115話 救出作戦
中央会議場の空気は重かった。
アリアがもたらした真実。
百年以上続いていた人材収奪。
教師。
職人。
研究者。
治癒師。
農業技術者。
数え切れない才能が敵国へ奪われていた。
そして。
まだ終わっていなかった。
「生存者がいる可能性が高い」
セリナの言葉が会議室に響く。
誰も喋らない。
机の上には巨大な地図が広げられていた。
敵国キンペイ帝国。
その東部。
黒鉄鉱山。
巨大収容施設。
推定収容人数数万人。
奴隷労働施設。
索敵部隊が掴んだ情報だった。
ミシェルが静かに説明する。
「遠隔透視で確認しました」
「施設は巨大です」
「警備兵は多数」
「奴隷も多数」
「研究施設らしき建物も存在します」
会議室の空気がさらに重くなる。
アリアは地図を見つめていた。
顔色が悪い。
その様子を見たエルナが心配そうに尋ねる。
「アリアさん……」
アリアは少しだけ目を閉じた。
「いるかもしれない」
小さな声だった。
「私の師匠が」
誰も言葉を返せなかった。
かつて王都最高峰の研究者。
奴隷制度反対派。
突然失踪した学者。
今なら理由が分かる。
連れ去られたのだ。
知識を持っていたから。
研究できたから。
教えられたから。
国家にとって価値があったから。
その瞬間だった。
椅子が激しく鳴った。
立ち上がったのはティグリスだった。
虎獣人の戦士。
強靭な腕。
鋭い眼光。
彼女は拳を握り締めていた。
「行く」
一言だった。
全員が彼女を見る。
ティグリスは続けた。
「助けに行く」
セリナが即座に返す。
「まだ場所が確定したわけじゃない」
「罠の可能性も高い」
「敵国領よ」
「簡単な話じゃない」
ティグリスは睨み返した。
「知るか」
低い声だった。
「収容所だろ」
「奴隷だろ」
「助ける以外に何がある」
会議室が静まり返る。
誰も軽々しく口を挟めない。
ティグリスの過去を知っているからだ。
故郷を襲われた。
仲間を奪われた。
奴隷商に人生を壊された。
目の前の話は他人事ではない。
その時。
静かに立ち上がった者がいた。
リーヴだった。
狼獣人の戦士。
かつて奴隷商の襲撃で村を失った女。
彼女はティグリスの隣へ立つ。
「私も行く」
迷いはなかった。
セリナが息を吐く。
「感情論だけで動くつもり?」
リーヴは首を振った。
「違う」
「私は知ってる」
静かな声だった。
「助けが来ない絶望を」
会議室が沈黙する。
リーヴは続けた。
「誰も来ない」
「誰も助けてくれない」
「そんな場所がある」
「だから行く」
ティグリスが頷く。
ロバートも黙って聞いていた。
そして立ち上がる。
「俺も行く」
魔族の大剣士。
将軍スキル覚醒者。
東部村落連合軍の中心人物。
「俺達が行かなきゃ誰が行く」
その一言で空気が変わった。
ソフィアが笑う。
「当然ね」
鬼人の戦士が立ち上がる。
「収容所なんて気に入らない」
カタリナも笑う。
「久しぶりに暴れられそうだ」
「暴れるな」
セリナが即座に返した。
少しだけ笑いが起きる。
だが緊張は消えない。
問題はそこではない。
敵国領だ。
戦争になりかねない。
セリナは地図を叩く。
「正面突破は禁止」
「戦争になる」
「目的は救出」
「殲滅じゃない」
ロバートが頷く。
「分かってる」
トミーが手を上げた。
「なら商隊偽装だな」
全員が見る。
狐獣人はニヤリと笑った。
「物流は俺の仕事だ」
「潜入なら任せろ」
「荷馬車」
「偽装商人」
「偽装護衛」
「全部作れる」
セリナが頷く。
「悪くない」
ミシェルも続ける。
「索敵班が先行」
「位置確認」
「念聴」
「透視」
「遠隔透視」
「内部構造を把握する」
会議は少しずつ形になっていく。
その時だった。
ずっと黙っていたケルナインが口を開いた。
全員が視線を向ける。
彼は滅多に会議へ介入しない。
だからこそ重い。
ケルナインは静かに言った。
「行くべきだ」
全員が驚いた。
エミリーですら目を見開く。
ケルナインが自らそう言うのは珍しい。
彼は戦えと言わない。
命令しない。
選ばせる。
それがいつもの姿だった。
だからこそ。
今の言葉には重みがあった。
ケルナインは地図を見る。
「教師がいる」
静かな声。
「研究者がいる」
「職人がいる」
「治癒師がいる」
「農業技術者がいる」
誰も喋らない。
ケルナインは続けた。
「助ける価値がある」
短い言葉。
だが十分だった。
そして。
もう一言だけ続ける。
「人材は資源じゃない」
会議室が静まる。
「国家そのものだ」
全員が理解した。
東部村落連合は何で強くなったのか。
軍事か。
違う。
魔法か。
違う。
人材だ。
教師が育てた。
職人が育てた。
研究者が育てた。
農民が育てた。
人が人を育てた。
だから強くなった。
アリアの肩が震える。
気付けば涙が流れていた。
誰にも見せたことのない涙だった。
研究者として。
学者として。
知識を守りたかった。
仲間を守りたかった。
それが今ようやく言葉になった。
「師匠がいるかもしれない」
震える声だった。
「仲間がいるかもしれない」
エルナが優しく肩へ手を置く。
アリアは涙を拭った。
そして立ち上がる。
「私も行きます」
誰も反対しなかった。
当然だった。
そのための作戦なのだから。
やがて救出部隊が編成される。
総指揮。
エミリー。
副指揮。
ロバート。
ティグリス。
索敵。
ミシェル。
セリナ。
潜入。
リーヴ。
戦闘。
ソフィア。
カタリナ。
治療。
マイケル。
エルナ。
調査。
アリア。
物流偽装。
トミー。
全員が精鋭。
全員が教育を受けた者達。
そして。
全員が誰かを育てる教師でもあった。
出発の日。
八万五千人の住民が見送っていた。
かつて貧困村だった土地。
病に苦しみ。
飢えに苦しみ。
未来を失っていた土地。
今は違う。
学校がある。
畑がある。
紡織工房がある。
治療院がある。
未来がある。
ティグリスは戦斧を肩に担ぐ。
その目には決意が宿っていた。
「今度は助ける側だ」
隣でリーヴが頷く。
「ああ」
「取り返そう」
奪われた人達を。
奪われた未来を。
奪われた知識を。
アリアは遠く敵国の方角を見る。
かつて失われた仲間達。
今も生きているなら。
必ず連れて帰る。
その決意を胸に。
救出部隊は出発した。
百年奪われ続けた人材。
教師。
研究者。
職人。
未来。
それを取り戻すための戦いが、今始まる。




