少女と片翼のグリフォン
「ほ、ほいじゃ中に入りますネ……」
緊張した面持ちでミトナが言う。
「お、おう。行くぞ……」
俺たちは「せーの」の掛け声で境界を踏み越えた。
「「ふぅ〜……」」
とりあえず命はある。【生物は単独で存在できない】というルールの予想は少なくとも間違ってはいないようだった。
手だと不安だからということで結局左腕をミトナと組む形にしたが、色々と窮屈だ。紐でぐるぐる巻きにしたのも余計苦しい。ロックも落ちないようにジャンパーの中に入れた関係で、前も横も手狭に感じる。
「ミトナも変なところはないか」
「はいナ。普段通り、ロストなしですナ」
「うし、じゃあヒトガタ探しと洒落込もうか」
「がーぅー」
ロックも真剣な面持ちで俺のジャンパーの間から首を出し、周囲を見渡している。護身用に一応警棒は携帯しているが、もし今グリフォンに襲われたらひとたまりもないだろう。縄で縛ってるとはいっても、野生の獣が本気で引きちぎろうとすれば耐えられるわけがない。
山岳地帯は元は火山だったのか、火山岩のようなゴツゴツした黒い岩肌で覆われている。草木はまばらに生えており、その間から獣たちの気配が微かに感じ取れる。
草原と違い、ここは厳しい世界なのかもしれない。思わずミトナを握る手に力が入った。
「マスタぁ、安心してくださいネ。ミトナはマスターの側を離れませんから」
「なんか心配させちまったか?悪ぃ」
「いえいえ、ただミトナの普段の覚悟を言葉にしただけですニっ」
気を遣われてしまったらしい。しかし硬い岩でできた砂利道を踏み締める今の俺にとっては、彼女の柔らかい腕の感触がとても頼もしく感じた。
きっとミトナも同じことを思っているはずだ。一蓮托生、そんな言葉が頭をよぎる。
緊張した面持ちで進んだ。しかし小さな丘を越えた俺たちを待っていたのは、意外にも鬱蒼と茂る大きな森林だった。
「わぁ……」
思わず声が出てしまう。地面を這うように絡み合った樹々の根の上をリスのような生き物が駆け回り、草花も樹々の隙間から差し込む陽光を各々楽しんでいる。
ルールから解き放たれた自由がそこにはあった。
「凄いですネ……山の中にこんな綺麗な場所があるなんて」
「そう、だな……」
黒い壁に囲まれた中で、緑の楽園は何者も拒まないといった様子で俺たちのことを穏やかに待っていた。鳥たちのさえずりが上から聞こえてくる。ちよちよと鳴く優しい声だ。
誘われるように一歩踏み込んだ。柔らかい土がクッションとなり、登山で疲労しつつあった俺の足を優しく受け止める。
「そうか、一ヶ所に集まることで動物も植物も一緒になってこのルールに抗っているんだ」
「まさに自然の奇跡ですネ」
「きゃうっ」
砂糖の乗った甘ったるい表現だが、彼女の言葉通りだと思わざるを得なかった。
思わず足取りも軽くなる。初めて都会に来た少年のように俺たちは上を見上げながら、ミッションのことなど忘れて美しい緑を楽しんだ。
「マスタぁ!あの実、美味しそうですネ!」
ミトナが指を差す。その先には赤いラベンダーのような実をつけた花が咲いていた。
「きゅる、きゅるっ!」
ジャンパーの首元からロックが身を乗り出す。果実の匂いを嗅ぐと「食べていい?」と聞くかのように俺の方を見上げてきた。
「んー、あんまり現地の食べ物を食べるのは良くはないと思うんだけどなぁ」
「きゅうーん……」
ロックが乗り気じゃない俺の様子に気づいてか、ねだるように高く細い声で鳴く。俺も「まぁいいか」と言いかけた時、俺の右側から声が聞こえてきた。
「それ、毒だよ」
女の声だった。驚いて右を向くと、真っ黒な髪の毛の少女が俺の横に立っていた。女は俺たちの方を見ながらロックが食べようとしている実を指さしていた。
「おわっ、マジか」
慌ててロックの口を塞いで花から遠ざける。その少女は異世界の原風景とは全く対照的な夏が似合うセーラー服を身に着けていた。そしてその隣には……一頭のグリフォンが彼女を守るように立っていた。
「危なかったね」
「あ、ああ」
