7話 教室で喧嘩
舞岡が変に絡んできたせいで、クラスメイトたちの視線が俺たちに突き刺さっていた。
すでに俺の席まで来ているというのに、舞岡は俺の腕を抱え込んだまま会話を続けている。こいつはいつまでこうしているんだろう。離す素振りが全くないんだが。
「あの、舞岡さん」
「何?」
「手、離してくんない?」
「は? 何でよ?」
舞岡は心底わからないといった様子で眉をひそめる。いや、何でわからないんだ。昼休みの踊り場ならまだしも、ここは教室だぞ。
俺と舞岡は教室で話したことすらない。いきなり腕に抱きついてきて、べたべたとくっついたまま立ち話とかおかしいと思わないのか。
「……周りを見回してみなよ」
舞岡がゆっくりと振り返る。
「あ、ごめん……」
ようやく自分たちに集まる視線に気づいて、慌てて俺の腕を離した。いや、もう遅いけどな。
「……とりあえず勉強するか?」
「うん。じゃあ鞄置いてくる」
舞岡はとてとてと、中央列の自分の席へ向かった。
俺は机の脇に鞄を掛けて腰を下ろすと、日本史の教科書を取り出した。舞岡には頼まれれば教えるが、それまでは自分の勉強をすればいい。
しばらくすると、舞岡が何かの教科書を持って戻ってきた。空いていた席から椅子を引っ張ってきて、隣に座る。
しかし教科書を開く気配すらなく、ぐだっと頬杖をついた。せっかく話を合わせてやったのに、全然勉強する気がないな。
「あの人、よく遊びに誘ってくるのよね……」
舞岡は気怠そうに呟いた。
俺は教科書を片手で広げたまま、適当に相槌を打つ。
「へー、羨ましいなぁ。人気者で」
「全然思ってないでしょ」
確か誘っていたのは藤崎……だっけ。女子の一部から嫌われているらしい舞岡は、男子からは大人気だ。藤崎が好意を持っているのかは知らないが。
「いやいや、俺も女子に誘われたら嬉しいだろうなぁ」
「じゃあ私に誘われたら?」
「あはは、めちゃウケる」
「殴るわよ」
舞岡がぎゅっと拳を握る。
「……お前に誘われてももちろん嬉しいよ」
「えへへ……そっか」
舞岡は拳を下ろした。面倒くさい奴だけど、チョロいからまだマシだな。
「それで、あの人たちとは遊ばないのか?」
「うーん。何か疲れそうだし……」
気持ちはわかる。あの男子たちはクラスでも目立つ存在で、何かと騒がしい。
全然悪い人たちではないんだけどな。普段軽いノリで挨拶をしてくれるので、俺も笑顔で返している。
「てか、あんたって勉強できるの?」
舞岡が俺の持つ教科書へと目を向ける。
「まぁ、それなりには」
「うそ? そんなにはできないでしょ?」
は? 何言ってんのこいつ。超優等生の俺に対して。去年だってずっと学年トップだったんだけど。
「何にしろお前よりはできるよ」
「む……そういえば、あんた前に勉強教えてたもんね。胸の大きな女子に」
舞岡がジト目を向けてくる。
「……頼まれたときは誰にだって教えてるよ」
「でもデレデレしてたわよね?」
「……気のせいじゃないか」
言いながら、ちらっと舞岡を見る。胸という言葉が頭に残っていたからか、自然と目が胸元へ向いてしまう。
「どこ見てんのよ」
「いや、別に……」
慌てて教科書へ視線を戻す。小柄で華奢な割には結構あるな……とか思って見ていたらバレた。
舞岡は両腕で自分を抱きしめるようにして身をよじる。
「ちょっ、何? 今度は私の胸に興味持つわけ? もしかして触りたいとか思ってんの?」
「……そんなものに興味はない」
「嘘つけ。めっちゃ見てたじゃない!」
舞岡が顔を赤くしながら、俺の肩を両手でぽかぽかと叩いてくる。元はといえば、お前が胸がどうとか言い出したからだ。
「いてっ、痛いって。やめろっつの」
彼女の連打を何とかあしらうが、片手で教科書を開きながらなので防ぎきれない。
というか、こいつさっきから人目とかお構いなしか。いつものおしとやかなキャラはどうしたんだ。俺と一緒にいるからって昼休みモードになってるだろ。
呆れながら片手間で防戦していると、突然、思いっきり頬をつままれた。
「いって! 痛い痛いっ……何すんだよ!」
思わず彼女の手首を掴む。
こいつ、勉強を邪魔するだけじゃなく割と痛い物理攻撃をしやがって!
