100話 食料自給率500%
かつて。
この地は貧困村だった。
冬が来れば誰かが飢えた。
病が流行れば誰かが死んだ。
収穫が失敗すれば村全体が震えた。
食料。
それは希望だった。
同時に恐怖でもあった。
生きるために必要なのに。
最も手に入りにくいものだった。
だが今。
その常識は完全に崩壊していた。
巨大な会議室。
農業本部。
物流本部。
商業本部。
教育本部。
各部門の責任者が集まっている。
壁一面に数字が並ぶ。
農業担当教師が報告書を読み上げた。
「本年度最終集計を報告します」
静寂。
全員が資料を見る。
教師がゆっくり告げる。
「食料自給率」
一拍。
「五百二十三%」
会議室が静まり返った。
誰も言葉が出ない。
何度見てもおかしい。
五百二十三%。
つまり。
村が必要とする食料の五倍以上を生産している。
農業革命。
教育革命。
人口増加。
農地拡張。
全てが積み重なった結果だった。
トミーが頭を掻く。
「意味わかんねぇな」
本音だった。
農業担当教師も苦笑する。
「私もそう思います」
誰も想定していなかった。
三百%を超えた時点で十分異常だった。
四百%で歴史的記録だった。
五百%はもはや意味不明である。
セリナが資料をめくる。
「販売量は?」
「前年比二百八十七%増」
「それでも余るか」
「はい」
即答だった。
転移物流革命。
商業拡大。
市場拡大。
全て成功している。
それでも余る。
生産が強すぎる。
農民が強すぎる。
教師が優秀すぎる。
それが現実だった。
マーガレットが笑いながら言った。
「普通の国なら戦争になるわね」
周囲も笑う。
事実だった。
豊かな土地は奪われる。
豊かな国は狙われる。
それが歴史だ。
しかしこの村は違う。
索敵部隊八千。
戦闘部隊八千。
魔法属性覚醒率百%。
教師六万人。
教導スキル覚醒者四万人。
襲える相手ではない。
だから食料だけが増え続ける。
問題は別だった。
保管場所。
それである。
農業担当教師が資料をめくる。
「倉庫群が限界です」
「第五十二備蓄倉庫まで満杯」
「第五十三備蓄倉庫も八割」
「第六十倉庫建設中」
トミーが吹き出した。
「まだ増えるのかよ」
農民たちは今日も収穫している。
明日も収穫する。
来週も収穫する。
止まらない。
会議室でセリナが静かに言った。
「倉庫を増やしても意味がありません」
全員が視線を向ける。
「根本的に考えましょう」
そして。
ひとつの提案を行った。
それは。
あまりにも単純だった。
誰もが数秒固まるほどに。
「マジックバッグを使います」
沈黙。
マーガレットが瞬きをした。
「……え?」
「時間停止付きマジックバッグです」
「うん」
「その中へ備蓄します」
「うん」
「そのマジックバッグを倉庫へ保管します」
沈黙。
さらに沈黙。
そして。
トミーが吹き出した。
「は?」
会議室中が固まる。
単純すぎた。
倉庫に食料を置く。
ではない。
マジックバッグに食料を入れる。
そのマジックバッグを倉庫へ置く。
それだけ。
時間停止付きである。
腐らない。
劣化しない。
場所を取らない。
盗難も難しい。
保管効率が異常になる。
セリナは冷静だった。
「問題ありますか?」
誰も答えられない。
問題がない。
完全に正しい。
むしろ。
なぜ今まで思いつかなかったのか。
マーガレットが額を押さえる。
「待って」
「それって」
「事実上」
「無限倉庫じゃない?」
セリナが頷いた。
「はい」
終わった。
倉庫問題が終わった。
農業担当教師が頭を抱える。
「確かに……」
「確かにそうです……」
その日のうちに。
魔道具工房へ指示が飛んだ。
大量生産。
マジックバッグ増産。
全力増産。
工房では職人たちが騒然となる。
ドワーフ職人。
エルフ職人。
人族職人。
魔族職人。
全員が動く。
ベルンが叫ぶ。
「次だ!」
「魔力回路確認!」
「縫製確認!」
「収納容量確認!」
隣では紡織職人たちも忙しい。
リーザ。
リーブ。
リーゼ。
三人も休む暇がない。
魔法繊維。
強化布。
収納袋。
大量生産。
紡織産業もまた進化していた。
もはや普通の布工房ではない。
国家級魔道具工房だった。
数日後。
第一号備蓄マジックバッグ完成。
巨大倉庫で実験が行われる。
山のような小麦。
大量の芋。
乾燥肉。
豆。
砂糖。
塩。
次々収納されていく。
職人たちが驚く。
「まだ入る」
「まだ入るぞ」
「まだ余裕がある」
トミーが笑う。
「化け物だな」
収納完了。
そして。
そのマジックバッグを棚へ置く。
終わり。
本当に終わりだった。
倉庫一棟分。
それが袋一つになった。
農業担当教師が呆然としていた。
「意味がわからない」
「私もです」
隣の教師も頷く。
しかし事実だった。
魔道具職人たちはさらに生産を続けた。
十個。
百個。
千個。
万個。
人口八万五千人。
職人層も膨大。
教師もいる。
教導スキルもある。
育成速度が異常だった。
技術が広がる。
知識が広がる。
生産力が広がる。
環境が人を育てる。
ケルナインが最初に語った理念。
それが現実になっていた。
数週間後。
巨大備蓄都市完成。
そこには巨大な穀物倉庫は無い。
山のような食料も無い。
代わりにあるのは。
整然と並んだ棚。
そして。
無数のマジックバッグ。
その中に。
数年分。
いや。
十年以上の食料が眠っていた。
食料備蓄担当者が報告する。
「緊急事態対応可能年数」
静寂。
「推定十二年以上」
会議室が再び沈黙した。
十二年。
飢饉が来ても。
戦争が来ても。
災害が来ても。
十二年間は食べられる。
もはや国家レベルですらない。
文明レベルだった。
マーガレットが椅子にもたれた。
そして。
盛大に笑い出した。
「ははははは!」
止まらない。
トミーも笑う。
「どうした」
「いや」
マーガレットは笑いながら言った。
「最初からこれで良かったんじゃない?」
会議室が爆笑した。
確かにそうだった。
第五十倉庫。
第五十一倉庫。
第五十二倉庫。
必死に作った。
莫大な予算を使った。
大量の労働力を使った。
全部。
マジックバッグで解決した。
セリナですら苦笑する。
「否定できません」
再び笑い声が広がった。
夜。
村を見下ろす丘。
ケルナインは静かに灯りを眺めていた。
彼は何も言わない。
指示もしない。
農民が育った。
教師が育った。
職人が育った。
商人が育った。
だから。
答えも自分たちで見つける。
それでいい。
かつての貧困村はもう存在しない。
飢えに怯える者もいない。
病で見捨てられる者もいない。
食料は余るほどある。
教育は行き渡っている。
人材は増え続けている。
そして。
食料自給率五百%。
それは単なる数字ではない。
「二度と飢えない」
という宣言だった。
人を育て続けた村は。
ついに。
飢饉という概念そのものを歴史から追放しようとしていた。




