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滅びかけた貧困村から始まった教育革命が、やがて世界文明そのものを変えるまでの物語  作者: 慈架太子


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116話 魔女寝返り

夜だった。


東部村落連合の中心地、アルナ村。


昼間まで賑わっていた広場も静まり返り、遠くで見張りの鐘が鳴るだけだった。


救出部隊はすでに出発している。


ロバート率いる戦闘部隊。


エミリー率いる索敵部隊。


ティグリス、リーヴ、ソフィア、カタリナ。


選び抜かれた精鋭たちは、敵国の収容施設へ向かっていた。


その頃。


石造りの建物の一室。


そこにアリアはいた。


かつて「魔女」と呼ばれた女。


数日前まで敵だった女。


今は拘束を解かれ、机の前に座っていた。


逃げられない。


逃げるつもりもない。


目の前には一人の男。


ケルナイン。


旅人。


教師。


国家を作った男。


英雄ではない。


人を育てる男だった。


静かな部屋だった。


先に口を開いたのはアリアだった。


「不思議ですね」


ケルナインは黙って聞く。


「私を殺さないんですね」


「殺す理由がない」


即答だった。


アリアは苦笑した。


「ありますよ」


「私は敵国に協力しました」


「多くの人を傷つけました」


「奴隷制度にも関わりました」


「人体実験にも関わりました」


「私は魔女です」


ケルナインは否定しない。


肯定もしない。


ただ事実として受け止める。


その態度が。


アリアには痛かった。


怒鳴られる方が楽だった。


責められる方が楽だった。


だがこの男は違う。


事実を見る。


感情で判断しない。


それが恐ろしい。


しばらく沈黙が続く。


やがてケルナインが言った。


「研究者だったんだろう」


アリアが顔を上げた。


驚きが浮かぶ。


「どうして」


「鑑定した」


それだけだった。


アリアは小さく笑った。


「本当に便利ですね」


ケルナインは答えない。


アリアは窓の外を見る。


夜空には星があった。


遠い昔を思い出す。


まだ若かった頃。


王都の研究院。


病気を治したかった。


飢餓をなくしたかった。


貧困村を救いたかった。


それが始まりだった。


「私は」


アリアはゆっくり語り始める。


「病を治したかったんです」


「子供の頃に村で疫病が流行りました」


「父も母も死にました」


「村も半分消えました」


「だから研究者になったんです」


ケルナインは黙って聞く。


「病をなくしたかった」


「飢餓をなくしたかった」


「貧困をなくしたかった」


「それだけだったんです」


その声は震えていた。


「でも王国は研究に金を出しませんでした」


「軍事」


「貴族」


「権力争い」


「そんなものばかり」


「病気の研究なんて誰も興味がなかった」


アリアは拳を握る。


「私は何度も研究費を申請しました」


「何度も断られました」


「何十回も」


「何百回も」


「結果は同じでした」


彼女は笑う。


乾いた笑いだった。


「そこへ敵国が来たんです」


「研究施設を与える」


「資金を出す」


「人材も出す」


「好きなだけ研究しろ」


「そう言われました」


ケルナインは静かに聞く。


アリアは続けた。


「嬉しかったんです」


「本当に」


「ようやく研究できる」


「ようやく病気を治せる」


「ようやく人を救える」


そう思った。


本気だった。


一切の嘘はない。


最初は。


本当に善意だった。


「最初の数年は良かったんです」


「成果も出ました」


「治療法も見つかりました」


「農業革命にも貢献しました」


「痩せた土地でも育つ作物」


「病害虫対策」


「食料生産」


「全部うまくいった」


アリアの目に涙が浮かぶ。


「でも」


その声は掠れていた。


「気付いた時には遅かった」


研究成果は別の用途へ使われていた。


病気を防ぐ薬。


奴隷を長時間働かせる薬になった。


農業技術。


軍隊への食糧供給になった。


人体強化技術。


兵士改造へ使われた。


治療技術。


拷問の効率化に利用された。


「私は」


「私は知らなかった」


「最初は」


「本当に知らなかった」


声が震える。


「気付いた時には逃げられなかった」


仲間は消えた。


師匠も消えた。


研究員も消えた。


逆らった者は全員消えた。


そしてアリアも。


監視される側になった。


「私は」


「怖かった」


初めて本音だった。


魔女。


敵国最強の研究者。


そう呼ばれた女。


その正体は。


ただ怯えていた。


一人の研究者だった。


沈黙。


長い沈黙。


やがてアリアは言った。


「私は魔女じゃありません」


涙が落ちる。


「ただの研究者でした」


「間違えた研究者でした」


ケルナインはしばらく黙っていた。


慰めない。


優しい言葉もない。


そして一言だけ言う。


「間違えたんだな」


アリアは泣いた。


声を上げず。


ただ涙だけ流した。


「はい」


「間違えました」


何年ぶりだろう。


誰かの前で本当のことを言ったのは。


ケルナインは続ける。


「なら次は間違えるな」


それだけだった。


責めない。


許さない。


ただ前を見る。


それがケルナインだった。


アリアは涙を拭いた。


そして立ち上がる。


目が変わっていた。


研究者の目だった。


「分かりました」


「全部話します」


その後。


会議室にセリナ。


ミシェル。


トミー。


エレノア侯爵。


主要人物が集められた。


机の上に地図が広がる。


アリアはペンを取った。


一本。


また一本。


印を付けていく。


会議室が静まり返る。


「ここが収容所」


「ここが研究施設」


「ここが奴隷市場」


「ここが軍需工場」


「ここが秘密倉庫」


「ここが兵站基地」


「ここが幹部施設」


印は増え続ける。


止まらない。


セリナの顔色が変わる。


「……嘘」


ミシェルも息を飲む。


「こんなにあるの?」


アリアは頷く。


「あります」


「もっとあります」


さらに印が増える。


三十。


五十。


八十。


百。


誰も言葉を失った。


敵国の内部構造。


全てが見えていく。


アリアは最後に一か所を指差した。


「ここです」


最重要施設。


巨大収容所。


奴隷十万人。


研究員三千人。


軍隊二万人。


敵国の中核。


セリナが呟く。


「怪物ね……」


アリアは首を振った。


「違います」


「怪物じゃない」


「人間です」


だから危険なのだ。


欲望。


恐怖。


権力。


それで動いている。


だから止まらない。


アリアは深呼吸した。


そして頭を下げる。


深く。


深く。


誰よりも。


「お願いします」


「全部壊してください」


「もう二度と」


「同じ被害者を作らないために」


会議室は静まり返った。


その時。


遠く離れた救出部隊へ念話が飛ぶ。


ミシェルの超能力。


テレパシー。


ロバートが受信する。


「情報更新」


「敵施設特定」


「作戦第二段階へ移行」


ロバートは笑った。


「了解だ」


エミリーが牙を見せる。


ソフィアが斧槍を担ぐ。


カタリナが笑う。


ティグリスが拳を鳴らす。


リーヴが索敵を広げる。


彼らは知らない。


この瞬間。


敵国最大級の機密が。


東部村落連合の手に渡ったことを。


魔女は。


もう敵ではない。


研究者アリアは。


自分の意思で立った。


環境に利用された女が。


今度は自分の意思で未来を選ぶ。


それこそが。


ケルナインの作った環境だった。


環境が人を育てる。


その証明が。


また一つ増えたのである。







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