76話 ホラーDVD
真夜中、人気のない田舎道を一台の車が走っていた。街灯はなく、辺りは真っ暗だ。
車内の男女が他愛のない会話を楽しんでいると、突然、車の前に白いワンピースを着た長い黒髪の女性が現れた。
『うわぁぁっ!』
男は思わずブレーキを踏む。キイィッとブレーキ音が鳴り響き、反動で体が前のめりになった。
『はぁ……はぁ……』
人を轢いてしまったかもしれない。荒い息を整えながら、男は恐る恐る前方へ視線を向けた。
誰もいない。
車を降り、バンパーの前や車体の下を確認する。助手席の女も青ざめた顔で降りてきたが、周囲には人影ひとつ見当たらない。
『きっと見間違いだったのよ……疲れてるから……』
『あぁ……』
二人は逃げるように車内へと戻った。ドアを乱暴に閉め、再び車を走らせる。
しばらく暗闇の中を進んだところで、男はふとバックミラーに目をやった。
暗い後部座席の真ん中に、先程の白いワンピースの女が座っていた。
◇
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」
テレビの青白い光だけが照らすリビングに、麗奈の絶叫が響いた。俺は慌てて彼女の口を手で塞ぐ。
「(うるさいぞ!)」
「……もがもが!(……ごめんなさい!)」
こいつ、さっきから叫びすぎだ。レンタルショップで映画を選んでいるときに、やたら得意げな顔でホラーDVDを持ってきたのは誰だったか。
……まあこのDVD、短編が何十本も入っていて、下手なホラー映画より全然怖いけど。
ちなみに、姫奈は今頃母さんと一緒に眠っている。リビングを出ていくとき、嬉しそうだった。
この場にいるのは俺と麗奈と姉さんの三人だ。姉さんはさっきからずっと膝を抱えたまま、微動だにせず画面を見つめている。……大丈夫だろうか。
俺は麗奈の口元から手を離し、小声で尋ねる。
「(もう見るのやめるか?)」
「(だ、大丈夫……!)」
麗奈は涙目で俺の腕を掴んでくる。何で無駄に強がるんだ。
ため息をついて、続きを見始める。
一話ごとに、お化けらしきものがぽんぽん出てくるわけだが……。
ふと、麗奈がちらちらとこちらの様子を窺っては、少し悔しそうにしていることに気付いた。
もしかしてこいつ、俺をビビらせたかったのか? 悪いがお前以上のリアクションなんて出ないぞ。
背もたれに肘を乗せ、画面に視線を戻す。
暗い部屋の中、男が振り返った瞬間、至近距離に前髪の長い女が──。
「ひゃあぁぁぁ……ふがっ……もがもが……」
また麗奈が叫び出したので、その口を素早く手で塞いだ。
「(母さんの迷惑になるだろ! 叫ぶなら見るな!)」
「もがもが……もがぁ……!(わ、わかった……もう大丈夫だからぁ……!)」
全然大丈夫そうには見えないが……。
案の定、麗奈は五分と経たずに、今度はギギギ……とドアの軋む音がしただけで「ひっ」と肩をびくつかせる。
……いちいち対応するのが面倒になってきたな。
俺は麗奈の背中から腕を回し、自分の胸元へ引き寄せて口を塞いだ。
「もが……!?(ちょっと……!?)」
麗奈が顔を赤くしながら、じたばたと暴れる。
「(お前がうるさいからだろ)」
「もが……もがもが?(でも……抱き寄せられると恥ずかしいのですが……?)」
「(タオルで猿ぐつわにするのとどっちがいいんだ?)」
「……もがもが(……こっちの方がマシです)」
猿ぐつわはさすがにマヌケすぎて嫌だったらしい。
その後も麗奈は何か出てくるたびに悲鳴を漏らし、とうとう涙を浮かべながら、俺の体にぎゅっとしがみついてきた。
「……」
麗奈はすっかり定着したネグリジェ姿だ。薄手で露出が多く、ついでに言うとノーブラで……つまり、胸を押し当てられるとやばい。
別の意味でドキドキしながら画面を眺めていると、ようやく最後のチャプターが終わった。……思ったより長かった。
しがみついたまま動かない麗奈をなんとか引き離し、リモコンで明かりをつける。
「ふわ……そろそろ寝るか」
欠伸をしながら立ち上がると、今まで静かだった姉さんが両手を伸ばしてきた。
「歩、抱っこ……足が動かない」
この人が甘えてくるのはいつものことだが、よく見ると肩が小さく震えている。……そんなに怖かったのか。
「しょうがないな」
姉さんの膝裏と背中に腕を回し、お姫様抱っこで持ち上げる。
そのまま客間へ行こうとすると、くいっとシャツの袖を引っ張られた。見ると、麗奈が拗ねたように俺を見上げている。
「何だよ?」
「私も抱っこ……」
えぇ……。
「いくら何でも二人は無理だ」
「……じゃあ待ってる」
「マジか」
なんて面倒くさいやつだ。……ちょっと可愛いけど。
とりあえず麗奈を残したまま、姉さんを客間へ運ぶ。
布団に下ろした途端、姉さんはタオルケットを頭まで被ってしまった。……うん、まあいいか。
リビングへ戻ると、麗奈はソファの肘置きを枕に、横たわって待っていた。……こいつ、自分で動く気が全くないな。
近づいた俺に、麗奈が両手を伸ばしてくる。
「んー……抱っこぉ」
「はいはい」
苦笑しながらお姫様抱っこで抱え上げると、麗奈は首に腕を回してしがみついてきた。なんか最近姉さんより甘えてくるな……。
客間へ移動し、奥の布団にそっと下ろしてやる。
「じゃあ、おやすみ」
リモコンでオレンジの常夜灯に切り替え、俺も自分の布団に横になった。
……
かすかにシーツが擦れる音がして、目を向ける。
麗奈がそろそろと這うようにして近づいてきた。手をついて前屈みになっているせいで、ネグリジェの胸元が大きく開いて谷間が丸見えだ。
「え、どうした?」
目のやり場に困りつつ尋ねると、麗奈は顔を赤らめ、少し不安げに眉を下げる。
「姫奈がいないから……隣、いいでしょ……?」
「……あぁ、うん」
最初から隣で寝るのか……眠れなくなりそうなんだけど。
麗奈は俺の布団に横になると、じっと上目遣いで見つめてくる。
「……腕枕は?」
えぇ……一晩腕枕はきついな……。
「……ずっとは無理だぞ」
「うん……ちょっとだけ」
縋るように俺のシャツを握る。まあ、こいつが寝るまでならいいか……。
腕を伸ばしてやると、麗奈がもぞもぞと頭を乗せ、満足そうに胸元に頬を擦りつけてくる。
うーん……。
どうしよう……可愛いぞ。




