第86話:大人の話
「……でも」
堀井は何か言おうとしたが、名越は笑って首を振る。
「平気よ、私は。……さ、遊ぼ!」
まだ迷っている堀井の手を掴んだまま。彼女は他の子供たちも引き連れて、オモチャが置かれた部屋に入る。床に転がった積み木が目に入って、堀井はまた、わけも分からず泣きたくなった。
(……私は何かを、忘れてる……)
分かるのはそれだけ。思いだそうとしても、その記憶は霞がかかったようにボンヤリとしている。そんな彼女の様子を見て、名越は不思議そうな顔をする。
「どうしたの? アメリちゃん、何か悲しいことがあったの?」
「……ううん、なんでもないの。ただ、どうやって遊べばいいのか、分かんなくて……」
「なんだ、そんなこと! 私たちが教えてあげるよ。こっちに来て!」
彼女の声かけに、それまで遠慮していた他の子たちが応えて集まる。そして堀井は、寂しさと切なさを隠して、彼らと遊んだ。その間にも、施設の人々は忙しそうに動きまわる。子供たちが協力して、積み木のお城を組み立てたところで。
「……ごめんなさいね、名越ちゃん。ちょっとだけ、この子を貸して」
最初に堀井を保護した女性……加々美が彼らに近づいて言った。名越は笑って頷き、堀井は黙って連れ出される。彼女たちは部屋から廊下に移動して、少し歩いた先にある、別の部屋に入った。
「初めまして、アメリちゃん」
部屋の中には、優しそうな男性がいた。彼の横には机があって、その上にノートパソコンが乗せられている。パソコンの画面には、堀井と同じ、金髪の女性が映っていた。
「……うそ」
目を見開いて、少女は掠れた声をだす。
「お母さん……?!」
そんなはずはない。そう思うのに、そこにいる人は、あまりにも母に似ていた。画面の中にいる女性が、悲しそうな顔をする。
「……sorry. 私はあなたの、お母さんではないの。伯母さんよ」
「おばさん……?」
首を傾げて、堀井が呟く。母に似た女性は、彼女の目を見て続けた。
「あなたのお母さんは、私の妹なの。だからあなたは、私の姪。私たちはどちらも日本のアニメやマンガが好きで、日本人と結婚して、この国に住むことにしたのよ。……あなたのことは、妹から聞いていたわ。でも連絡がなくなって。電話番号も家も変えられてしまったから、ずっと探していたの。Leylaのことは残念だったけれど、あなただけでも見つけられて良かったわ」
突然のことに、少女は何も言えなくなった。施設の大人たちは彼女の前で、伯母を名乗った女性と話す。
「それで、いつごろこちらに来られるのでしょうか?」
「明日か、明後日までには」
「ずいぶんと早いですね。お仕事は大丈夫なんですか?」
「都合をつけます。私も早く、その子に会いたいので」
そんな会話を、聞きながら。堀井は目を伏せて、ため息をついた。
(……変なの。私のことなのに、私がどうしたいかは言えないんだ)
ふいに。なぜか頭の中に、猫の姿が浮かぶ。何か言いたげに、彼女を何度も見ていた動物。
(あの子だけ、だったな。私のこと、気にしてくれていたの。……もう1回、会えないかな)
少女はそんなことを考えながら、大人たちの話し合いが終わるまで待った。




