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68話 恋人スキル

 目を覚ますと、右腕のあたりに妙な重みを感じた。


 姫奈が俺にくっついて、静かに寝息を立てている。


 ……そういえば、昨日からこいつらが泊まってたんだった。


 寝たときは一人だったはずなんだが。いつの間に潜り込んできたんだ?


「おい、なんでここにいる?」


 声をかけてみたが、返事はない。


 仕方がないので、頭を撫でて、頬っぺたを指先で軽くつついてみる。


「むにゃむにゃ……」


 口元を小さく動かしながら、さらに身を寄せてくる。可愛い。


 枕元の時計を見ると、まだ七時前だった。夏休みに起きるには随分早い時間だ。


 二度寝したいところだが、麗奈が今日からご飯を作ると言っていたのを思い出し、姫奈を起こさないようにベッドから抜け出した。


 一階へ下りると、案の定、麗奈はすでに起きてキッチンに立っていた。


 薄手のパジャマの上にエプロンを着け、長い髪をシュシュでポニーテールにまとめている。露わになった白いうなじが、妙に無防備で目を引く。


 麗奈のポニーテール、めちゃくちゃ可愛いな……朝っぱらからうちで朝食を作っている姿も新鮮だし。


「あ、おはよ。どうしたの? ぼけっとして」


 振り返った麗奈に声をかけられ、我に返った。


「いや……その髪型、似合うな」

「えっ……そう? 可愛い?」

「……うん。可愛いよ」

「そっか……えへへ」


 麗奈が頬を赤く染め、照れくさそうに口元を緩める。こいつの顔なんて見慣れているはずなのに、朝から妙に調子が狂う。


「……手伝うよ」

「ありがと」


 麗奈の隣に並び、一緒に朝食の準備を始めた。


「買い物に行くの、夕方頃でいいか?」

「うん!」


 夕方だろうと暑いものは暑い。俺だってあまり外に出たくないのに、なんでこいつは嬉しそうなんだ。


 ちょうど料理を盛りつけ終えた頃、階段から足音がして母さんが起きてきた。


「おはよー。わー、美味しそう! さすが麗奈ちゃん」

「ありがとうございます。でも簡単なものばかりですよ」


 食卓に並んでいるのは、ご飯に豆腐の味噌汁、焼き鮭、卵焼き、おひたしといった、絵に描いたような和食だ。


 うちではもっと手軽な朝食しか作らないからな。


「いただきまーす」


 母さんは手を合わせ、さっそく箸を伸ばした。


 その後、母さんがばたばたと仕事の準備をしていると、ちょうど姫奈と姉さんも起きてきた。


 全員揃って、玄関で母さんを見送る。


「いってらっしゃい」

「あ、歩君のお母さん、行ってらっしゃい!」

「ふふ。はーい、行ってきまーす」


 母さんはご機嫌な様子で手を振り、足早に出勤していった。


 まだ眠そうに目をこすっている姉さんに、麗奈が尋ねる。


「朝ご飯できてますけど食べますか?」

「食べる」

「私も食べます!」


 俺たちはだらだらと、ダイニングへ移動する。


「ていうか、私も起こしてくださいよー。歩君に起こされたかったのにー」


 向かいに座った姫奈が甘えるように文句を言ってきた。


「いつから俺の部屋にいたんだ?」

「朝方くらいですかね。探検気分で楽しかったです」

「そうか。よかったな」

「一緒に寝たら夫婦みたいでしたね!」

「……お前が小学生じゃなければな」

「むー……早く高校生になりたいです」


 不満げに頬を膨らませる姫奈に、その隣にいる姉さんが言う。


「姫奈もこれを着てみる? 大人っぽくなるよ」


 姉さんは昨日着ていた、胸元の開いた黒のネグリジェのままだ。


「マジですか? それ着たら歩君を落とせますか?」

「歩も簡単に落ちる」


 なんでこの人、そんなことを断言できるんだ。


「あとで着てみます!」

「やめろ。お前が着るとなんか見てられない感じになるだろ」

「もっとセクシーなやつの方がいいってことですか?」


 なんでだよ。


「……お前は今着てるパジャマの方が可愛いと思うよ」

「ほんとですか? じゃあこれでいいです。あっ、歩君、今日の夜は一緒にお風呂に入りましょうね」

「一人で入れ」


 ふと横を見ると、麗奈がジト目でこちらを見ていた。俺、悪くないだろ。


 朝食を済ませ、麗奈と一緒に食器を片付けた後、俺はソファに寝転んで英単語アプリを開いた。


 姉さんは「もっかい寝る」と言って二階へ向かい、姫奈はリビングのテレビ台の中をごそごそと漁り始める。


「何か面白そうなゲームがいっぱいありますね」

「昔のだけどな。好きなのやっていいよ」

「はい! あ、これ面白そうです」


 姫奈が選んだのは、有名なシリーズのRPGだった。何作か前の懐かしいやつだ。


 姫奈はさっそくソフトをセットすると、俺の隣に腰を下ろしてコントローラーを握った。


 しばらくすると麗奈がやって来た。


「歩、ちょっと頭を上げて。膝枕してあげるから」

「え? ……あぁ」


 突然の申し出に戸惑いつつも、言われるがまま頭を持ち上げる。大人しく膝枕されておくと、こいつは満足するんだ。


 ソファに腰掛けた麗奈の太ももに頭を預け、英単語アプリを続ける。


「あんた、いつもその英語のやつやってるわよね?」

「まあな」


 スマホをぽちぽちしながら答える。


「なんでそんなに毎日毎日やってるの?」

「そりゃ学力を上げるためだよ」

「学年一位なのに?」

「俺より上の奴なんて腐るほどいるよ。そいつらからすれば、俺がやってることなんて努力のうちにすら入らないかもしれないしな」

「えぇ……私からするとめちゃくちゃ努力してるように見えるけど。クラスの女子たちも、あんたのことガリ勉だと思ってるし」

「そうだろうね」


 休み時間にも勉強してるからな。


「夏休みなんだし、もう少しゆっくりすれば?」

「充分ゆっくりしてるよ。お前こそ普段家事とか大変だろうし、ゆっくりしなよ」

「うーん……じゃあ耳かきしてあげる!」

「なんでだよ」


 意味がさっぱりわからない。


「耳かきどこ?」

「……そこの引き出しにあるけど」


 麗奈はそれを取ってくると、再び俺の頭を自分の太ももに乗せた。


「じゃあ横向いて。じっとしててね」

「……はい」


 大人しく体勢を横向きに変える。


 スマホを操作しようとすると、すかさず麗奈に取り上げられた。


「おい」

「耳かき中はスマホ禁止。ゆっくりしなさい」

「……はーい」


 まあ、たまにはいいか。


 何となく目を閉じると、パジャマ越しに太ももの温もりと柔らかさが伝わってくる。


 カサ、コソ……と、耳かきが耳の奥を撫でる。


「痛くない?」

「……いや、大丈夫」


 うん……これはくせになるかもしれない。


「お姉ちゃんって、家事スキルだけじゃなくて、恋人スキルも高かったんですね……」


 姫奈がぽつりと呟く声が聞こえてきた。


 もう本当に恋人でいいんじゃないか? こんなに恋人っぽい奴もなかなかいないだろ。

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