155話:アルカディアの空
朝。
エミリーは空を飛んでいた。
風が頬を撫でる。
眼下にはどこまでも続く農地。
黄金色の穂。
巨大な果樹園。
整備された運河。
新しく作られた都市。
そして空を飛ぶ無数の人々。
かつて盗賊に襲われるだけだった小さな村。
あの頃の面影はどこにもない。
今のアルカディア連邦は人口三億五千万人。
世界最大の国家になっていた。
エミリーは静かに息を吐く。
「本当に変わったわね……」
誰に聞かせるでもない言葉だった。
◇
十年以上前。
エミリーは弱かった。
剣は使えた。
戦うこともできた。
村を守ろうという気持ちもあった。
だが守れなかった。
盗賊。
奴隷商。
傭兵崩れ。
村を襲う悪党たち。
何度も戦った。
何度も傷ついた。
何度も仲間を失った。
力が足りなかった。
知識も足りなかった。
人も足りなかった。
だから守れなかった。
その頃の自分を思い出す。
悔しさだけは今でも忘れていない。
◇
そんな彼女の視界を。
子供たちが横切った。
「急げ急げ!」
「授業に遅れるぞ!」
「今日は飛行訓練の日だ!」
笑いながら飛んでいく。
十歳ほどの子供たち。
全員が空を飛んでいる。
風属性。
レビテーション。
身体強化。
魔力循環。
今では当たり前の技術。
昔なら英雄候補だった。
今では小学生でも使える。
エミリーは自然と笑った。
「気を付けて行くのよ」
「はーい!」
元気な返事が返ってくる。
◇
子供たちが向かう先。
巨大な学校。
校舎だけで百棟以上。
生徒数五十万人。
教師数十万人。
それでも満員ではない。
アルカディア連邦には同じような学校が無数に存在している。
教師数三億人。
教導スキル保持者二億五千万人。
もはや教育そのものが国家の基盤だった。
◇
エミリーは校庭へ降り立つ。
そこで授業をしている男がいた。
ルーク。
元難民。
今は教師。
十年前。
彼は痩せ細っていた。
食べ物がなかった。
家もなかった。
文字も読めなかった。
魔法も使えなかった。
未来もなかった。
そんな男が今では教師だった。
「農業革命が起きた理由を説明できる人はいますか?」
生徒たちが一斉に手を上げる。
授業は活気に満ちていた。
ルークは笑っている。
堂々としている。
自信に満ちている。
エミリーは少し胸が熱くなった。
才能があったからではない。
環境があったからだ。
学ぶ場所があった。
教える人がいた。
だから育った。
それだけだった。
◇
学校を出る。
次に向かったのは巨大農場。
旧キンペイ開拓区。
見渡す限り農地だった。
元々は荒地。
誰も住まない土地。
それが今では数千万人を養っている。
農場の中央。
指揮を執る男がいた。
ガレス。
元奴隷。
今は農場長。
数百万人の農業従事者をまとめる責任者。
「エミリー様」
「調子はどう?」
「最高です」
ガレスは笑う。
誇らしげだった。
昔の怯えた目はない。
今の彼には自信がある。
責任がある。
仲間がいる。
未来がある。
「今年の収穫量は?」
「昨年比二百二十パーセントです」
「すごいわね」
「皆が優秀なんです」
違う。
エミリーは思う。
皆が優秀になったのだ。
育ったのだ。
環境によって。
◇
さらに移動する。
今度は治療都市。
アルカディア最大級の医療施設。
そこにも知っている顔がいた。
ミリア。
元孤児。
今は治癒師。
幼い頃の彼女はいつも泣いていた。
親はいない。
食べ物もない。
病気ばかりだった。
明日を生きることすら難しかった。
その少女が。
今では数万人を救う治癒師になっている。
「次の患者さんどうぞ」
光属性魔法。
ヒーリング。
浄化。
再生。
患者の表情が明るくなる。
病が消える。
傷が治る。
絶望が希望に変わる。
その光景を見ながら。
エミリーは改めて思った。
人は育つ。
本当に育つのだ。
◇
夕方。
エミリーは中央都市へ戻った。
そこではトミーが忙しそうに走り回っていた。
物流再編。
新都市建設。
新農地整備。
移住者受け入れ。
仕事は山ほどある。
「在庫は足りてる!」
「食料も余裕!」
「次の移住者五百万人受け入れや!」
周囲が走る。
商人。
役人。
教師。
農民。
全員が動いている。
トミーも変わった。
昔は調子の良い商人だった。
今では国家物流を支える責任者。
人は変わる。
環境が変えた。
◇
マーガレットもいた。
巨大な会議室。
投資計画を確認している。
商会の規模は国家級。
いや。
既に国家を超えている。
「学校建設を増やしましょう」
「医療都市も追加するわ」
「来年の人口増加は予想以上よ」
赤髪の美女は迷わない。
商売人として成功しただけではない。
人材へ投資する意味を理解している。
そして。
隣では幼い子供が眠っていた。
トミーとの子供。
新しい世代。
アルカディアで生まれた子供。
飢えを知らない。
奴隷制度を知らない。
学べない苦しみを知らない。
それは幸せなことだった。
◇
夜。
エミリーは再び空へ上がった。
アルカディアの夜景。
光が地平線まで続いている。
学校。
病院。
工房。
農地。
都市。
全てが輝いている。
その空を。
さらに多くの人々が飛んでいた。
仕事帰りの教師。
夜間学校へ向かう学生。
治療院へ急ぐ治癒師。
物流を担う商人。
誰もが空を飛ぶ。
誰もが学ぶ。
誰もが働く。
それが普通だった。
◇
その頃。
キンペイ帝国。
人口三億人以上。
まだ巨大国家だった。
しかし毎月人が減る。
毎月人が逃げる。
風魔法放送は止まらない。
アルカディアの現実を伝え続けている。
食べられる。
学べる。
病が治る。
努力が報われる。
それは嘘ではない。
現実だった。
だから人は動く。
未来へ向かって。
◇
エミリーは夜空を見上げた。
そして静かに笑った。
昔の自分は思っていた。
強い者だけが生き残る。
力こそ全てだと。
違った。
本当に大切だったのは環境だった。
学べる場所。
働ける場所。
挑戦できる場所。
失敗しても立ち上がれる場所。
そんな環境があれば。
難民は教師になる。
奴隷は農場長になる。
孤児は治癒師になる。
そして。
育った人材が次の人材を育てる。
循環はもう止まらない。
アルカディア連邦とは国家ではない。
人材を育て続ける巨大な循環そのものだった。
夜空を飛ぶ子供たちを見ながら。
エミリーは静かに呟く。
「未来は、きっともっと良くなるわね」
アルカディアの空は。
今日も多くの人々を乗せて。
未来へ向かって広がり続けていた。