肩にかかりそうなぐらいの髪の毛を揺らし、彼女は薄く笑う。ミトナも怪訝そうな顔で俺の横から覗いている。
「あなたはここの人?それとも地球の人?」
「み、ミトナのことですノ?」
「そのドラゴン……?を連れてるあなたも」
「あぁ俺もか」
彼女が小さく頷く。少女は警戒しているようで、隣のグリフォンに左手を添えて離そうともしない。グリフォンも同じく警戒しているのか、いつでも飛び掛かれるように頭を下げて体勢を作っている。
「俺は春馬晴彦。ハルでいい。日本の東京から来た。君は?」
「私は 水無瀬 渓。渓でいいよ」
「それで……君は異世界騒動の生き残りなのか?」
渓は少し考える仕草をして、グリフォンと目を合わせた。
「向こうではそう呼ばれてるってことかな。うん。生き残りってことであってるよ」
「まさか生き残りがいたなんて」
思わず俺は口にしてしまった。
「――――やっぱり、みんな死んじゃったの?」
俺は慌てて否定した。
「いや、そんなことはないと思う。俺たちが初めて異世界に調査に来たメンバーだから、むしろこんなに早く生き残りに出会えたってことは、他にもいてもおかしくはない……と思う」
もちろん、説得力はない。
「私もずっと一人だったし死体も見たことないから、じゃあまだ希望はあるんだよ、ね」
「ああ。それで、そのグリフォンは?」
「この子はオグ。最初に私がここに飲み込まれた時からずっと一緒なの」
渓がオグを撫でる。オグも慣れた手つきで彼女を受け入れている。
オグは本当に物語の世界から飛び出してきたようなグリフォンの姿そのものだった。上半身は白い毛並みのオオワシ、下半身はおそらくライオンだろう、金色の毛並みが陽光を滑らかに反射している。
しかし一点だけ物語のグリフォンとは大きく異なる点があった。それは右側の羽根が退化していることだった。左側の立派で巨大な羽根と違い、右側は宗教画に描かれた天使の羽根のように小ぢんまりとしている。
「じゃあ、渓はオグに助けてもらったんだな」
「うん。ハルさんはそのドラゴンに助けてもらったの?」
「どっちかって言うと助けてる側」
「マスタぁはミトナが助けておりますので!」
「ミト……?」
ミトナが渓に手を振る。俺は空いた右手で頭を抱えた。コイツの存在だけはどうにも説明しづらい。なにより俺だってミトナの事をあまり知らないんだ。
「ミトナは対知的生命体奉仕型インターフェイス、3式10番型7号機、通称ミ・ト・ナ、ですナ!今は頼りないマスタぁのために全力ご奉仕ヘルピング中ですニっ!!」
「え、え……どういうこと?」
「あーっと、コイツは異世界から出てきた変なアンドロイドで、俺のことをなんかマスター扱いして付きまとってる……みたいな?」
「なんかハルさんも大変なんだね……」
「そんなことないですナ!ミトナがしっかりハッキリくっきりドッキリお助けしてますから!」
「まぁ、助かってるのは事実だ」
「ほらネー!」
主にセンサー周りで、というのは黙っておこう。腕を組んだ状態でギャーギャー騒がれても面倒だし……。
「それでコイツはロック。オオミズチって言う平原に居るドラゴンなんだけど、卵を運んでるときに生まれちゃって、親が居ないから一人前になるまで育ててる」
「ぎゃうっ!」
鱗が少し硬くなってきたロックが元気に吠えた。
「でも生存者がいて良かったですネ。これでミッションコンプリート!今回もミトナの大活躍のおかげですナ~!」
「……そうだね」
渓はあまり嬉しくなさそうに言った。
「もしかして、こっちに残りたいのか?」
不満そうなミトナを頭で押し付けながら、俺は少し伏し目がちな彼女に聞いた。
「だって、私の帰る場所なんてもう無いんでしょ?」
「成増に住んでるんだったら……まぁ、期待はしないほうが良いと思う」
本当に帰った時の彼女のことを考えると、嘘はつけなかった。
「やっぱりそうだよね」
渓は寂しく笑うと、オグの頭を撫でた。
「それに私が帰るにしろ帰らないにしろ、この子のつがいを見つけてあげないと私はここを出られないでしょ。だから私のお願い、聞いてくれないかな」




