60話 猫被りカップルじゃん【北原美紅視点】
プリクラ機になだれ込んで大騒ぎした後、レーシングゲームやガンシューティングゲームなどを楽しんだ私たちは、エアホッケーに場所を移していた。
舞岡さんが無双している。この人、反射神経がヤバいんだけど。
対戦相手の三島君と相葉君は悔しそうだ。
みんなが盛り上がる中、不意に裕太がその場を離れる。御手洗いだろうか。
私は裕太を追いかけ、声を掛けた。
「ねえ、裕太。そろそろ休憩しない? ちょっと疲れたし」
「あー……そうだな。どうする? マックとか行くか?」
「うん。でも舞岡さんたちにも聞いてみないと」
「じゃあ聞いといてくれよ。ちょっとトイレ行ってくるから」
そう言って、裕太はトイレの方へ足を向ける。
直後、誰かの声が彼を呼び止めた。
「藤崎……!」
私と裕太が同時に振り返る。
そこに立っていたのは、別の高校の制服を着た男子生徒だった。短めの金髪を立たせ、いかにも近寄りがたい、不良っぽい見た目。
一瞬身構えてしまうが、よく見れば、私と裕太の中学の同級生だ。
「おぉ、吉沢じゃん!」
「……久しぶりだな」
懐かしい友人との再会に、裕太は思わず顔を綻ばせる。
対して、吉沢の方は何だか浮かない表情だ。時折値踏みするような、刺々しい視線を私へ向けてくる。
「何か不良っぽくなったなー。向こうにいるのってお前の連れ?」
「ん、あぁ、そうだよ」
2人の視線の先には、吉沢と同じ制服を着た男女のグループがゲームに興じている。みんな髪が明るくてチャラそうだ。私も見た目だけは人のことを言えないけど。
「そっか。今日はあれだけど、また機会があったら一緒に遊ぼうぜ」
裕太は話を切り上げ、その場を離れようとする。あまり長く内輪で話すのも、お互いのグループに悪いと思ったのだろう。
しかし吉沢は、その場から立ち去ろうとはしなかった。再び裕太の隣に立つ私を冷たい目で一瞥すると、どこか不機嫌そうに顔を顰め、裕太へと視線を戻す。
「お前、香澄は?」
「え?」
唐突に飛び出した名前。
裕太は質問の意図がわからないというように眉を寄せる。
「香澄って、森下さんのことか?」
「あぁ」
「いないけど。俺も同じ学校の友達と来てるんだよ。森下さんとは、最近は連絡も取ってないし」
森下香澄ちゃんは、私たちと同じ中学の、男子に人気だった同級生だ。確か、少し離れたところにある私立高校へ進学したはずだ。
「……別れたのか?」
「え? 何が?」
「お前、香澄と付き合ってたんだろ? ……陰でこそこそと……ったく……」
吉沢が不快そうに小さく舌打ちする。え? 裕太が香澄ちゃんと付き合ってた? それはないでしょ。
再会を懐かしむような雰囲気は消え去り、ピリピリとした良からぬ気配が漂い始める。
「いや付き合ってねえし。言ってる意味がわかんないんだけど」
だよね。だって裕太、彼女できたことないし。
「はっ、まだ隠すのかよ。こっちはナベたちから聞いて知ってんだよ」
「だから知らねえって。何の話だよ?」
トゲのある物言いで尋問を繰り返す吉沢に対して、裕太も不満げに声を尖らせる。
吉沢のグループの女子たちも、不穏な空気に気付いたのか、ちらちらとこちらの様子を窺っている。
「いい加減正直に言えよ!」
「お前こそ、さっきから何言ってるかわかんねえっつの」
「ふざけんなよお前……!」
感情を抑えきれなくなった吉沢が、裕太の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっ、やめてよ! 何してんの!?」
突然のことに、私は焦りながら声を上げる。
「あんた何揉めてんのよ!」
吉沢のグループの女子たちも、慌てて駆け寄ってきた。
しかし、頭に血が上っている吉沢の耳には、私たちの声は届いていないようだ。
「友達だと思ってたんだぞ!」
「放せって! 何キレてんだよっ」
「てめえ!」
吉沢がぎりっと奥歯を噛み締め、拳を握りしめる。
その腕を、いつの間にかそこにいた三島君が掴んだ。
「暴力はやめなよ」
彼の表情には、普段教室で見せる爽やかな笑みはなかった。
「あ? 何だよお前……!」
「殴ったってしょうがないじゃん。こいつの話を聞けよ」
「……っ」
周囲からは、相変わらずゲームセンターの能天気な電子音が鳴り響いている。
私は驚愕し過ぎて固まっていた。
三島君は、普段は物静かで、毎日教室の端っこの席で教科書を広げているような男子だ。そんな彼が、暴力を振るおうとする他校の男子を相手に、冷静に対処しようとしている。
私だけじゃない。胸倉を掴まれたままの裕太も、吉沢グループの女子たちも、固唾を呑んで成り行きを見守っている。
そんな重くなった空気を壊すように、舞岡さんが三島君の背中をぽんぽんと叩いた。
「こらこら。あんた怒ると恐いんだから、落ち着きなさい」
彼女は少し呆れたような、宥めるような視線を彼へ向けている。え、三島君って怒ると恐いタイプの人なの? マジ?
舞岡さんの背後には、ゲームを切り上げてきた相葉君や平木さんも集まっている。
「俺はこいつを止めただけだろ」
三島君は吉沢の腕から手を放し、不満そうに答える。あれっ、今更だけど、この人、一人称を俺って言ってたっけ?
