119.5話 治療院拡張
朝日がアルナ村の大地を照らしていた。
研究施設の建設が進み、農業研究所では新品種の開発が始まり、薬品研究所では薬師たちが病と向き合い続けている。
村は確実に豊かになっていた。
かつて飢えに苦しんでいた貧困村の姿はもうない。
食料充足率は五〇〇%を超え、各地から移住者が集まり続けている。
それでも。
問題が消えたわけではなかった。
むしろ新たな問題が生まれていた。
「患者が増えています」
治療院の会議室。
エルナが書類を机に並べた。
マイケル。
リーン。
セリナ。
そしてケルナインが席についている。
「増えてる?」
マイケルが首を傾げる。
エルナは頷いた。
「病人が増えたわけではありません」
「なら?」
「人口です」
全員が納得した。
現在。
アルナ村を中心とした六つの自立村には八万五千人以上が暮らしている。
当然。
人が増えれば怪我人も増える。
病人も増える。
出産も増える。
老人も増える。
事故も増える。
治療院の仕事量は急増していた。
「今の規模じゃ足りねぇな」
ロバートが腕を組む。
「足りません」
エルナは即答した。
「治療師は育っています」
「薬もあります」
「でも施設が足りません」
ケルナインは静かに資料を見る。
数字が並んでいる。
患者数。
診療数。
病床数。
回復率。
すべてが記録されていた。
「建てよう」
短い言葉だった。
エルナが微笑む。
「そう言うと思いました」
ケルナインは立ち上がる。
「治療院を拡張する」
「それだけじゃない」
「教育施設も併設する」
「治療師を育てる場所も作る」
マイケルの目が大きくなった。
「学校ですか?」
「そうだ」
「医療は人材だ」
「建物じゃない」
その言葉に全員が頷いた。
環境が人を育てる。
それがケルナインの思想だった。
翌日。
建設が始まった。
ガイルとベルンが現場を指揮する。
「基礎からやるぞ!」
「急げ急げ!」
土属性魔法が発動する。
アースウォール。
ストーンウォール。
巨大な石壁が次々と形成されていく。
石材を切り出す必要すらない。
村の職人たちはすでに高い技術を持っていた。
ティグリスが土魔法を展開する。
巨大な石柱が持ち上がる。
「この位置でいいか?」
「完璧です!」
建築班が歓声を上げた。
リーヴは風魔法で資材を運ぶ。
荷車より早い。
人力より正確。
効率は昔の何倍にもなっていた。
ケルナインは現場に立たない。
指示もしない。
すでに必要ないからだ。
皆が考え。
皆が判断する。
自律。
それこそが目標だった。
昼。
建設現場へエミリーがやってきた。
狼耳を揺らしながら施設を見上げる。
「でかいな」
「かなり」
セリナが頷く。
「病室だけで百以上」
「手術室」
「薬品保管庫」
「研究室」
「教育棟」
「宿泊施設」
「全部作る予定です」
エミリーは感心したように笑う。
「昔なら考えられねぇな」
本当にそうだった。
数年前。
この土地は飢えと病に苦しんでいた。
薬はない。
治療師もいない。
病気になれば死ぬ。
怪我をすれば死ぬ。
出産ですら命懸けだった。
今は違う。
人が育った。
だから未来が変わった。
数日後。
治療院第一棟が完成する。
真っ白な石造りの建物だった。
光属性魔法による浄化機能も備えている。
病原菌の侵入を抑える構造だ。
リーンが感動した顔を見せる。
「綺麗……」
「薬品庫も完璧だ」
マイケルが笑う。
内部には薬草保管室も作られていた。
温度管理。
湿度管理。
すべて整っている。
薬草の品質は格段に向上する。
研究効率も上がる。
その頃。
薬品研究所では新たな成果が出ていた。
「完成しました」
リーンが試験管を掲げる。
「これは?」
マイケルが尋ねる。
「解熱薬です」
部屋が静まる。
解熱薬。
この世界では高価だった。
貴族しか使えない。
それが常識だった。
「量産できます」
リーンは続ける。
「薬草の配合を見直しました」
「蒸留技術も利用しています」
グランが誇らしげに胸を張る。
「発酵も応用したぞ」
「薬も酒も根っこは同じだ」
ドワーフたちが笑った。
研究成果はすぐに治療院へ送られる。
村人たちは喜んだ。
病気が治る。
安く手に入る。
それだけで人生が変わる。
ある日。
一人の老人が治療院へやってきた。
他村から来た農民だった。
足を悪くしている。
昔なら見捨てられていた。
金がないからだ。
エルナは優しく手を握った。
「大丈夫ですよ」
光が溢れる。
ヒール。
痛みが消えていく。
老人は涙を流した。
「助かるのか……」
「もちろんです」
エルナは微笑んだ。
その光景を見ていた若い治療師たちが息を呑む。
技術だけではない。
心もまた教育されていた。
それがこの治療院だった。
さらに半年後。
第二棟。
第三棟。
教育棟。
研究棟。
次々と完成する。
治療師養成学校も開校した。
教師はマイケル。
エルナ。
リーン。
そして数百人の教導スキル保持者。
生徒は毎年増え続けた。
村の子供。
移住者。
元奴隷。
元難民。
出自は関係ない。
学べば育つ。
それがケルナインの結論だった。
そしてある日の夕暮れ。
完成した治療院群を見ながらエルナが呟く。
「本当に変わりましたね」
ケルナインは静かに頷く。
「人が育ったからだ」
「施設じゃない」
「魔法でもない」
「人だ」
夕日が建物を赤く染める。
治療院には患者が訪れる。
治療師が働く。
教師が学びを伝える。
子供たちが夢を持つ。
環境が人を育てる。
そして育った人が環境を変える。
その循環は止まらない。
かつて病と貧困に苦しんだ土地は。
今や希望を育てる土地へ変わろうとしていた。




