天上へと続く道
「お願い?」
「あそこ山の上の方に、大きなグリフォンがいるの。その子がきっとオグのつがい」
「どうしてそう思うんだ?」
渓がオグの毛並みを撫で、それを俺たちに見せた。
「ここに茶色の稲妻模様が入ってるでしょ?山の上の子にも同じ模様があるの」
「よくそんなの見えるな」
「高校、弓道部だったから」
「弓道部すげぇ」
「ウーン、確かにあのおっきな木のそばに一頭いますネ……」
ミトナがセンサーを伸ばしながら言う。こいつが言うってことは見間違いじゃなさそうだ。
「でもオグは私と一緒だと高いところには行きたがらなくて……だから一緒に来てオグを安心させてほしいの」
「あんなところまでか……」
正直言えば、引き受ける理由はなかった。二人は見えているようだけど俺には全く見えなかったし、山登りの高さやルートも皆目見当もつかない。いくら人助けとはいえ、ロックもミトナも連れて登るリスクとは全く釣り合っていなかった。
「マスタぁ、行きましょうよ」
隣でミトナが言う。それが最後の一押しだった。断りたい心に蓋をして、俺は空いた右手を渓に差し出した。
「分かった。これも何かの縁だ。同行しよう」
「ほんと……!?」
「俺も腹くくった。その代わりオグがつがいと会ったらお前も結論を出してくれよな」
「うん、ありがとう!」
渓は俺の手を取る。こうして俺たちの手を離しただけで死んでしまう理不尽な登山が始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
切り立った山を登る。言葉にすれば一行で済む話だが、実際の道のりは常に死と隣り合わせの危険な旅だ。
手をかけるところを誤れば足の置き場がなくなり、足運びを誤れば身体を支えられなくなる。できるだけ小さな段差を見つけては命を天秤にかける行為の繰り返しを、俺たちはひたすら行うこととなった。
「せーのっ」
俺の右手、繋がった左腕と右腕、ミトナの左腕の順で手をかけていく。滑落すれば死ぬのは片方だけじゃない、異世界のルールで両方死ぬんだ。
「ごめん、やっぱりこんなの無茶だよ」
渓の声が上から聞こえる。俺はその声に抗うように右腕に精一杯の力を入れた。
「いいから、どうせ登るしか道はないんだ」
「でも……」
「このルールの世界の中で、オグひとり置いてはいけないだろ」
「…………」
渓は困ったように俺から目を逸らす。肯定も否定もできないといった表情だ。
「お二人は疲れていませんかネ、一旦休憩しましょ、休憩」
「機械のお前が真っ先に音を上げるのかよ」
「だってミトナは運動強化モデルじゃないんですよ!」
「わーったわーった」
かくいう俺も体力の限界だった。歩くのは通勤で慣れていたけど登るとなると話は別だ。普段使わない筋肉に負荷がかかり、体幹が悲鳴を上げている。
「随分と高いところまで来ちゃいましたネ……」
「そうだな」
出発地点の森は視界からゆうに外れ、いまや平原まで見渡せる高さに来てしまった。帰りのことを考えると頭が痛い。
その時、右隣に座る渓がゆっくりと口を開いた。
「ねえ、ハルさん」
「なんだ?」
「ハルさんは、人っていつ死んだことになると思う?」
「んー?生物的な話か?哲学的な方か?」
「どっちもだけど……どちらかというと、哲学的な方」
「なら葬式やった時だな。死んだって実感する時は大抵葬式でそいつに焼香をあげてる時だからな。そんで渓はどう思ってるんだ?」
「私は……人との繋がりが全部切れちゃった時、だと思ってる」
「繋がりですノ?」
ミトナが興味深そうに割り込んでくる。
「うん。その人を知ってる人、その人がもたらした変化、その人が残した痕跡……そういうのが全部なくなっちゃったとき、人は死ぬんだと思う」
「深いですネ~」
「仲良くしてくれたパン屋のおばさんも、借りっぱなしになっちゃった図書館も、もう繋がりはなくなっちゃったんだ。だから……」
あっさいコメントをするミトナを無視して、俺は空を見上げた。肯定も否定もする気にはなれなかった。
(まるで自分はもう死んでると言ってるようなもんじゃねえか)
虚ろな目で空を見つめる渓に対して、かける言葉が見つからなかった。話題を変えるのが俺にできたせめてもの抵抗だった。
「ところでグリフォンってさ、鳥類なの?それとも哺乳類?」
「へ?」
予想外であろう質問に渓は目を丸くする。
「ほら。ロックはドラゴンだしどう見ても爬虫類じゃん?でもグリフォンって上半身は鳥類で下半身は哺乳類っぽいじゃん、じゃあどっちなんだろうって」
