二十一
マキナは連けた。
「あゝ、しかし何と云う困みでありましょう。心は同一愛の下で一個に成ても肉体は別々に生育ち、別々の血が通い、別々の肉で鎧われるのです。何故私どもは心を同することができましても、肉体を同することが不可能いんで御座いましょう。奇妙でなりませんわ。だってそうでしょう?心臓ときたら全身へ血を送るか貰うかの孰かじゃ御座いませんか。それなのに私どもの心ときたらそれはそれは勁と押我慢て、唯血を流すことに一所懸命なんですわ。
「私確信を持っていますの。矛盾のない愛なんて嘘っぱちなんですわ。夜伽を伴にし、その情人に「愛しているわ」と素面で云える人はみんな嘘吐きに差異ありません。愛している理由を識っている人なんて真実は誰もいないんですから。言葉は愛の贋金です。だって私、愛ことと苦ことは同一なのだと気附いてしまいましたもの。貴郎は全然莫迦ないと切棄てるでしょう。柔和い御仁ですものね、でもそうでしてよ?
「殿方の好む道理とやらも感傷的ではないと云うところが一番の魅力であって、それ以外は何でもありはしないのですから。でもだからと云って苦悩さに憂を覆す必要も、自分を*辞む必要も御座いません。超過ぎた自己否定はナルシシズムと不渝りませんわ。
「泉はナルキッソスに麗しい容貌を撮写ましたが、それは美貌を独占に可能ると識っていたからではなく、最も美しい者に愛されることに酔って居たからですわ。えゝ、本当のナルキッソスは泉の方なんですわ。
「私はそうではありませんの。古の人はたいそう智慧しゅうございました。愛を匿すことで俗悪な手垢から目守ってきたのです。愛を匿ことは岩石に華を咲かせ、天に焔を放つことと同一で、それはそれは素敵しいことなんですの。でも愛は恒に盲目な賞賛を享け、今では誰も愛を匿さなくなりました。誰もが己の算盤を大事そうに握って、それを奪い互う。これが現代の愛であります。こんなものに如何程の価値がありましょう。如何程の箔が御座いましょう。
「私、愛と云うものはもう耐えられなくなって居るのではないかと想います。愛の容器に自ら幽閉められた人たちの膨張る脂肪で破裂れん許になっているのが今なのではないでしょうか。そうして唯の一刺で風船のように割れて了うんでしょう。
「そこから流出る血のなんと累いことか。否、もちろん偽の血ではあるのですけども。でも依然では何時この血の海に溺死ますわ。詩を愛でる余、詩を殺害けて仕舞ったのですわ。
「たとえば失恋。失恋はたいそう悲劇であります。それは音楽のように甘美い果を結実ぶことでしょう。しかしそれが禁断の果実と一体誰が識り得たのでしょうか。失恋が*極彩色の*玉裳を敷くとはなんという皮肉でありましょう。これは乞食が己の眸に鉛を流込むのと一緒ですわ」
*辞む…否定する
*極彩色…極めて濃厚な色彩
*玉裳…裳の美称




