99話 食料備蓄
朝日が広大な農地を照らしていた。
見渡す限りの畑。
麦畑。
芋畑。
豆畑。
野菜畑。
果樹園。
そして砂糖黍畑。
かつて盗賊に怯えながら細々と暮らしていた貧困村の面影はもうどこにもない。
農民たちは朝から忙しく動いていた。
収穫。
運搬。
選別。
保管。
誰もが働いている。
そして誰もが笑っている。
食べ物がある。
未来がある。
病に苦しむこともない。
飢えることもない。
その事実が人々の表情を変えていた。
農業本部。
巨大な倉庫の中でセリナは報告書を読んでいた。
隣にはトミー。
マーガレット。
エミリー。
主要幹部が集まっている。
静かな空気の中。
最初に口を開いたのは農業担当教師だった。
「報告します」
「今年度収穫量は昨年度比百七十八%増加」
会議室が静まり返る。
数字が大きすぎる。
教師が続ける。
「農地面積拡大」
「農業系スキル覚醒者増加」
「農業教師増加」
「灌漑設備拡大」
「土壌改良完了」
「病害虫対策成功」
「全てが好条件でした」
誰も反論できない。
事実だからだ。
農業革命。
その成果だった。
昔は食料不足だった。
今は違う。
生産が止まらない。
教師がさらに報告する。
「販売量も過去最高です」
「転移物流部隊の活躍により各地へ大量販売しています」
トミーが頷く。
事実だった。
王都。
港湾都市。
鉱山都市。
穀倉地帯。
各地へ商品が流れている。
売上も利益も増え続けている。
しかし。
教師は困った顔をしていた。
「問題があります」
「売っても売っても余ります」
会議室が沈黙した。
倉庫の地図が広げられる。
真っ赤だった。
満杯。
満杯。
満杯。
満杯。
どこも埋まっている。
マーガレットが額を押さえた。
「そんな馬鹿な……」
教師は真面目な顔で答えた。
「事実です」
「備蓄量が増え続けています」
トミーが笑い出した。
「ははは」
「豊作すぎるってことか」
農民たちが聞けば怒るだろう。
豊作で困るなど。
昔の彼らなら想像もできない。
しかし今は本当に困っていた。
食料が余る。
保存倉庫が埋まる。
さらに収穫が続く。
食料充足率三百%。
もはや異常な数字だった。
セリナが地図を見る。
そして即座に結論を出した。
「加工しましょう」
全員が視線を向ける。
「余剰食料は保存食品へ」
「価値を上げます」
それが正解だった。
麦。
パン。
乾燥食品。
保存肉。
保存野菜。
酒。
調味料。
価値を高める。
それが重要だった。
トミーも頷く。
「輸送費はほぼゼロだ」
「売れる場所はいくらでもある」
転移物流革命。
その恩恵だった。
遠くへ売れる。
大量に売れる。
腐る前に売れる。
普通の国家ではありえない。
そこへ新たな報告が入った。
砂糖黍。
甜菜。
生産量報告である。
教師が資料を差し出した。
セリナが見る。
そして笑った。
「増産しましょう」
マーガレットが驚く。
「まだ増やすの?」
「増やします」
即答だった。
砂糖。
それは高級品。
貴族が欲しがる。
商人が欲しがる。
菓子職人が欲しがる。
需要が尽きない。
「砂糖は腐らない」
「保存できる」
「高値で売れる」
「輸送しやすい」
セリナは冷静に言う。
完全な商品だった。
トミーも賛成する。
「いいな」
「利益率が高ぇ」
教師たちへの指示が飛ぶ。
砂糖黍畑拡大。
甜菜畑拡大。
農業教師増員。
灌漑設備追加。
全て即日決定された。
午後。
巨大な砂糖工房。
大量の砂糖黍が運び込まれる。
圧搾機が回る。
甘い香りが広がる。
職人たちは忙しく動いていた。
絞る。
煮詰める。
精製する。
白い砂糖が生まれていく。
見学していたマーガレットが感心する。
「すごいわね」
隣にいたグランが笑う。
「まだ終わりじゃねぇ」
「ん?」
「搾りかすが残る」
マーガレットが首を傾げる。
普通なら捨てる。
ゴミである。
しかしグランは笑った。
「酒になる」
「は?」
「酒になる」
周囲のドワーフたちも笑っている。
バルドまで笑っていた。
「美味い酒になるぞ」
「最高にな」
マーガレットは絶句した。
砂糖が売れる。
さらに。
残りも売れる。
無駄がない。
本当に無駄がない。
ケルナインの村らしい発想だった。
余剰は捨てない。
工夫する。
価値を作る。
それがこの村の文化になっていた。
夕方。
醸造所。
巨大な発酵樽が並んでいる。
砂糖黍の搾りかす。
甜菜の副産物。
果物の余り。
全てが酒へ変わる。
バルドは満足そうだった。
「最高だな」
「原料が尽きねぇ」
職人たちも笑う。
酒が作れる。
売れる。
利益になる。
誰も損しない。
その頃。
農地ではさらに開墾が進んでいた。
土属性魔法。
風属性魔法。
水属性魔法。
農業系スキル。
教師たち。
全てが組み合わさる。
かつては荒地だった土地。
今では豊かな農地である。
新人農民が驚いていた。
「本当に育つんですね」
ベテラン教師が笑う。
「育つ」
「正しくやれば育つ」
才能ではない。
教育だった。
環境だった。
この村が証明している。
夜。
会議室。
今日の集計が終わった。
食料備蓄量。
過去最高。
砂糖生産量。
過去最高。
酒生産量。
過去最高。
販売量。
過去最高。
利益。
過去最高。
マーガレットは椅子にもたれた。
「異常ね」
本当に異常だった。
普通の国家なら飢饉を恐れる。
この村は違う。
食料が多すぎる。
余りすぎる。
だから加工する。
売る。
備蓄する。
さらに利益を生む。
セリナが資料を閉じた。
「飢饉対策は完了です」
静かな声だった。
だが重い言葉だった。
飢饉。
それは多くの国を滅ぼしてきた。
王国。
帝国。
北方連合。
どれも食料問題を抱えている。
しかしこの村は違う。
食料備蓄は年単位。
いや。
数年分に達しようとしていた。
エミリーが窓の外を見る。
明かりが続いている。
畑。
工房。
倉庫。
学校。
人々の暮らし。
昔の貧困村ではない。
飢えに怯える村でもない。
人を育てた結果。
生産が増えた。
生産が増えた結果。
余裕が生まれた。
余裕が生まれた結果。
さらに人が育つ。
好循環だった。
ケルナインは今日も表に出ない。
教えた後は任せる。
その結果。
農民たちは農業革命を起こした。
教師たちは人材を育てた。
商人たちは市場を広げた。
職人たちは価値を作った。
そして今。
貧困村だった場所は。
食料を輸出する巨大経済圏へ変わろうとしていた。
倉庫の外では新しい建設が始まっている。
次に必要なのは。
備蓄倉庫ではない。
国家規模の食料保管都市だった。




