8話 親友
チャイムが鳴り、1限目の授業の終わりを告げた。
教師が教室を後にした直後、1人の男子生徒が俺の席へと近付いてきた。
無造作な茶髪を揺らし、眼鏡の奥に覗く瞳は穏やかな笑みを浮かべている。
「やあ、歩君」
こいつの名前は相葉京介。小学校からの腐れ縁で、俺が猫を被らずに接する数少ない友人だ。
京介は前の空席に腰を下ろし、椅子の背もたれを抱えるようにして俺と向かい合わせになった。
「何だよ」
俺は露骨に顔を顰めてみせるが、京介は笑みを浮かべたままだ。こいつがこのタイミングで接触してきた意図は察しがつく。
「キミは朝っぱらから随分舞岡さんとイチャついていたじゃないか」
案の定、朝の舞岡とのことだった。しかし、イチャついていたとは心外だ。
「節穴な目してんじゃねーよ」
「腕に抱きつかれたりほっぺた摘まれたりしてただろが」
「……よく見てるな」
もしかして他の男子連中にもいちゃついていたと思われているのか? 面倒臭いな……
「お前舞岡さんと仲良かったんだな。すでに付き合ってる疑惑も出てるぞ」
「えっ、嘘だろ?」
「いや、マジだって」
教室で一度接触しただけでそんな疑惑が出るのは早過ぎないだろうか。俺からするといちゃついていたわけではないし、ほとんど言い争っていただけなんだが。
……道理で男子たちから冷たい視線を感じるわけだ。
「……付き合ってないし、仲良くもないんだけど」
「ああいうのは仲良いっていうんだよ」
そうなのか……まあ何の関わりもないような女子よりは仲が良いと言えるのかもしれない。
溜め息を吐きながら教室の中央辺りへ視線を向ける。
舞岡が女子たちに囲まれている。「三島君と良い感じなの?」と聞かれ、「最近は割と仲良しかなー」とビジネス笑顔で答えていた。向こうは平和そうだな。
「で? マジで舞岡さんに膝枕してもらってたのか?」
「……そんなわけないだろ。空耳だよ」
「じゃあ何を話してたんだ?」
「何って……ちょっと喧嘩してただけだよ」
「どこが喧嘩だよ。あんな喧嘩なら俺もしたいわ」
「勝手に喧嘩を売ってくればいいだろ」
「そういうニュアンスじゃねーんだよ」
「……」
何となく言いたいことはわかるけど。
要するに彼はイチャイチャしてる風の喧嘩をしたいわけである。俺が舞岡とやっていたのは断じて違うが。
「何? そんな呆れたような目で俺を見てどうした? 舞岡さんと仲良しの歩君は俺に何か文句でもあるのか?」
何か面倒臭くなってきたな……
「文句というか、お前と顔見知りになったことを後悔してるんだ」
「ちょっと待てよ親友。何故俺を顔見知り呼ばわりなんだ?」
「他人だっけ?」
「……っ!?」
俺は頬杖をついて、視線を窓の外へと向けた。
そしてふと視線を戻すと、京介は目を見開いて固まっていた。よく見ると全身が小刻みに震えている。
「うがあぁぁぁぁぁぁ!」
「!?!?!?」
絶叫が、穏やかな教室に響いた。
俺は思わず体を仰け反らせる。びっくりして椅子ごとひっくり返りそうになった。いきなり発狂すんなよ。怖いよ……
教室内が静まり返り、クラス中から視線が集まる。
今回は好奇の目ではない。関わってはいけないものを見るような恐怖と忌避の視線だ。
「……ど、どうした、急に?」
「……すまん、お前が他人だとか言うから取り乱してしまった」
「おう……そうか」
こいつ、どんだけ俺のことが好きなんだ……
何でこれが美少女じゃないんだろう。というか何で男なんだろう。
朝は舞岡と痴話喧嘩のようなものを繰り広げ、次の休み時間には京介を発狂させて。
そのうち俺がやばい奴認定されるんじゃないだろうか。せっかく猫を被って爽やかな優等生キャラを積み上げてきたのに……
とにかく、京介がこれほどまでに突っかかってきたことで、俺の脳内に1つの懸念が生じた。
「……もしかして、お前、舞岡さんのことが好きなのか?」
舞岡は男子に大人気な女子だ。もし京介が彼女に好意を持っているのであれば、色々と気遣う必要がある。
「いや、美人だとは思うけど、特に好きなわけではないな。俺は葵さん一筋だし」
葵というのは俺の一つ年上の姉だ。こいつ、まだ姉さんのことが好きだったのか。
「じゃあ何で突っかかって来たんだよ」
「まあノリかな」
「……」
舐めてんのかこいつ。普通にうざかったんだけど。
「いや、実はみんなが気にしてたから、親友の俺が代表で事情聴取にきたんだよ」
「マジかよ。あいつとは何でもないって言っといてくれよ」
「一応そう言っとくよ。納得するかはわからないけど」
「マジでラブ要素とかないからな」
俺にその気はないし、舞岡だって男に興味が無い奴だ。男子連中が心配しているような関係になんてなりっこない。
京介は、ふと茶化すような色を瞳から消し、少し躊躇うような素振りを見せながら尋ねてきた。
「……なあ、一応聞くけど。お前、まだ麻莉さんのことが好きなのか?」
一瞬、思考が止まった。
脳裏に、いつも俺の道しるべとなってくれた人の笑顔がよぎる。
「……そんなわけないだろ。あの人はもう結婚して子供もいるんだ」
「そっか……ま、お前がそう言うならいいんだけどさ」
京介は少しだけ案ずるような視線を向けた後、「じゃあそろそろ戻るわ」と腰を上げ、自分の席へと戻っていった。
麻莉さんのことなんて、もう気にしちゃいない。
そう自分に言い聞かせるように、俺は教科書を広げた。
内容は頭に入ってこなかった。




