67話 夏休み突入
夏休みに入って三日。
特別なことは何もなく、俺は勉強したり、家事をしたり、甘えてくる姉さんの相手をしたりと、普段と変わらない日常を過ごしていた。……のだが。
朝食後、ソファに寝転がって英単語アプリをぽちぽちやっていると、洗いものを終えた母さんが近づいてきた。
「そういえば、今日から麗奈ちゃんと姫奈ちゃんをうちで預かることになったわよ」
「……えっ?」
画面をタップしていた指がピタリと止まる。
「……何で?」
「剛士さんが明日から出張で、その間、娘二人だけになるのが心配なんですって。じゃあうちで預かりましょうか? って言ったの」
……母さん、おっさんと連絡を取ってるのか。
「……出張って何日くらい?」
「二週間だそうよ」
微妙に長いな。まあ、そういう事情なら仕方がないが……
前に子供会議とやらでいざとなったら一緒に暮らそうという話になっていたが、まさかこんなに早く現実になるとは思わなかった。
「夕方頃に来るそうだから」
それだけ言うと、母さんは鼻歌交じりに客間の掃除を始めた。
※※※
夕方五時過ぎ。ピンポーンとチャイムが鳴った。インターホンの画面を見ると、麗奈たちの姿が映っている。
「麗奈たちが来たから出るよ」
夕飯の支度をしている母さんに一声かけてから、玄関へと向かう。
扉を開けると、舞岡家の三人が立っていた。娘二人は大きな鞄を持っている。
「「今日からお世話になります」」
麗奈と姫奈が揃って頭を下げる。
「あぁ、いらっしゃい」
「おう歩、すまんが俺が出張の間二人のことを頼むぞ」
「わかったよ」
「言っておくが、くれぐれも麗奈には手を出すんじゃねえぞ?」
「……」
偉そうなおっさんを、思わず睨む。そんなことを警戒するくらいなら、男がいない家にでも預ければいいだろ。
「まあ最悪麗奈には手を出しても姫奈には絶対手を出すなよ? いいな?」
「出すわけないだろ」
この親父、俺をどんな目で見てるんだ。
「ちょっと、何で私ならいいみたいに言うのよ!」
「いや、だってお前の彼氏だろ!」
「……そうだったわね」
「私は別におっけーですけどね」
やめろ。お前がそういうことを言うから、おっさんが余計な警戒をするんじゃないのか。
「そんなことより、おっさん」
「ん? 何だ?」
「まずなんであんたが母さんと連絡を取ってるのかを聞こうか」
「っ……」
おっさんの目が泳いだ。
「いや……この前夕飯をご馳走になったときに、何となく成り行きで、ちょっとな……」
「ちょっとな、じゃねーわ。あんた自分の娘に手を出すなとか言うくせに、人の母親には手を出すのか?」
「お前らはまだ子供だろ! こっちは大人だぞ!? 全然立場が違うだろ!」
「娘が他の男に取られるのは普通の話だけど、母親が他の男に取られるのはあんまりないだろ!」
「た……確かに!」
おっさんが少したじろぐ。
「えーっと……それはだな……」
必死に言い訳を探すおっさんを睨みつけていると、姫奈が俺のTシャツの裾をくいくいと引いた。
「何だよ?」
「歩君、あの話を忘れたんですか?」
「……? あの話って?」
俺が聞き返すと、姫奈は「マジか」と言わんばかりに眉をひそめ、ちょっとちょっとと手招きしてきた。
言われるがまま少し身をかがめ、耳を寄せる。
(お父さんと歩君のお母さんをくっつけてもいいって言ってたじゃないですか)
(……そうだった。忘れてた)
姫奈のシミュレーションだと、万が一母さんが変な男とくっついてしまうと、何だかんだで俺が犯罪者になった上、刑務所でゴリラにいじめられて、とんでもない人生になるんだった。
俺はすっと体を起こし、おっさんに向き直る。
「あー……おっさんごめん。とりあえずお互い様ってことにしないか?」
「お、おう。そうだな!」
俺とおっさんは固く握手を交わす。交渉成立だな。
「いやお互い様って……私を差し出すみたいな……」
麗奈が唖然と呟く。……確かにそんなニュアンスだったかもしれない。
「……まあとにかく入ってくれ」
俺は小さく息を吐きながら、三人を中へと促す。
すると、料理がひと段落したのか、母さんがキッチンから出てきた。
「いらっしゃい。待ってたわ」
母さんが笑顔で迎えると、麗奈と姫奈がぺこりと頭を下げる。
「こ、こんにちはです」
「こんにちは。これからお世話になります」
「はい。遠慮せずに上がって。これから夕飯だから一緒に食べましょう」
姫奈はやはり母さんに対して少し緊張しているみたいだ。まあしばらく一緒に暮らしていれば慣れるだろう。
「私の出張の間、娘たちを預かっていただいて、本当にありがとうございます。ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません。おかげさまで、安心して仕事に行くことができます」