「このっ……!」
俺は教科書を机に放り出し、その手を彼女の頬へ伸ばす。
「甘いわね!」
しかし俺の手が触れる寸前、舞岡は身を引いて躱し、俺の手首を掴み返した。嘘だろ……? どんな反射神経してるんだ。
俺と舞岡は、お互い片手ずつ手首を掴み合う形になった。
彼女の手首は驚くほど細く、少し力を入れれば折れてしまいそうなほど華奢だ。殴られてもつねられても普通に痛かったんだが、この手のどこにそんな力があるんだ?
「ねえ。もしかして、私と付き合ってえっちなことをしたいのってあんたなんじゃないの?」
あまりに心外な言いがかりに、俺は思わず顔をしかめる。
「はあ? 何で俺がお前と付き合わなきゃいけないんだ」
「私が美少女だからでしょ? この前私が可愛いから付き合いたいって言ったじゃない」
「言ってねえわ。事実を都合よく捻じ曲げんな」
「毎日私の太ももで気持ちいい思いをしてるくせに!」
「妙な言い方すんな! 膝枕をしてるだけだろ!」
「私の膝枕が大好きなくせに。とんだ甘えん坊でちゅね!」
「甘えてねーよ! お前もしかしてモテるって言ってたのも全部ねつ造じゃないだろな!?」
「ついさっき遊びに誘われたけど? それによく告白されるのも本当だし!」
「……まあそりゃそうか。顔は可愛いからな」
「!? ほーら言った。可愛いって言った!」
「それは言ったよ! でも付き合いたいとは言ってないだろ! そういう男もいるって言ったんだ!」
「だからあんたもそうなんでしょ?」
「違うっつってんだろ!」
舞岡が都合のいい解釈をやめてくれない。しかも割と事実が混じってるから全否定もできない。
「…………ん?」
ふと掴み合っている舞岡の肩越しに、教室の風景が目に入る。クラスメイトたちが絶句しながら俺たちを見ていた。
スマホをいじる指が止まった奴や、パンを口に運ぶ途中で固まっている奴もいる。
騒がしかった教室が、嘘みたいに静まり返っていた。
しまった。俺としたことが人目があるのを忘れていた。こいつが無駄に煽るからだ。
『なあ、今膝枕してるとか言ってなかったか……?』
『まさか舞岡さんが三島に……? 嘘だろ……?』
『なんか毎日気持ちいい思いをしてるって聞こえたような……』
『甘えん坊とか聞こえたぞ? まさか舞岡さんに甘えてんのか……?』
っ!? なんかやばいところだけ切り取られたせいで一段とやばく聞こえるぞ。
……いや、まだ聞き間違いで押し通せるはずだ。何事もなかったフリをするんだ。
「舞岡さん、一旦落ち着こう」
「は? 何なのよ急に」
「お前は可愛いし素直でいい子だから落ち着け!」
「うん、わかった」
舞岡は素直に頷く。何なんだよこいつは。
「じゃあここが教室だということを思い出せ」
「はっ」
舞岡は弾かれたように背後を振り返る。
突き刺さる周囲の視線に気づくと、顔を赤く染め、「どうしよう」と助けを求めるような目を俺に向けてくる。
「とりあえず手を離そう」
「……そうね」
同時にぱっと手を離す。
二人で「こほん」と咳払いをしてから、教科書へ視線を落とした。
「全く……あんたのせいで変に見られちゃうじゃない」
「いや、どう考えてもお前のせいだろ」
「あんたがエロい目で私の胸を見るからでしょ?」
「別に服は着てるんだから問題ないだろうが」
「あ、認めたわね? やっぱり見てたんだ」
「……やめよう。話が振り出しに戻る」
「そうね」
教科書をぺらぺらめくるが、内容が全く頭に入ってこない。
もうすぐ担任が来て、ホームルームが始まる。
勉強はできないし、クラスメイトからは変な目で見られるし……こいつと教室で絡むとろくなことにならないな……。




