144話 貴族2
ロバートは地図を見つめていた。
巨大な机の上には、キンペイ帝国全土の地図が広げられている。
赤い印。
それが潰した奴隷収容所だった。
一つ。
二つ。
三つ。
そして五十。
五十もの収容所が消えている。
普通の国家なら戦争史に残る大戦果だった。
だがロバートの顔は晴れない。
「まだ足りないな」
静かに呟く。
隣にはティグリス。
リーヴ。
ソフィア。
カタリナ。
ガイル。
リリー。
ミシェル。
各軍団長が集まっていた。
誰も軽口を叩かない。
ロバートが考えていることを理解していた。
助けた人数。
増えた人口。
それは確かに素晴らしい。
だが。
助けられなかった人間もいる。
その事実は消えない。
ロバートは地図のさらに奥を見た。
「十拠点ごとに止まって保護している」
「はい」
ミシェルが答える。
索敵教師である彼女は最も正確な情報を持つ。
「現在は十拠点攻略ごとに輸送」
「保護」
「教育開始」
「生活基盤整備」
「食糧供給」
「医療支援」
ロバートは頷く。
それは正しい。
間違いなく正しい。
しかし。
正しいから最善とは限らない。
「もし」
ロバートが言う。
「二十拠点ごとならどうだ」
部屋が静かになる。
セリナならどう答えるだろう。
トミーならどう計算するだろう。
そんなことを考えながら続けた。
「俺達は足を止める」
「保護は必要だ」
「教育も必要だ」
「だが」
そこで言葉を切る。
皆が続きを待った。
「その間にも奴隷は死ぬ」
誰も反論しない。
全員知っていた。
収容所の現実を。
飢え。
病。
虐待。
強制労働。
一日遅れれば死ぬ者もいる。
一週間遅れれば何百人も死ぬ。
一か月遅れれば数千人が消える。
ロバートは拳を握る。
「俺達は戦うしか出来ない」
「教育は出来ない」
「行政も出来ない」
「商売も出来ない」
「農業も出来ない」
事実だった。
ロバートは将軍だ。
戦う男だ。
トミーではない。
セリナでもない。
ケルナインでもない。
だが。
だからこそ思う。
「連合圏は大丈夫だ」
その言葉に全員が顔を上げた。
「俺達には優秀な仲間がいる」
「二十拠点潰しても受け入れられるんじゃないか」
沈黙。
そして。
最初に口を開いたのはエミリーだった。
狼獣人。
将軍スキル覚醒者。
連合圏の象徴の一人。
「賛成」
即答だった。
「助けられるなら助けたい」
「それだけだ」
リーヴも頷く。
「賛成です」
「戦える人間は戦うべきです」
ティグリスも腕を組む。
「私も賛成だ」
「早く潰せるならその方がいい」
続いて。
ソフィア。
「賛成」
カタリナ。
「当然賛成」
ガイル。
「俺もだ」
リリー。
「反対する理由がありません」
ミシェル。
「索敵面でも問題ありません」
全員一致だった。
ロバートは少し笑う。
やはり。
連合圏らしい。
誰一人として楽な方を選ばない。
誰一人として見捨てる方を選ばない。
「よし」
ロバートは立ち上がる。
「次から二十拠点」
「攻略速度を上げる」
全員が頷いた。
作戦は決まった。
その頃。
連合圏中央教育区。
若い貴族達が到着していた。
百人。
伯爵家。
子爵家。
男爵家。
騎士爵家。
次男。
三男。
四男。
二女。
三女。
四女。
家を継げない者達。
それでも。
未来を諦めなかった若者達。
セリナは高台から彼らを見ていた。
正直に言えば。
少しだけ警戒していた。
貴族には貴族の常識がある。
平民を見下す者。
亜人を嫌う者。
家柄を誇る者。
そういう人間を何人も見てきた。
しかし。
到着した若者達を見て。
セリナは安心する。
「なるほど」
小さく笑う。
エレノア侯爵が推薦した理由が分かった。
一人の少年が荷物を運んでいる。
自分より年上の平民の老人を手伝っていた。
別の少女は子供達と話している。
種族を気にしない。
獣人。
エルフ。
ドワーフ。
魔族。
普通に会話している。
一人の男爵家三男が汗だくになっていた。
理由は簡単。
荷馬車の車輪が壊れたので修理を手伝っていたからだ。
誰も命令していない。
自分から動いている。
セリナは目を細める。
「差別しない」
「傲慢にならない」
「努力する」
「負けん気が強い」
エレノアの評価そのままだった。
その時。
若い伯爵家次男が話しかけてきた。
「セリナ様」
「何かしら」
少年は緊張していた。
だが目は真っ直ぐだった。
「お願いがあります」
「聞きましょう」
「私達にも教師をやらせてください」
セリナが少し驚く。
「教師?」
「はい」
少年は答える。
「ここへ来る途中」
「色々見ました」
遠くを見る。
「読み書きが出来ない人」
「算術が出来ない人」
「魔法を使えない人」
「僕達は恵まれていました」
「だから」
拳を握る。
「今度は教える側になりたいんです」
周囲の若者達も頷いていた。
セリナは理解する。
なるほど。
これは確かに。
連合圏向きだ。
「良いでしょう」
少年達の顔が明るくなる。
セリナは続けた。
「ただし」
「最初は生徒です」
「教師になるには学ばなければなりません」
「連合圏では家柄は関係ありません」
「実力です」
若者達は笑った。
「望むところです」
その返事に。
セリナも笑う。
強い。
まだ未熟だ。
経験も少ない。
しかし。
伸びる。
環境があれば。
確実に育つ。
それが分かった。
夕方。
広場。
子供達が走り回っている。
エルフの教師が授業をしている。
ドワーフが建築を教えている。
獣人が狩りを教えている。
魔族が戦術を教えている。
人種も。
身分も。
関係ない。
学ぶ者と教える者。
それだけだった。
若い貴族達はその光景を見ていた。
伯爵家の娘が呟く。
「凄いですね」
隣の騎士爵家三男も頷く。
「本当に」
「誰も威張ってない」
「誰も怯えてない」
「誰も諦めてない」
それが連合圏だった。
貧困村から始まった共同体。
飢えた人間が集まり。
病人が集まり。
追放された者が集まり。
奴隷だった者が集まり。
育った。
学んだ。
強くなった。
人口二百五十万人。
食料充足率千二百パーセント。
教師二百万人。
教導スキル覚醒者二百三十万人。
兵士二百万人。
だが。
連合圏の本当の強さは数字ではない。
人だった。
学ぶ人。
教える人。
助ける人。
助けられた人。
その循環だった。
高台で。
ケルナインは静かにその様子を見ていた。
何も言わない。
指示もしない。
必要ない。
もう皆が理解している。
環境が人を育てる。
そして。
育った人が。
次の環境を作る。
連合圏はその段階に入っていた。
だからこそ。
さらに大きくなる。
さらに多くを救う。
そしてロバート達は次の二十拠点へ向かう。
救われるのを待つ人々のために。
連合圏は止まらない。
流れ始めたものは。
もう誰にも止められなかった。




