119話 薬品研究
研究施設建設から三か月。
アルナ連合の中心部に建設された巨大研究施設は、今日も夜遅くまで明かりが消えなかった。
農業研究棟。
紡織研究棟。
金属研究棟。
魔法研究棟。
そして今、最も人が集まっている場所。
薬品研究棟だった。
かつて貧困村だったアルナ村の人々は知っている。
本当に恐ろしい敵は何か。
盗賊か。
奴隷商か。
魔物か。
違う。
病だ。
病は誰でも殺す。
老人も。
子供も。
働き手も。
善人も。
悪人も。
区別しない。
だから恐ろしい。
そして昔の村には治療法が無かった。
薬も無かった。
知識も無かった。
ただ祈るだけだった。
だが今は違う。
研究できる。
学べる。
改善できる。
それがアルナ連合だった。
研究棟三階。
巨大な会議室。
長机を囲むのは研究者たち。
リーン。
マイケル。
エルナ。
薬師。
治癒師。
教師。
数百人が集まっていた。
壁には大量の資料。
各村から集まった病気の記録。
発症率。
治癒率。
死亡率。
季節ごとの変化。
膨大な情報だった。
「始めましょう」
リーンが立ち上がる。
以前の彼女なら考えられなかった。
ただ薬草を集めるだけの薬師。
それが今では研究棟責任者だ。
環境が人を育てる。
その象徴だった。
「本日の議題は三つ」
「感染症対策」
「外傷治療薬」
「保存薬品の改良」
研究員たちが頷く。
皆が真剣だった。
命がかかっているからだ。
まず報告したのはマイケルだった。
「各村の感染症発生率です」
魔法で映像が浮かぶ。
ソートグラフィー。
研究資料が空中に投影される。
会場から感嘆の声が漏れた。
何度見ても便利だった。
「春に増加」
「夏に拡大」
「秋に減少」
「冬は安定」
マイケルは説明を続ける。
弱かった少年。
泣き虫だった少年。
今は違う。
六万人の教師を束ねる一角になっていた。
「原因は水質」
「衛生環境」
「食料保存」
「この三つが大きいです」
全員が真剣に聞く。
感覚ではない。
経験でもない。
数字。
記録。
研究。
だから説得力があった。
エルナが静かに手を挙げる。
「なら予防が最優先ですね」
「その通りです」
マイケルは頷いた。
「治療より予防」
「病人を治すより病人を出さない」
研究員たちが頷く。
これも教育だった。
昔なら理解されなかった。
今は違う。
皆が学んでいる。
昼。
薬品実験室。
大量の薬草。
鉱石。
乾燥した樹皮。
蒸留器。
精製器。
棚には数百種類の試作品。
リーンは薬液を見つめていた。
青色。
透明。
新型消毒薬。
ピュリフィケーションと薬学を組み合わせた成果だった。
「試験開始」
研究員たちが動く。
汚染された器具。
汚染された布。
病原菌が付着した素材。
一つずつ処理する。
結果は明確だった。
浄化率九十八パーセント。
室内がざわつく。
高い。
異常なほど高い。
リーンが息を吐いた。
「成功ね」
周囲から歓声が上がる。
薬師たちが抱き合う。
泣いている者もいた。
それだけ価値がある。
この薬があれば。
子供が死なない。
老人が死なない。
村が滅ばない。
研究とは未来を守ることだった。
夕方。
別室。
今度は外傷治療薬。
冒険者。
農民。
兵士。
多くの人が怪我をする。
傷口が腐る。
感染する。
それが死につながる。
エルナが薬を塗る。
被験体は訓練で傷を負った戦士。
もちろん軽傷だ。
治療魔法も待機している。
安全は確保されていた。
薬を塗る。
数時間後。
傷の治りが明らかに早い。
研究員たちが記録する。
比較。
分析。
改善。
繰り返す。
研究施設の強みだった。
その頃。
地下研究室。
ガイル。
ベルン。
ドワーフたち。
鍛冶師たちが別の研究を行っていた。
薬品容器だ。
保存技術。
薬が完成しても腐れば意味がない。
割れれば意味がない。
運べなければ意味がない。
そこで研究されているのは密閉容器。
保存瓶。
蒸留設備。
物流設備だった。
「もっと軽くできる」
ベルンが言う。
「強度も必要だ」
ガイルが答える。
職人たちは真剣だった。
薬品研究は薬師だけの仕事ではない。
農業。
鍛冶。
物流。
教育。
全てが繋がっている。
アルナ連合はそれを理解していた。
夜。
研究施設中央会議室。
全研究班が集まる。
成果報告。
農業班。
紡織班。
金属班。
薬品班。
次々と成果が発表される。
そして最後。
リーンが立ち上がった。
「薬品研究班の成果を報告します」
静寂。
全員が注目する。
「感染症発生率」
「三十七パーセント減少」
会場がざわめく。
大きい。
非常に大きい。
「死亡率」
「四十二パーセント減少」
今度は歓声が上がった。
拍手。
拍手。
拍手。
止まらない。
エルナが涙を浮かべる。
マイケルも笑っていた。
努力が実った。
研究が結果になった。
その時。
会議室後方。
ケルナインが静かに資料を見ていた。
何も言わない。
指示もしない。
研究を行ったのは彼ではない。
成果を出したのも彼ではない。
人材が育ったのだ。
環境が育てたのだ。
それが何より嬉しかった。
研究棟の窓から夜景が見える。
八万五千人を超える人々。
豊かな畑。
巨大な倉庫。
紡織工房。
学校。
治療院。
研究施設。
全てが昔は存在しなかった。
貧困村だった。
病に怯え。
飢えに苦しみ。
盗賊に襲われていた。
その村はもう無い。
今あるのは学ぶ国家だった。
薬品研究は始まりに過ぎない。
病を克服する。
寿命を延ばす。
子供を守る。
人を育てる。
研究施設の灯は今日も消えない。
未来を照らすために。