「え、今する話?」
「気になったんだもん、しょうがないだろ」
俺と渓でオグの方を見る。オグも俺たちの様子がおかしいことに気づいたのか、首を引いて俺たちからわずかに距離を取る。
「ハルさんはどう思うの」
「俺は鳥類だと思ってる。クチバシって歯が退化した器官なんだ。でも哺乳するんだったらよっぽどのことがない限りこんな形にはしないだろ?クチバシのような構造になるとしても、もっと優しく吸うことに特化するんじゃないかなと思って」
「なるほど、一理ある」
「つまりどこかの過程で下半身が異常に発達した個体が生まれて、それが生存に有利だから生き残った。ペアで生きるために片翼を退化させたと同時に飛ぶ代わりの移動手段として足が発達していったと考えたら、辻褄もあうだろ?」
「おー……たしかに」
「ということでさ」
俺は渓の方をまっすぐ見た。キョトンとした様子で彼女が「なに」と聞く。
「オグにおっぱいがあるか確かめさせてくんね?オスでもメスでも、哺乳類だったら染色体の関係でおっぱいがあると思うんだよな」
「…………やだ」
渓が守るようにオグを抱きしめ、俺から少し距離を離す。
「じゃ、じゃあ口の中だけで良い!哺乳類だったら乳を吸うための器官がついてるはずなんだ」
「…………なんか気持ち悪いから、ナシで」
「急に早口になって、実際キモかったですネ」
「うん」
「そこまで言わなくてよくないっ!?」
左右からキモいって言われるのはさすがに辛い。
「逆にさ」
「んだよ」
「ロック……撫でてもいい?」
俺は首を下げてロックの方を見た。ロックもジャンパーの元から身を乗り出している。
「きゅるる」
「どうぞって」
渓が少しだけ緊張しながらも、ロックの頭に人差し指で触れる。一度触ると安心したのかどんどんと撫で始めた。ロックも彼女に敵意が無いとわかると、きゅるきゅる声を出しながら手のひらに頬を擦りつけて、嬉しそうに尻尾を揺らしている。……尻尾の球が胸に当たって少しだけ痛い。あと横で見ているオグの目つきが少しだけこわい。
「こうやってみると、ただのちょっと大きなトカゲだね」
「だよな。でもほら、翼が生えてるだろ。しっかりコイツもドラゴンなんだ」
「きゅうっ!」
首の下をちろちろと撫でられて、ロックは喜んでいる。伝承だと竜の逆鱗ってその辺にあるはずだけど、オオミズチにはもしかしたらついてないのかもしれない。
「ク、クルル」
オグが少し喉を鳴らした。ロックに渓を奪われて嫉妬でもしてるのか?可愛いやつめ。
「お、俺が撫でてやろうか?」
「ピィーーーーッ!!」
威嚇するような声を出してオグは渓の背中側に回った。
それからロックが音を上げるまで渓はさんざんロックを撫でつづけた。ロックがジャンパーに引っ込むと彼女はふぅと息をつき、満足したのか再び「行こう」と俺たちに声をかけた。
こぢんまりとした崖を気合で登る。かすかに湿った空気が辺りを包み込んでいた。
「もうあのグリフォンがいるところまであと少しだよな」
俺は上を進むオグと渓に言った。
「うん。あと二~三回ぐらい登ったら着くと思う!」
「了解。そういえばさっきのことなんだけどさ」
「どの話?」
「人は繋がりを失ったら死ぬってやつ」
「ああ。それ、恥ずかしいからやっぱり忘れて」
「いいから聞けよ。ロックを撫でた人間はこれまで俺しかいなかったんだ。お前が二人目。赤の他人から撫でられたのはあれが初めてなんだ」
「それで?」
「ロックにとって良い思い出になった。コイツもそう簡単に忘れないと思うぜ」
上の崖から手が伸びてくる。俺はその手を掴み、ミトナを引き上げた。軽くロックの頭を叩く。ロックも「きゅっ!」と気合いの入った返事をした。
「……呆れた」
渓が目を細めて笑う。初めて見る彼女のちゃんとした笑顔だった。
「目印にしたおっきな木まであと少しですネ」
ミトナが上を見上げて言う。
「でもグリフォンなんて見えねえけど」
「ムムム……反応はあるんですけどネ……」
センサーをぐるぐるさせながら、ミトナはぽつりと言う。しかし木の周りを見てもグリフォンの影すら見当たらない。
「とりあえず、登るしかないか」
山はもっと高くまでそびえている。頑張って登ったといってもせいぜい三から五合目あたりが関の山だろう。この先にもグリフォンが住める場所があってそこに身を潜めている可能性だって十分あるわけだ。
絶望はしていない。俺たちは生きている。
帰り道という未来から目を逸らしながら、俺とミトナは次の岩へと手をかけた。




