147話 希望の風
連合圏軍本部。
巨大な地図の前でロバートが腕を組んでいた。
赤い印が並んでいる。
解放済み奴隷拠点。
百二十八あった施設のうち。
既に九十拠点が解放されていた。
残り三十八。
部屋にはエミリー、セリナ、ソフィア、カタリナ、リーヴ、ティグリス、ミシェルら主要幹部が集まっている。
ロバートが口を開いた。
「残り三十八拠点か」
誰も油断していない。
ここまで来たからこそ慎重だった。
ミシェルが索敵報告を読み上げる。
「現在確認できている奴隷施設は残り三十八です」
「新たな施設は?」
ロバートが尋ねる。
ミシェルは首を横に振った。
「今のところ確認されていません」
静かな空気が流れた。
セリナが地図を見つめる。
「つまり」
「奴隷制度そのものが崩壊し始めている」
ロバートは頷いた。
「そうだな」
「奴隷商どもも逃げ始めてる」
エミリーが鼻を鳴らす。
「当然だ」
「連合圏に見つかったら終わりだからな」
ティグリスも笑う。
「逃げ足だけは速い」
皆が笑った。
しかし。
ロバートの表情は真剣だった。
「奴隷だけじゃない」
「一般の民も救う」
その言葉に全員が頷く。
連合圏は奴隷だけを助ける組織ではない。
苦しむ民を救うために存在している。
その日の午後。
連合圏史上最大の作戦が始まった。
風魔法放送。
数十万人の風属性魔法使い。
数十万人の念話能力者。
数十万人の索敵教師。
それら全てを連結した巨大通信網。
空に魔法陣が浮かぶ。
連合圏全域。
キンペイ帝国領。
周辺諸国。
あらゆる場所へ声が届けられた。
最初に聞こえたのはマイケルの声だった。
優しく。
穏やかな声。
「聞こえますか」
「皆さん」
「連合圏です」
農村。
鉱山。
街道。
漁村。
都市。
多くの民が顔を上げた。
突然空から声が聞こえたのだ。
「皆さんは見捨てられていません」
「助けを求めてください」
「私達は救援に向かいます」
「食料があります」
「薬があります」
「教師がいます」
「治療師がいます」
「皆さんは一人ではありません」
静まり返る。
そして。
泣き出す者が現れた。
老人だった。
長年重税に苦しんだ男。
「助けてくれるのか……」
声が震える。
母親が泣いていた。
腕の中には痩せた子供。
「本当に……?」
少女も泣いていた。
病で家族を失った。
希望など忘れていた。
その全てに。
空から声が届く。
「必ず行きます」
「生きてください」
風は世界を駆け抜けた。
その頃。
中央教育区。
貴族達は聖女エルナの授業を受けていた。
教室には百名を超える若い貴族達。
皆真剣だった。
エルナは少し緊張していた。
元々は弱い少女だった。
争いも苦手だった。
それでも今は違う。
教導スキル。
聖女スキル。
治療技術。
教育技術。
連合圏最高峰の教師の一人になっていた。
「それでは」
「魔力循環を意識してください」
貴族達が目を閉じる。
魔力が流れる。
光が生まれる。
治癒魔法の基礎。
本来なら神官だけが使う技術だった。
しかし。
連合圏では違う。
理解できれば誰でも使える。
教育があるからだ。
突然。
一人の少女の手が光った。
「え?」
少女が驚く。
淡い緑色の光。
ヒール。
基本治癒魔法だった。
「成功です」
エルナが微笑む。
周囲が拍手した。
だが。
それで終わらなかった。
別の青年。
別の令嬢。
次々に覚醒していく。
ヒール。
ハイヒール。
エリアヒール。
エクストラヒール。
さらに。
超能力ヒーリング。
ウォーターヒール。
治癒能力が爆発的に広がっていく。
貴族達は混乱していた。
「どうして……」
「私、神官じゃないのに」
「それも上位神官の魔法まで」
一人の伯爵令嬢が呟く。
エルナは優しく答えた。
「才能は最初からあったんです」
「知らなかっただけ」
教室が静まり返る。
その言葉は。
連合圏の全てを表していた。
才能が無かったのではない。
教育が無かっただけ。
それだけだった。
夕方。
連合圏北部。
巨大な転移門が開く。
次の瞬間。
歓声が響いた。
狩猟部隊が帰還したのだ。
空を埋め尽くす飛行部隊。
風属性魔法。
飛行魔法。
巨大なマジックバッグ。
そして。
山のような魔石。
二十万体。
二十万体の魔物討伐。
前代未聞だった。
ピーターが報告書を見て絶句する。
「は?」
「二十万?」
何度見ても変わらない。
二十万。
二十万だった。
隣のマーガレットが肩を震わせている。
次の瞬間。
大爆笑した。
「あははははは!」
「終わった!」
「魔石問題終わった!」
ピーターも笑い始める。
「終わった!」
「完全に終わった!」
二人は抱き合って喜んだ。
周囲の商人達も歓声を上げる。
魔石不足。
唯一と言っていい問題だった。
魔道具。
照明。
冷蔵庫。
転移門。
通信網。
飛行装置。
全てに魔石が必要だった。
それが一気に解決した。
トミーが計算している。
そして。
笑顔になった。
「十年は持つ」
「いや」
「もっとかもしれない」
物流担当達も歓喜した。
夜。
中央広場。
巨大な宴会が始まっていた。
魔物肉。
大量の野菜。
香辛料。
酒。
調味料。
全てが並ぶ。
ピーターが叫ぶ。
「皆聞け!」
全員が振り返る。
彼は拳を突き上げた。
「魔石問題は解決した!」
歓声。
地響きのような歓声。
続いてマーガレットが叫ぶ。
「今日は祝いだ!」
「今夜は皆で焼肉だー!」
爆発的な歓声が上がった。
巨大な鉄板。
巨大な串焼き。
巨大な鍋。
農夫。
教師。
兵士。
商人。
鍛冶師。
紡織師。
建築職人。
子供達。
老人達。
全員が笑っていた。
ロバートも肉を頬張る。
エミリーが笑う。
「美味いな」
「美味い」
ティグリスが山盛り食べる。
ソフィアは肉を三十枚ほど積んでいた。
カタリナも負けていない。
ガイルは酒を飲んでいる。
ドワーフ達が歌い始める。
エルフ達が笑う。
獣人達が踊る。
魔族達も肩を組む。
誰も差別しない。
誰も見下さない。
皆が同じ食卓にいる。
アリアは少し離れた場所から眺めていた。
そして。
涙を流した。
「本当に……」
百年以上生きてきた。
戦争も見た。
飢餓も見た。
奴隷制度も見た。
差別も見た。
だが。
こんな光景は初めてだった。
そこへケルナインがやってくる。
相変わらず目立たない。
ただの旅人のようだった。
アリアが笑う。
「あなた」
「とんでもないものを作ったわね」
ケルナインは首を振った。
「違う」
「皆が作ったんだ」
それだけ言う。
本当にそう思っていた。
自分は教えただけ。
歩いたのは皆だ。
戦ったのは皆だ。
育ったのは皆だ。
だから。
この文明は連合圏のものだった。
空には星が輝いている。
人口四百七十万人。
教導スキル覚醒者四百万人。
教師三百五十万人。
そして。
残る奴隷拠点は三十八。
終わりは近い。
キンペイ帝国の支配も終わる。
希望はもう止まらない。
風魔法放送によって届けられた声は。
今も世界中へ広がり続けていた。
「助けは来る」
「未来は変えられる」
その言葉を信じながら。
数え切れない民が空を見上げていた。




