9話 嘘告白 前半
午後の授業が一つ終わった。
私はため息をつきながら、教科書とノートを机の中にしまう。
高校の数学ってホントわけわかんないなぁ。先生も何言ってるかわかんないし、教科書の内容も理解できない。あのグラフは何なの? そもそも一体何を目的に計算してるの?
テストだって去年は赤点ばかりだった。難しすぎて勉強する気にもならない。ほとんど諦めている。
ブレザーの右ポケットからスマホを取り出す。気兼ねなく話せる友達がいないので、スマホを触っている方が楽だ。
本当に昼休みを過ごせる場所ができてよかった。その代わりに毎日三島君に膝枕をしてあげないといけないけど、もう全然慣れたし。
今日もあいつは当然のように私の太ももに頭を乗せて、呑気に眠っていた。
私も特に気にすることはなく、スマホを弄ったり、寝顔を眺めたりしながら、穏やかな時間を過ごした。
……でもまたよだれを垂らされた。で、あいつは寝惚けながら、いつも通りワイシャツの袖で私のスカートを拭いていた。なぜかそれも慣れてきてる自分がいるんだけど……帰ってから洗濯しなきゃ。
なんであいつはあんなに毎日眠そうなんだろう。どうせ夜遅くまでゲームでもしてるんだろうけど。
あ、そういえば、最初に膝枕をしたときにあいつの寝顔を撮ったんだった。
アルバムを開いてみると、三島君のだらしない寝顔が出てきた。
思わず口元が緩む。そうだ、夕亜に送っちゃお。見せようと思ってたのに、今まで忘れてた。
私はトーク画面を開き、三島君の写真を送ってアプリを閉じた。多分、返事は「ウケる笑」とかかな。
直後、教室のあちこちでざわつき始めた。
「え……何これ?」「寝顔? もしかして三島君?」「あ、ほんとだ。よだれ垂らしてるー。可愛いー」「だらしない寝顔!」「これって膝枕されてる……?」
あれ? なぜかみんなが三島君の寝顔について話しているような……なんで? それにタイミングもよすぎるし……まさか──。
私は急いでもう一度メッセージアプリを開く。
「げっ、嘘でしょ……?」
表示されていたのは、夕亜とのトーク画面ではなく、クラス全員が参加するグループチャットだ。その一番下に、彼の無防備な寝顔があった。
やばっ! トーク画面を間違えた!
どうしよう……! とにかく早く消さなきゃ! えっと! えっと! どうすんだっけ?
あ、これか! 『送信取消』。
必死にそれをタップすると、画面に【メッセージの送信を取り消しました】と表示された。
ふぅ……これで万事OK。すぐに消したし大丈夫でしょ。
「あれっ。何か写真が消えちゃったんだけど」
そんな女子の声が聞こえてきた。よしよし。ちゃんと消えたみたいだ。
さすがにクラスのグループチャットに寝顔写真を晒すのはやり過ぎだもんね。いやもう晒しちゃったけど、そこは3秒ルールってことで。
「ちょっとー、麗奈、なんで写真消しちゃったの?」
「そうそう。私も見たかったのに」
背後から飛んできた声に、肩がビクッと跳ねる。
振り返ると、二人の女子が立っていた。
「え? 何で私だと……? すぐに消したのに……」
「だって送信者の名前見たし」
「てか今も書いてあるじゃん。ほら」
片方の女子が、スマホの画面をこちらへ向ける。
【麗奈がメッセージの送信を取り消しました】
「げっ、ほんとだ」
ばっちり私の名前が表示されている。自分の画面には名前なんて出ていないのに……というか、そもそも消すのが間に合わなかったみたいだけど。
「ねえ、何なの? さっきの三島君の写真」
「寝顔、麗奈が撮ったの?」
「いや、えっと……そう、だったかな……?」
「何でグループチャットに載せたの?」
「それは……」
咄嗟に上手い言い訳が浮かばない。
だって、真実は『だらしない寝顔を夕亜に送って一緒に笑おうと思ったけど、トーク画面を間違えて載せちゃいました』なのだ。
そんなことを答えて大丈夫だろうか。いや駄目だ。悪い印象を与えるに決まってる。
「まさか、三島君に嫌がらせとかじゃないよね?」
「え、うそ? 麗奈そんなことすんの?」
「え? いや、そんなんじゃなくて……ちょっと間違えただけよ。すぐに消したわけだし……」
教室の空気がどんどん冷たくなっていく。
あいつのことはムカつくこともあるけど、嫌いなわけじゃない。むしろ一緒にいて楽だし、優しいときもあるから、どちらかと言えば好きな方だ。
「誰かに送ろうとして間違えたってこと?」
「もしかして、寝顔を見せて笑い者にしようとしたとか?」
違うとは言えない。というかほぼ当たっている。
「朝は仲良しだとか言ってたのに、そんな風に馬鹿にしたりするの……?」
「マジ? 酷くない?」
「それはちょっと……ねえ?」
「三島君が可哀想じゃん……」
「私だったら結構へこむかも……」
女子たちから非難の声が次々と飛んできた。いや、あんたたちだって写真を見て面白がってたじゃん。可愛いとか言ってたし。やっぱり私のことが嫌いだよね? てかあんたたちいつの間に集まってきたの?
