113話 研究者だった
朝日が東部村落連合の大地を照らしていた。
広大な農地。
果てしなく続く小麦畑。
整備された灌漑水路。
風に揺れる綿花畑。
紡織工房からは朝早くから機織りの音が響く。
かつては病と貧困に苦しんだ土地だった。
盗賊に怯え。
奴隷商に子供を奪われ。
飢えに震えていた土地。
今では違う。
農業革命。
教育革命。
医療革命。
そして人材革命。
東部村落連合は国家へと成長していた。
その中心にいる男。
ケルナイン。
彼は今日も執務室の窓から街を見下ろしていた。
その背後では一人の女性が本を読んでいる。
魔女アリアだった。
昨日まで牢に入っていた女。
しかし今は違う。
敵ではないことが証明された。
危険人物でもない。
だから拘束は解かれていた。
それでも周囲は警戒している。
アリアが強すぎるからだ。
セリナが机に資料を並べる。
「一つ確認したいことがあるわ」
アリアは本から目を離した。
「何?」
「あなたは何者なの?」
単純な問いだった。
昨日は語られなかった部分。
魔女。
弟子。
それは分かった。
だがそれだけではない。
セリナは感じていた。
この女は異常だ。
知識量が違う。
見てきた世界が違う。
経験が違う。
アリアは少し考えた。
そして答える。
「研究者」
全員が黙る。
セリナが聞き返した。
「研究者?」
「そう」
アリアは頷く。
「私は研究者だった」
窓から外を見る。
遠くに学校が見えた。
子供達が朝から勉強している。
教師達が歩いている。
その姿を見ながらアリアは語り始めた。
「私は戦士じゃない」
「政治家でもない」
「商人でもない」
「研究者」
「知識を集める人間」
その言葉にマイケルが反応する。
「先生みたいなものですか?」
「近いわね」
アリアは微笑む。
「でも少し違う」
「私は世界を調べていた」
世界を。
その言葉に全員が顔を上げた。
「何を調べていたの?」
エミリーが尋ねる。
アリアは迷わず答えた。
「人」
静寂。
「人?」
「そう」
アリアは立ち上がる。
机の上の紙を手に取った。
農地の生産量。
教師数。
人口。
出生率。
病気発生率。
物流量。
全ての数字。
「私はずっと研究していた」
「なぜ国は滅びるのか」
「なぜ村は貧しいのか」
「なぜ人は育たないのか」
「なぜ戦争が終わらないのか」
それは学問だった。
戦闘ではない。
政治でもない。
知識。
観察。
記録。
分析。
研究。
アリアは言う。
「最初は奴隷だった」
「何も知らなかった」
「文字も読めなかった」
「計算もできなかった」
「病気の理由も知らなかった」
かつてのマイケルと同じだった。
弱者。
無知。
貧困。
それがアリアだった。
「でも」
「ケルナインが教えた」
その言葉に皆がケルナインを見る。
本人は何も言わない。
いつも通りだった。
アリアは続ける。
「文字を教えた」
「計算を教えた」
「農業を教えた」
「医学を教えた」
「魔法を教えた」
「考えることを教えた」
そこだった。
アリアは静かに笑う。
「考えること」
「それが一番大きかった」
人は教えられる。
人は育つ。
人は変わる。
才能ではない。
環境だ。
教育だ。
それを誰より理解しているのがアリアだった。
セリナが腕を組む。
「だから研究者になった」
「ええ」
アリアは頷く。
「知識は人を救う」
「私はそう信じた」
そこから何十年も研究した。
農業。
医学。
教育。
物流。
魔法理論。
超能力理論。
国家運営。
人口動態。
戦争。
飢饉。
疫病。
ありとあらゆるものを調べた。
その結果。
一つの結論にたどり着いた。
「人材こそ国家」
その言葉にロバートが笑った。
「ケルナインと同じだな」
「同じじゃない」
アリアは首を横に振る。
「私は証明した」
「ケルナインは最初から知っていた」