「吉沢、あんたもやめなさい」
「……あぁ」
身内の女子からも強い口調で咎められ、吉沢は気まずそうに裕太の胸倉から手を放した。どうやら少しだけ頭が冷えたみたいだ。
裕太はシャツの襟元を整えながら、ほっと一息吐く。
「……で? 何を怒ってんだ? ちゃんと話せよ」
吉沢はばつが悪そうに視線を泳がせる。私たちや彼のグループの面々が見守っているのを確認すると、まるで言い訳をするかのように、ぽつりぽつりと話し始める。
「いや、だから……前にさ、相談とかしてただろ……? その、香澄のこと……」
「あぁ……あったな」
「それなのに、ナベたちが……お前と香澄が付き合ってるとか言ってたから……」
「はあ?」
「まあ、それも仕方ねえとか思ってたんだけど、それならそうと言ってくれればいいじゃねえかって」
「いや、マジで俺は森下さんとは付き合ってないし。なんでそんな話になってんの……?」
降って湧いたような濡れ衣に、本気で困惑する裕太。
そんな彼の反応を目の当たりにして、吉沢の顔に戸惑いの色が浮かぶ。
「……本当に付き合ってねえのか?」
「本当だって」
「じゃあ何でナベたちはそんなことを言ってたんだよ?」
「俺にもわかんねえよ……」
吉沢は落ち着きを取り戻したものの、未だに腑に落ちないという表情だ。きっと、彼は、今日までずっと胸にもやもやを抱えて過ごしていたのだろう。
一方の裕太からすれば、完全に寝耳に水だ。ただの、吉沢たちの勘違いに過ぎない。
私の脳裏に、中学時代の記憶が浮かぶ。噂が間違いだと知っていたのに、何もせずに聞き流した。
あのときの後悔が、私の胸の奥で警鐘を鳴らしている。
ここにいるのは、吉沢や彼のグループの女子たちだけじゃない。舞岡さんや平木さんたちだっている。
このままだと、また裕太が誤解されたままになるかもしれない。
「裕太の言ってることは本当だよ」
裕太と吉沢が驚いたように私を見る。みんなが私に注目している。
ここだけは、絶対に私がちゃんと言わなきゃ。
「香澄ちゃんのことを好きな男子は他にもいたの。何人かが告白して振られたのも知ってるし……裕太は香澄ちゃんと同じ委員とかでよく話してたじゃん? だからあいつら、裕太と付き合ってるんじゃないかって勝手に噂してたんだよ!」
私は精一杯捲し立てた。
裕太が隠れて誰かと付き合ったりするような器用な奴じゃないことも、友達を裏切るような奴じゃないことも、私は知っている。間違っているのは、無責任に周囲が広める噂の方なのだ。
張りつめていた空気が、今度こそゆっくりと弛緩していく。
吉沢グループの女子たちも、脱力した表情に変わる。
「何だよ……お前、そんな適当な噂を真に受けて、あんなにキレてきたのか?」
話が食い違う理由を理解し、裕太も呆れたような視線を吉沢へ向ける。
吉沢は裕太と私を交互に見やると、やっと自分の勘違いだと察したらしく、申し訳なさそうに目を伏せた。
「…………悪い……何か裏切られたような気持ちになって、つい……」
裕太はもう一度、小さく溜め息を吐いた。
「……とにかくそんな事実はないし、ナベたちにも言っといてくれよ」
「あぁ……てか、その子、もしかして北原か?」
「っ!? そうだよ! えっ、今気づいたの!?」
私のことわからなかったの!? 確かにギャルメイクしてるし、吉沢とは大して仲が良かったわけでもないけどさぁ。
あっ、だからさっき睨んできたの? 裕太の新しい遊び相手だとか思って。
吉沢は驚いたようにまじまじと私を眺めると、はっと目を見開いて視線を裕太へ戻す。
「お前、もしかして……」
その瞬間、裕太が頬を赤く染めながら、慌てて私の背中を押してくる。
「さっ、誤解は解けたし、今日はこの辺で解散しよう! 俺たちはもう行くから! じゃあまたな、吉沢!」
「お、おう」
え、急にどうしたの? 何か焦ってる感じだけど。
立ち尽くす吉沢を置き去りにして、私たちはその場を離れる。
その後、今日のところはこれで解散しようという空気になった。
少し早いかなと思ったけど、そう言えば三島君は、舞岡さんの家に何か食べに行くって言ってたんだった。
※※※
自宅が同じ町内にある私と裕太は、2人並んで、駅のホームで電車を待っていた。
「さっきありがとな」
裕太が前の線路の方を向いたまま、不意に呟いた。
「あー、うん。別に、本当のこと言っただけだし」
「そっか」
まさか面と向かってお礼を言われるとは思っていなくて、声が少し上ずってしまった。胸の奥が、じんわりと温かい安堵で満たされていく。
裕太は少しだけ気恥ずかしそうにしながら、話を切り替える。
「三島君って普段大人しいけど、話すと結構面白いな」
「クレーンも上手いしね。めっちゃ見直したもん!」
私はぬいぐるみの入った袋に目を落とし、それから裕太へ微笑みかけた。
すると、彼は目を逸らし、ぼそっと小さく呟く。
「……俺も練習しよかな」
「え? 何?」
周囲の喧騒のせいで聞き取れず、私は小首を傾げながら聞き返す。
「……何でもない。てかあの人、ちょっとカッコいいところもあるよな。吉沢のことも冷静に止めてたし」
「そうだね。私もびっくりしたよ」
能天気に三島君のことを褒める裕太にそう答えながらも、私の脳内には、一つの確信めいた疑惑が浮かんでいた。
あの人、絶対猫被ってるでしょ。舞岡さんもそうだし、猫被りカップルじゃん!