周りを見回すと、教室中でひそひそと話したり、こちらへ軽蔑の視線を向ける女子たちの姿が目に入った。
せっかく毎日猫を被って過ごしてきたのに最悪だ。……いや、元々嫌われてたから大して変わらないか。
男子たちは特に何も言ってこない。まだ状況を分かっていないクラスメイトに、面白がって事情を説明しているくらいだ。
三島君のことが気になってちらっと窓際を見ると、彼は呆れと諦めの混ざったような表情で、頬杖をついて窓の外を眺めている。
まあそうだよね……勝手に寝顔を撮って誤爆して責められて……いじめられるどころか、私が加害者であいつが被害者だ。
逃げ場はない。女子たちの冷ややかな視線が、針のように全身に突き刺さる。
このままじゃ、私は「嫌がらせで写真を晒した陰湿な女子」にされてしまう。
────何とかしないと!
「違うの!」
私は椅子を蹴るような勢いで立ち上がり、声を張り上げた。
みんなの視線が一斉にこちらを向く。
「何だ何だ?」とざわめく中、私は窓際で頬杖をつく三島君を指差した。
「実は私、あの人のこと、ずっと前から好きだったの!」
教室内が静まり返った。
まるで時間が止まったかのように全員が動きを止め、ぽかんと口を開けてこちらを見つめている。
そしてほんの一拍遅れて、「えぇぇっ!?」と、教室のあちこちからどよめきが上がった。
「きゃー」と嬉しそうな悲鳴を上げる女子もいれば、「マジで?」と目を丸くしている女子もいる。
私は呼吸を整えることもせずに言葉を続ける。この路線で押し切らなきゃ!
「それでね、二人きりになったときに膝枕を頼まれて、私は彼のことが好きだからやってあげたの。そしたら寝ちゃったから、思わず寝顔の写真を撮っちゃったの!」
息もつかずに一気に捲し立てた。
これこそ咄嗟に閃いた言い訳! 悪意ではなく好意による犯行ってことにすれば、印象もだいぶましになるはず。それに、恋愛脳の女子たちは恋する乙女の味方でしょ!?
直後、ゴンっと鈍い音が聞こえた。見ると、三島君が肘を滑らせて体勢を崩し、机に額をぶつけていた。え、痛そう……。
三島君は顔を上げると、「嘘だろ……?」と言わんばかりの、信じられないものを見るような視線を向けてきた。
再び「えぇぇぇ!?」と教室がどよめく。
「マジで!? 超ラブラブじゃん!」
「いつの間にそんなことに!?」
「膝枕してあげたって……やっぱり朝のアレは聞き間違いじゃなかったのか!?」
「ふざけんなよ三島ァ!」
冷やかしと歓声、そして男子たちの嫉妬の怒号が飛び交う。
騒ぎの中、茶髪の女子が興奮を隠せない様子で、私にエアマイクを向けてきた。
「つ、つまり、三島君の寝顔写真をグループチャットに載せたのは……」
「友達に好きな人の写真を自慢しようとして間違えたの!」
この理由なら、そこまで悪い印象にはならないはず。他の女子たちだって、そのくらいやってそうだし。
別の女子が、何かに気付いたかのように呟く。
「じゃあ、もしかして、舞岡さんが今まで告白されて全部断ってたのって……」
その言葉にかぶせるように、また茶髪の女子がエアマイクを突き出してきた。
「ずっと三島君のことが好きだったから!?」
私は照れと恥じらいを含んだ表情で、小さく頷く。
「うん。だって他の男子には興味なかったもん……」
「一途! 舞岡さん超一途! てか可愛い!」
ふふっ、なかなかいい質問だったわ。
今の一言で、私が男を取っ替え引っ替えしている遊び人だとかいう意味不明な噂も解消ね。逆に超一途な恋する乙女爆誕!
暴走気味になっている自覚はあるけど、もう後戻りはできない。この路線で行けるところまで行くしかない。
周囲を見渡せば、ついさっきまでの冷ややかな視線は、優しさを含んだあたたかい眼差しへと変わっていた。
「舞岡さん可愛すぎる……」
「麗奈……疑ってごめん、そんな理由だったなんて……」
「めっちゃ一途じゃん……私は麗奈の味方だから」
「私も! 応援するからね!」
教室内はもはやお祭り会場のような喧騒に包まれていた。女子たちは黄色い声を上げ、男子たちは唖然としたり叫び声を上げたりしている。
……
……
……
勝った。
予想以上に好意的な女子たちの反応を見て、一気に肩の荷が下りた。
私は目にうっすらと涙を浮かべ、指先で目元をそっと押さえる。
「ありがとう、みんな……」
私は涙を拭いながら、心の中でガッツポーズをしていた。