部屋が静かになる。
それは事実だった。
ケルナインは理論から入らない。
最初からやる。
村を育てる。
人を育てる。
教師を育てる。
学校を作る。
結果として国家になる。
理屈ではない。
実践だった。
アリアはそれを分析した。
研究した。
数字にした。
証明した。
だから研究者だった。
「私が集めた資料は膨大よ」
「百年以上分ある」
その言葉にセリナの目が輝いた。
政策担当として興味が尽きない。
「見せて」
「いいわよ」
アリアがアイテムボックスを開く。
山のような本が現れる。
全員が絶句した。
一冊や二冊ではない。
何千冊。
何万冊。
巨大な図書館だった。
マイケルが震える。
「全部読んだんですか?」
「もちろん」
平然と答える。
「研究者だから」
教師達がざわめく。
教導スキル保持者達が集まる。
これは宝だった。
国家の財産だった。
知識の山だった。
アリアは本を一冊開く。
そこにはこう書かれていた。
『教育を受けた村と受けない村の比較』
『教師一人が生み出す経済効果』
『病と衛生教育の相関』
『農業革命による人口増加』
『紡織産業による女性雇用』
『識字率と国家発展』
セリナが思わず息を飲む。
全部欲しかった情報だ。
全部知りたかった知識だ。
「あなた」
「どれだけ研究したのよ」
アリアは笑った。
「百年以上」
百年以上。
全員が絶句する。
魔法。
超能力。
長命種。
様々な要因が重なった結果だった。
だがその年月は本物だった。
アリアはゆっくり言う。
「私はずっと答えを探していた」
「人を救う方法」
「戦争を終わらせる方法」
「貧困を無くす方法」
「病を減らす方法」
「国家を育てる方法」
そして。
「答えは簡単だった」
窓の外を見る。
学校。
教師。
子供達。
笑顔。
未来。
「教育だった」
誰も反論しない。
反論できない。
今ここに結果がある。
人口八万五千。
食料充足率五百パーセント。
教師六万。
教導スキル四万。
全属性覚醒率百パーセント。
全て教育の成果だった。
アリアはケルナインを見る。
「だから分かった」
「あなたは正しかった」
ケルナインは静かだった。
称賛には興味がない。
昔からそうだった。
するとトミーが笑う。
「じゃあアリアさん」
「今後はどうするんだ?」
皆が注目する。
研究者。
知識人。
国家級の頭脳。
放っておく理由がない。
アリアは少し考えた。
そして笑った。
久しぶりに心から。
「研究を続ける」
「ここで」
その瞬間。
セリナが即答した。
「採用」
「早いわね」
「当然よ」
セリナは真顔だった。
「こんな人材を逃がす理由がない」
ロバートが笑う。
エミリーも笑う。
マイケルも笑う。
皆が歓迎していた。
アリアは少し驚いた顔をした。
昔ならあり得なかった。
知識人は嫌われる。
権力者は知識を恐れる。
教育は弾圧される。
それが普通だった。
だがここは違う。
教師が尊敬される。
学者が歓迎される。
研究者が必要とされる。
それが東部村落連合だった。
アリアは窓の外を見る。
そして小さく呟いた。
「本当に変わったのね」
その言葉は世界への感想だった。
かつて貧困村だった土地。
病に苦しんだ土地。
絶望しかなかった土地。
今は知識が育ち。
教育が育ち。
人が育つ。
環境が人を育てる。
ケルナインが証明した真実だった。
そして研究者アリアは確信する。
キンペイ帝国との戦いは避けられない。
だが今回は違う。
教師がいる。
研究者がいる。
農民がいる。
職人がいる。
学者がいる。
そして育った人材がいる。
一人の英雄ではない。
八万五千人の国家。
それこそが過去との最大の違いだった。
アリアは初めて心から思った。
今度こそ。
勝てるかもしれない。
その予感が静かに胸の中で広がっていた。




