トミーは笑った。
「さて」
「今日は帝国の財布の中身を見ようか」
会議室に笑いが起こる。
緊張が少しだけ和らいだ。
しかし。
トミーの目は笑っていなかった。
空中に巨大な数字が投影される。
商売スキル。
在庫。
流通。
相場。
原価。
その全てを把握する彼だからこそ見える数字だった。
最初に映し出されたのは食料価格。
会議室がざわつく。
「高い……」
セレンスキー王国使者が息を呑む。
小麦。
肉。
野菜。
油。
塩。
すべてが高騰していた。
トミーは頷く。
「そうだ」
「異常な高騰だ」
空中の数字が次々と変化する。
三年前。
二年前。
一年前。
現在。
全て右肩上がりだった。
「帝国は戦争してる」
トミーが言う。
「戦争は金がかかる」
誰もが理解していた。
兵士。
武器。
防具。
輸送。
補給。
莫大な金が必要になる。
しかし。
それだけではなかった。
トミーは地図を指差した。
「問題はここだ」
赤く光る地域。
帝国西部。
現在の主戦場。
「農地が死んでる」
静寂。
トミーは続ける。
「農民が兵士になった」
「畑を耕す人間がいなくなった」
「収穫量が落ちた」
「供給が減った」
「価格が上がった」
会議室の行政官たちが頷く。
当たり前の理屈だった。
しかし。
巨大国家ほどその影響は大きい。
セリナも口を開いた。
「教育不足も影響しています」
「農業技術が更新されていません」
「生産性が低いままです」
トミーは指を鳴らす。
次の数字。
食料輸送量。
これも悲惨だった。
「物流が死んでる」
その一言で説明が終わるほどだった。
帝国は広い。
広すぎる。
世界最大の国土。
それが逆に首を絞めていた。
道路は老朽化。
橋は崩落。
輸送隊は盗賊被害。
地方行政は腐敗。
結果。
物が届かない。
食料はある。
しかし届かない。
倉庫には余る。
市場には無い。
だから価格が上がる。
トミーは笑った。
「商人が一番嫌う状況だな」
マーガレットも頷いた。
「ええ」
「最悪です」
彼女は立ち上がる。
赤髪が揺れた。
「商人は利益を求めます」
「安全も求めます」
「安定も求めます」
「帝国にはそれがありません」
新たな数字が映し出される。
商人流出数。
職人流出数。
教師流出数。
治癒師流出数。
全て増加していた。
行き先は一つ。
アルカディア。
会議室が静かになる。
トミーが笑う。
「人が逃げてる」
「それも優秀な奴からな」
その言葉は重かった。
国家は人材で成り立つ。
優秀な人間ほど逃げる。
残るのは逃げられない人間。
するとさらに国力が落ちる。
悪循環だった。
セレンスキー使者が言う。
「では帝国経済は崩壊するのですか」
トミーは首を振る。
「いや」
「そんな簡単じゃねぇ」
会議室が驚く。
トミーは続けた。
「帝国はまだ大国だ」
「資源もある」
「人口も多い」
「軍もある」
「すぐには死なねぇ」
それは事実だった。
相手は世界最大国家。
腐っても大国。
簡単には倒れない。
だからこそ。
トミーは次の数字を映した。
物価上昇率。
会議室が息を呑む。
急激な上昇。
それも毎年。
毎年。
毎年。
止まらない。
「これが本命だ」
トミーの声が低くなる。
「民衆はな」
「王様のために生きてるんじゃねぇ」
「家族のために生きてる」
誰も言葉を挟まない。
「パンが買えない」
「肉が買えない」
「薬が買えない」
「服が買えない」
「子供を育てられない」
「そうなるとどうなると思う?」
沈黙。
トミーは自分で答えた。
「怒るんだ」
その一言は重かった。
ロバートが腕を組む。
「軍隊じゃ止められねぇ怒りか」
「その通り」
トミーは頷く。
「飢えは怖ぇ」
「病も怖ぇ」
「貧困も怖ぇ」
「でもな」
「一番怖いのは希望が消えることだ」
会議室が静まり返る。
アルカディアは逆だった。
食料充足率一五〇〇%以上。
治療院完備。
教育完備。
物流完備。
教師七億五千万人以上。
教導スキル覚醒者七億人以上。
誰もが学び。
誰もが働き。
誰もが成長できる。
だから人が集まる。
だから人口が増える。
だから国が強くなる。
トミーは巨大地図を見た。
帝国。
そしてアルカディア。
二つの国。
違いは単純だった。
片方は人を消耗品として扱う。
片方は人を育てる。
トミーは言う。
「帝国はな」
「民から搾り取る」
「アルカディアは民を育てる」
「その差だ」
エレノアが目を閉じる。
長い人生だった。
多くの国家を見た。
多くの王を見た。
しかし。
ここまで明確な差は初めてだった。
トミーが最後の資料を映した。
人口推移。
アルカディア。
上昇。
上昇。
上昇。
上昇。
九億人突破。
一方。
帝国。
停滞。
減少。
減少。
減少。
会議室に沈黙が落ちる。
トミーは肩をすくめた。
「商人から見れば簡単だ」
「人が集まる国は強ぇ」
「人が逃げる国は弱ぇ」
「それだけだ」
セリナが頷く。
「国家構造の分析結果とも一致します」
「教育」
「物流」
「医療」
「商業」
「全てが連動しています」
ロバートが笑った。
「剣より厄介だな」
「当たり前だろ」
トミーも笑う。
「剣は人を殺す」
「経済は国を生かす」
その言葉に。
会議室の全員が頷いた。
窓の外。
巨大な都市の灯りが広がっている。
工房。
学校。
農場。
治療院。
市場。
紡織工場。
全てが稼働していた。
人が働き。
人が学び。
人が育つ。
環境が人を育てる。
その理念が形になった国家。
アルカディア連邦。
そして今。
ブーチン帝国の最大の敵は軍ではなかった。
剣でもなかった。
魔法でもなかった。
教育された民。
健康な民。
働ける民。
学べる民。
希望を持つ民。
それこそが帝国には無い最大の資源だった。
トミーは最後に笑った。
「戦争?」
「そんなもん必要ねぇよ」
「俺たちは商売するだけだ」
「勝手に差が開く」
会議室は静かだった。
誰も反論できない。
数字が。
現実が。
その結論を証明していたからだ。




