156話:崩れる帝国
アルカディア連邦中央会議場。
巨大な円卓の周囲には連邦を支える者たちが集まっていた。
エミリー。
セリナ。
ロバート。
トミー。
マーガレット。
マイケル。
そして多くの領主や教師たち。
窓の外では空を飛ぶ人々が絶えない。
物流便。
教師便。
医療便。
農業便。
飛行が当たり前になった世界は、もはや距離という概念を過去のものにしていた。
会議室の中央には巨大な地図が浮かんでいる。
ソートグラフィー。
念写技術による立体地図だった。
そこに映るのはキンペイ帝国。
かつて世界最大を誇った巨大国家。
しかし今、その色は急速に薄くなっていた。
「最新報告です」
セリナが口を開く。
静かな声だった。
だが内容は凄まじい。
「キンペイ帝国人口。一億九千八百万人」
会議室が静まり返る。
数年前。
五億人を超えていた超大国。
それが今では二億人を割っていた。
「本当にそこまで減ったのか?」
領主の一人が信じられないという顔をする。
セリナは頷いた。
「確認済みです」
「農村部の消滅が始まっています」
「主要都市も人口流出が止まりません」
「職人層の流出率は六十パーセント」
「医師は七十パーセント以上」
「教師は八十パーセント以上」
「農業従事者は半数以下」
誰も言葉を失った。
国家を支える人材。
その全てが流出している。
◇
原因は単純だった。
アルカディア連邦が存在するから。
風魔法放送。
遠隔透視。
念話通信。
飛行移動。
転移網。
世界中へ情報が届く。
隠せない。
誤魔化せない。
民衆は知ってしまった。
アルカディアでは食える。
病が治る。
学べる。
努力が報われる。
子供が未来を持てる。
だから移動する。
それだけだった。
◇
キンペイ帝国。
北方地方。
かつて穀倉地帯と呼ばれた農村。
今は静まり返っていた。
畑は荒れている。
水路は壊れている。
家々は空。
老人だけが残る。
若者はいない。
子供もいない。
皆アルカディアへ行った。
教師になった。
農場長になった。
治癒師になった。
技術者になった。
未来を求めて去っていった。
◇
帝都。
皇帝は怒鳴っていた。
「徴兵しろ!」
「兵を集めろ!」
将軍たちは沈黙する。
集まらない。
人がいない。
徴兵官が頭を下げる。
「陛下……志願者は百三十七人です」
「何だと!?」
皇帝が机を叩く。
かつてなら十万人。
二十万人。
簡単に集まった。
今は百人。
それだけ。
若者がいない。
皆逃げた。
◇
別の将軍が報告する。
「第三軍団」
「第四軍団」
「第七軍団」
「兵士の亡命が続いております」
「何人だ」
「三十万人です」
会議室が凍り付く。
兵士すら逃げる。
理由は簡単だった。
アルカディアへ行けば食える。
家族を養える。
学べる。
病が治る。
死ぬまで搾取されない。
だから逃げる。
◇
さらに深刻だったのは税収だった。
税収激減。
人口流出。
商人流出。
職人流出。
生産力低下。
農業崩壊。
悪循環。
税を上げる。
人が逃げる。
さらに税を上げる。
もっと逃げる。
もう止まらない。
◇
同じ頃。
アルカディア連邦。
旧キンペイ開拓区。
何千万もの移民が到着していた。
広大な農地。
巨大な学校。
無数の工房。
治療院。
住宅。
飛行港。
人が溢れている。
「次はこちらです!」
「学校は向こう!」
「農場勤務希望者はこちら!」
教師たちが案内する。
混乱はない。
理由は単純。
教師がいる。
教育がある。
秩序がある。
◇
マイケルが新設学校を視察していた。
生徒数十万人。
教師数万人。
授業は順調だった。
農業。
医療。
建築。
商業。
戦闘。
魔法。
超能力。
全て教える。
全て学べる。
かつて教育を受けられなかった者たちが。
今度は教師になっている。
環境が人を育てる。
その循環は止まらない。
◇
トミーも忙しかった。
物流網は拡張を続ける。
「第八飛行港完成!」
「第九十七物流都市完成!」
「倉庫増設完了!」
狐獣人の男は笑っていた。
かつての行商人。
今は世界最大物流網の責任者。
人生は変わる。
環境で変わる。
トミー自身がその証明だった。
◇
マーガレットは会議資料を眺める。
資金。
投資。
生産。
輸送。
人口。
全てが増加している。
「人口五億二千万人突破」
報告を聞いた彼女は息を吐いた。
「本当に五億を超えたのね」
かつて存在しなかった規模。
それでも食料不足はない。
食料充足率一二〇〇パーセント。
農業革命。
魔法農業。
飛行物流。
教育。
全てが噛み合っている。
◇
夕方。
ロバートが軍事会議に呼ばれていた。
巨大な地図を眺める。
そこには敵国の配置が表示されている。
しかし。
戦争はない。
侵攻もない。
決戦もない。
戦場すら存在しない。
ロバートは腕を組んだ。
周囲が待つ。
そして一言。
「勝ったな」
沈黙。
誰も反論できない。
勝っている。
明らかに。
敵国は崩壊中。
人口減少。
税収崩壊。
徴兵失敗。
農業崩壊。
産業崩壊。
教育崩壊。
医療崩壊。
全部起きている。
ロバートは苦笑した。
「戦争してねぇけどな」
会議室に笑いが広がった。
本当にその通りだった。
剣を振っていない。
槍も使っていない。
城も落としていない。
それでも勝っている。
◇
なぜ勝ったのか。
理由は一つ。
環境。
それだけだった。
人は幸せな場所へ行く。
学べる場所へ行く。
未来のある場所へ行く。
それを止める方法はない。
◇
夜。
中央都市。
ケルナインは高台から街を見下ろしていた。
五億人の国家。
無数の灯り。
無数の笑顔。
無数の学校。
無数の農場。
無数の未来。
その光景を見ながら。
何も言わない。
元々彼は英雄ではない。
王でもない。
支配者でもない。
ただ人を育てた。
教育を作った。
環境を作った。
それだけだった。
そして今。
その環境が国家を育てている。
人材が人材を育てる。
教師が教師を育てる。
治癒師が治癒師を育てる。
農場長が農場長を育てる。
循環は止まらない。
◇
その頃。
キンペイ帝国では。
また一つの村が消えた。
また一つの工房が閉じた。
また一人の教師が国境を越えた。
また一人の兵士が亡命した。
誰も剣を振っていない。
誰も城を攻めていない。
それでも帝国は崩れていく。
ゆっくり。
確実に。
止めようのない流れの中で。
アルカディア連邦人口。
五億二千万人。
キンペイ帝国人口。
一億九千八百万人。
戦争は起きていない。
それでも勝敗は誰の目にも明らかだった。




