第79話:戦闘(中編)
高校指定の制服は、物を隠すには向いていない。ぬいぐるみを入れた場所は、そこだけ不自然に膨らんでいた。違和感のある腹を撫でて、坂井は諦めたように息を吐く。
(これじゃあ、意味がないわね。……なら、いっそ……)
彼女はぬいぐるみを取り出して、腕に抱えた。黒い狐の、プラスチック製の目を指でつついて。彼女は笑いながら、話しかける。
「これでいいわ。少しの間だけど、よろしくね」
ぬいぐるみは何も言わない。それでも坂井は、楽しそうにフロアを歩く。エレベーターの前に立って、上に行くためのボタンを押してから。彼女は自動ドアが開くまで、その前で待っていた。4階の人物が、彼女と位置を合わせようとして、エレベーターの前に行く。
(まあ、このくらいはするでしょうね)
エレベーターに乗りこんで。坂井は4階ではなく、3階のボタンを押した。階数表示のランプは点かない。彼女が3階に行ったことは、エレベーターから降りるまで、上の人物には分からなかった。
(今ごろ、きっとイライラしているわ)
光が3階のエレベーター前に移動して。4階の点は、その場で少しだけ動く。近くの物に、怒りをぶつけているのだろうと。予想しながら、坂井は走った。目をつけていた、少し遠くのエスカレーターを駆け上がって。彼女は息を切らしながら、敵がいる場所に向かっていく。
「……ふざけんな……!」
茶髪の女は、エレベーターの前にいた。近づく坂井に、その女は鬼のような形相を向ける。
「私をさんざん、バカにして……! 許さない! 殺してやる!!」
彼女は大きな出刃包丁を両手で持って、坂井に向けた。そしてそのまま、突き刺そうとする。
「バカになんか、してないわよ。あなたは頭が回る人だわ」
彼女は避けようとしなかった。ただ、狐をお腹に抱え直しただけで。そんな物に、意味はない。普通なら。
「……あっ……!!」
だが。茶髪の女は、そのぬいぐるみが目に入っていたのに、包丁の位置を変えなかった。彼女は怒りに支配されていて、坂井が何をしているか、深く考える余裕がなくなっていたのだ。包丁の刃は、ぬいぐるみに食いこんで、そこで止まる。彼女はそれを見て、満足そうに笑っていた。
「ほら。こうなると思ったから、私はさっき3階で降りたの。思いどおりに、あなたが怒っていてくれて、助かったわ」
そう言いながら。彼女は茶髪の女の首に、すばやく手をかける。そのまま首をしめようとする坂井と、振り払おうとする女。2人の力は、同じだった。
1/形相
「顔つき。顔かたち。特に、怒りや嫉妬など激しい感情の現れた顔つき」
この後書き内での説明は、コトバンクのデジタル大辞泉から引用したものです。