「いえいえ、ご丁寧にありがとうございます。どうぞお気遣いなく。こういうときはお互い様ですし、うちは大歓迎ですから」
大人たちが礼儀正しく挨拶を交わす。この親父、俺に対する言い草と全然違うな。
「じゃあ俺が客間に案内するよ」
「お邪魔します」
「お、お邪魔します!」
二人が靴を脱いで、家に上がってくる。
「剛士さんもせっかくなので食べて行きますか?」
「え、いいんですか?」
「もちろんですよ。多めに作りましたし」
「それじゃ、ご馳走になります!」
ふと、よからぬことが頭をよぎった。
この親父、まさか娘二人をうちに預けて、既成事実を作ろうとしているんじゃないだろうな? 一緒に暮らしている間にいつの間にか家族みたいになり、じゃあ本当に家族になりますか、とかいうパターンだ。まあ二人を応援する立場だから、それでもいいんだけど……
いや、待てよ? もしそうだとすると、このお泊まりを企んだやつが、おっさん以外にもう一人いる気がする。
ちらっと横を見ると、姫奈がにっこり笑ってピースサインを向けてきた。え、マジでお前の発案なの? ていうか今俺の思考を読んだの? 恐ろしいな、この小学生。
夕飯をみんなで談笑しながら食べ終えると、おっさんは「じゃあ二人をよろしくお願いします!」と言って帰って行った。
※※※
和室に、二組の布団を並べて敷く。
俺と麗奈は布団を挟んで向かい合い、シーツの端をピンと引っ張った。
「……まさかこんなことになるとは思わなかったわ」
麗奈がシーツのシワを伸ばしながら、ふうとため息をついた。
「……よかったのか? うちに泊まることになって」
「私は二人だけでも大丈夫だって言ったんだけど……姫奈が結構嬉しそうだったから」
「そうか」
おっさんと母さんをくっつける策略かと思ったが、単純にうちで過ごすのが楽しみだったのかもしれない。そういえば、前に一緒に暮らしたいとか言ってたしな……
「楽しそうっていうのもあるんだろうけど、あんたのお母さんもいるじゃない?」
「……そうだな」
「それに、お父さんが私たちをここに預けたのも、同じ理由だと思うのよね」
「それは、俺もそうかなって思ったよ」
なぜわざわざ娘の彼氏なんかがいる家に二人を預けたのか? それは、『母さん』がいるからだ。
「あんたこそ、私たちが泊まってもよかったの?」
「まあ、お前ら二人だけだと俺も心配だからな」
「そ、そっか……」
麗奈は頬を赤らめ、嬉しそうに口元を緩める。
「……よく考えたら私も好都合だったかも」
「え、何が?」
「勉強を教えてもらったお礼に、あんたに美味しいものをいっぱい作ってあげようと思ってたの。でもあんた全然うちに来ないじゃない? だからここに通わないといけなくなるところだったのよね」
「……」
可愛いし気持ちは嬉しいが……少し怖いと思うのは俺だけだろうか。大体、夏休みに入ってまだ三日しか経ってないし。
「それにしばらくここに泊めてもらうわけだし、明日から私がご飯を作ろうと思うんだけど、どう?」
「まあ、作ってくれるんなら全然お願いしたいけど」
料理に関してはこいつに任せれば間違いないしな。
「じゃあ後で調理器具とかの場所を教えてよ」
「わかった」
布団の準備を終えると、麗奈をキッチンへ案内し、調理器具や調味料の場所を一通り教えた。
「冷蔵庫の食材も自由に使っていいけど……」
扉を開けて中を確認する。
「あんまり入ってないから、明日買い物に行ってくるよ」
「私も行く!」
「……いいけど、暑いぞ」
「買い物くらい大丈夫よ。それに私も一緒に行った方が選びやすいし」
料理をするのは麗奈だし、確かにその方がいいかもしれないな。
そこへ、ぱたぱたと足音がして、風呂上がりの姫奈がやってきた。
「歩君見てください! このパジャマ可愛くないですか!?」
姫奈が着ていたのは、ピンクのフリルがついた涼しげな夏用パジャマだった。
「めちゃ可愛いじゃん」
「わーい!」
嬉しそうに抱きついてくる姫奈。やけにテンションが高い。まあ、お泊まりの初日だからな。
と、今度は大人っぽい派手なネグリジェ姿の姉さんがやって来た。
「うわっ……お姉さんの格好、凄いわね……いつもこんな感じなの?」
「いや、いつもではないな。下着だけのときもあるし」
「今日のがまだマシだった!?」
麗奈が戦慄していると、姉さんはなぜか手に持っていた、別のやたらと薄っぺらいネグリジェを広げて見せる。
「麗奈も着てみる? いくつかあるから」
「大丈夫です。私にはまだ早いです」
麗奈は綺麗に頭を下げた。
……また姉さんの発作が出たな。この人、なぜか自分の特殊な嗜好を人にも勧めたがるんだ。




