第58話:抜けられる者、抜けられない者
男が駆けだしていく。十矢はそれを、見ていることしかできなかった。
「……浦見さんは、いつも思いきりがいいね」
隣にいる深命が、尊敬の思いをこめて呟く。
「次は僕たちも走ろうか?」
そう聞かれて。十矢は力なく、首を横に振った。彼の友人は、それ以上のことは言わない。
(……走れるわけがない。歩くのだって、怖いのに)
足が1歩も、前に出ない。自分が石像になってしまったかのような感覚。
「……あ」
そして彼が、動かないでいるうちに。今度は坂井が進み始めた。浦見と違って、少しずつ、けれど確実に。
(置いて、いかれる)
それは彼にとって、死ぬことよりも恐ろしいこと。だが。
「大丈夫。無理はしないで。僕らは僕らのペースでいいんだ」
今は昔とは違った。誰も見てくれなかったはずの十矢を、気にしてくれる人がいる。それがたとえ、罪悪感からでも。
「……うん、そうだよね。頑張る」
彼には嬉しいことだった。少しだけ勇気が出て、少年もまた、歩きだす。その姿を見て、深命は内心で安堵した。
(……良かった。なんとか元気が出たみたいだ)
やりたくもないゲーム。それでも彼には、クリアしなければならない理由があった。半分は十矢のため。もう半分は、自分のために。先を行く坂井が、少しだけ。緊張したような様子を見せる。
(どうしたんだろう)
その疑問は、すぐに解けた。彼女と並んで、彼らも見たから。部屋の奥。子供を抱えた男の向こうにいる、バケモノを。
「……な、なに、あれ」
十矢は思わず声をだす。バケモノの赤い目が、彼を見た。
「……あ」
死を悟った友人の声。黒い手が彼を掴み、引きこもうとする。
「……っ! 待って!」
深命は助けようとした。してしまった。当然彼も、真っ黒な手に囲まれていく。
(……駄目だったのね)
坂井は声から、何が起こったのかを察した。
(できることなら、あの子たちには生き残ってほしかったけど)
彼女は前にいる男の背を見る。大きくて、しっかりとした体。子供をずっと抱いていても、少しも揺らぐ様子がない。
(残念だわ。あの人はきっと、いいお父さんになれるのに)
彼が優先順位を決めているように。坂井もまた、とうの昔に定めていた。何があっても、生きて帰ると。
(……そう。たとえあなたたちと、争うことになったとしても。私は迷わない。あなたもそうだと、いいのだけれど)
彼女には予感があった。ゲームの内容は、だんだんと厳しくなっている。このゲームをクリアしても。先に待つのは、もっとひどいものだろうと。そう思いながら、坂井は目をそらさなかった。
1/安堵
「気がかりなことが除かれ、安心すること」
この後書き内での説明は、コトバンクのデジタル大辞泉から引用したものです。




