157話:七つの大農業圏
かつて。
飢えは当たり前だった。
干ばつが来れば人が死んだ。
病が流行れば村が消えた。
盗賊に襲われれば畑は焼かれた。
豊作は神頼み。
凶作も神頼み。
それが世界の常識だった。
だが今。
アルカディア連邦では、その常識そのものが消え去ろうとしていた。
中央会議場。
巨大な円卓の中央に立体地図が浮かぶ。
ソートグラフィーによる映像だ。
そこに映し出されているのは、連邦全土を覆う巨大な七つの色分けされた地域。
セリナが説明を始めた。
「七大農業圏整備計画」
「最終段階が完了しました」
会議場が静まる。
ケルナインは黙って地図を見ていた。
七つの農業圏。
北部平原農業圏。
東部灌漑農業圏。
南部温暖農業圏。
西部畜産農業圏。
中央穀倉農業圏。
旧ジョンウン農業圏。
旧キンペイ開拓農業圏。
それぞれが国家一つ分を超える規模を持っている。
「総農地面積」
「前年比三百二十パーセント増加」
「食料生産量」
「前年比二百八十パーセント増加」
「食料充足率」
「千五百七十パーセント」
会議場がざわめいた。
千五百パーセント。
もはや数字の意味が分からない。
飢餓など存在しない。
それどころか余り続けている。
◇
成功の理由は明確だった。
巨大灌漑。
魔法農業。
飛行物流。
氷冷蔵庫。
教育。
人材。
その全てが噛み合った。
◇
北部平原農業圏。
見渡す限り畑だった。
地平線まで続く麦。
巨大な水路。
無数の農村。
水属性魔法使いたちが巨大灌漑設備を管理している。
空中には飛行物流便が行き交う。
風属性魔法。
レビテーション。
飛行魔法。
かつて何日もかかった輸送が数時間で終わる。
距離は消えた。
◇
東部灌漑農業圏。
土属性と水属性の専門家が集まる地域。
巨大貯水池。
巨大運河。
巨大用水路。
ドワーフ職人たちが整備した施設は百年先まで使える強度を持っていた。
ガイルが建設責任者として視察している。
「いい出来だ」
土の壁を叩く。
びくともしない。
石壁。
防水処理。
排水設備。
全てが完成している。
かつて冒険者だった男は今や世界最大級の農業インフラ建設責任者になっていた。
◇
中央穀倉農業圏。
マイケルが学校を視察していた。
農業教師。
治癒教師。
土木教師。
商業教師。
常駐教師数十万人。
「教師が足りない時代は終わりました」
若い教師が笑う。
マイケルも笑った。
昔は違った。
教える人がいなかった。
だから成長できなかった。
今は違う。
教師がいる。
学べる。
成長できる。
環境が整っている。
だから才能が開花する。
◇
農業学校では十歳の子供たちが魔法を学んでいた。
「ウォーターコントロール」
水が動く。
「ソイルコントロール」
土が整う。
「ピュリフィケーション」
病原菌が除去される。
当たり前のように行われる。
昔なら王宮魔導士しか使えなかった技術。
今は子供でも扱う。
教育が変えた。
◇
旧キンペイ開拓農業圏。
ここは最も成長が激しい地域だった。
元難民。
元農民。
元兵士。
元職人。
様々な人々が集まっている。
そこに飢えはない。
病も少ない。
学べる。
働ける。
未来がある。
だから人が集まる。
人口は増え続けていた。
◇
農業だけではない。
紡織産業も爆発的に成長していた。
巨大紡績都市。
巨大織布工場。
巨大染色工房。
そこで中心となっていたのは三人のエルフだった。
リーザ。
リーブ。
リーゼ。
かつては小さな工房の職人だった。
今は違う。
連邦最大の紡織産業責任者である。
◇
リーザは織布工場を歩く。
無数の織機。
無数の職人。
無数の布。
生産量は昔の何万倍。
それでも需要が尽きない。
人口六億。
服が必要。
寝具が必要。
カーテンが必要。
布はいくらあっても足りない。
「品質を落とさないでください」
リーザが指示する。
職人たちが頷く。
◇
リーブは原料管理を担当していた。
麻。
綿。
羊毛。
魔物繊維。
大量の原材料が集まる。
物流網がある。
飛行便がある。
だから足りなくならない。
トミーが整備した物流網は今や世界の血管だった。
◇
リーゼは教育担当。
紡織教師を育成している。
教導スキル。
教育理論。
実技訓練。
新しい教師が育つ。
その教師がまた教師を育てる。
循環は止まらない。
◇
「昔は考えられなかったですね」
リーゼが呟く。
リーザも笑った。
本当にそうだった。
昔は食うだけで精一杯。
今は違う。
技術を教える余裕がある。
文化を作る余裕がある。
未来を考える余裕がある。
◇
中央都市。
マーガレットが報告書を見ていた。
数字が並ぶ。
農業。
工業。
商業。
全て右肩上がり。
「人口六億一千万人突破」
「食料充足率千五百七十パーセント」
「教師数五億五千万人」
「教導スキル覚醒者五億人突破」
マーガレットは苦笑した。
もはや国ではない。
文明そのものだった。
◇
その夜。
エミリーは高台から夜景を見ていた。
風が吹く。
空には無数の光。
飛行便。
輸送便。
旅客便。
教師便。
医療便。
絶え間なく飛んでいる。
昔は空を飛べる者など英雄だった。
今は違う。
誰もが飛ぶ。
誰もが学ぶ。
誰もが成長する。
それが当たり前になった。
エミリーは静かに目を細めた。
思い出す。
あの頃を。
貧困村。
飢え。
病。
盗賊。
恐怖。
未来なんてなかった。
自分一人では守れなかった。
だから強くなろうとした。
必死だった。
だが限界だった。
そこへケルナインが来た。
戦ったわけではない。
命令したわけでもない。
教えただけだった。
学び方を。
考え方を。
生き方を。
そして村人たちが変わった。
人が育った。
環境が育てた。
その結果が今だった。
◇
空を見上げる。
子供たちが飛んでいる。
夜間学校帰りだ。
楽しそうに笑っている。
未来に不安などない顔。
エミリーは小さく笑った。
「本当に変わったな」
かつて守るだけだった少女は。
今や六億人国家の将軍になっていた。
だが本当に凄いのは自分ではない。
環境だ。
教育だ。
人材だ。
育てる仕組みだ。
◇
遠くで鐘が鳴る。
新しい農業都市完成の合図だった。
また一つ。
また一つ。
連邦は成長する。
食料は増える。
人材は育つ。
未来は広がる。
七つの大農業圏。
農業革命。
それはついに完成した。
そして連邦人口は六億人を超えた。
飢餓の時代は終わった。
人材が人材を育てる時代が始まっていた。




