53話 それって……【麗奈視点】
ローテーブルの中央に据えられたお鍋から、食欲をそそる香ばしい湯気が立ち上っている。
私と歩が並んで座り、向かい側に楓さんと姫奈。私の左側の短辺には、さっきから上機嫌で楓さんとお喋りを楽しんでいるお父さん。その対面には葵さんが座っていて、さっきからひたすら箸を動かしている。
このメンバーでご飯を食べているのが、何だか不思議な感じがする。
なごやかな雰囲気で、居心地は悪くない。
タレの染みたお肉を小鉢の溶き卵に浸し、口へと運ぶ。美味しい。三島家のすき焼きの味、好きかも。
テーブルの上には、メインのすき焼き鍋と白ご飯のほか、マグロやイカのお刺身や、たたききゅうりの梅和えが並んでいる。
これらの一品料理はおつまみにも適しているらしく、お父さんのお酒がいつもより進んでいる。
「歩、お肉をもっと入れて」
「よし、おっさんが買ってきた高級肉を追加しよう!」
「おう! 好きなだけ入れろ!」
葵さんに催促され、歩が肉を鍋に入れていく。
お父さんは豪快に笑いながら、ビールを煽る。この人、もう軽く酔ってきてるな……何かテンションが高いし。
隣にいる楓さん、美人だしね。聞き上手だし。
私は少し緊張するなぁ。歩のお母さんだってこともあるけど、優しそうな理想のお母さんっぽい感じだから、余計に気後れしてしまう。
姫奈もさっきから大人しい。顔を真っ赤に染めたまま、まるで小動物みたいに縮こまっている。
「うちの子たちったら……いつもこんな風にお世話になってるんですか? もしかして失礼な態度を取ってるんじゃ……」
「いえいえ。歩君も葵さんもとっても良い子ですよ。よっぽどお母さんの教育が良かったんですな!」
「それならいいですけど……」
お父さん、普段は歩に対してほとんど悪態しかつかないくせに、調子の良いことを……
でも、お互いの親同士が楽しそうに笑い合っているのは、素直に良かったな。
そんな風に食事が盛り上がる中、私は歩のTシャツの裾を引いた。
「ねえ……実は、私も作ってきたものがあるんだけど……」
「え、そうなの?」
「うん。これ……」
そばに置いてあった保冷バッグを開いて見せる。中には慎重に重ねたタッパーが収まっている。
「テリーヌなんだけど……」
「えっと……よくわからないから、一緒にキッチンへ行って、皿に盛り付けるか?」
「うん!」
保冷バッグを手に、私たちは静かに立ち上がった。
「何? 2人してどうしたの?」
楓さんが微笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「麗奈が作ってきてくれたものがあるみたいだから、お皿に盛り付けてくるよ」
歩がそう答えて、私たちは並んでキッチンへと向かった。
「皿は2枚でいいか?」
「うん」
歩が食器棚からお皿を取り出し、まな板の横に並べた。
リビングの賑やかな声が、少しだけ遠くに聞こえる。
急に訪れた2人きりの時間。言葉にできない心地よさと、ほんの少しの甘い空気に包まれる。
私はタッパーから慎重に中身を取り出し、まな板に置くと、包丁で6等分に切り分けた。
まずは綺麗なピンク色をしたサーモンのテリーヌを皿に一切れ乗せる。それに少し重ねるようにして、色とりどりなモザイク模様の野菜のテリーヌを一切れ置く。
それを一皿に3人分、交互に並べ、もう一皿にも同じように乗せていく。
仕上げは小さな容器に分けて持ってきた特製のトマトソースだ。少しレモンを利かせて、さっぱりとした味に仕上げてある。
お皿の余白に真っ赤なソースをぽつんと落とし、スプーンの裏側を使って、撫でるように円状に広げる。
よし、これで完成。
「これは……凄いな。本格的過ぎるだろ」
隣で眺めていた歩が、感嘆の息を漏らした。その眼差しに、私の胸が得意げに高鳴る。
2人で出来上がったお皿をリビングへ運び、テーブルの空いたスペースに置いた。
「えっ、これ、もしかしてテリーヌ!? 麗奈ちゃんが作ったの!?」
「あ、はい……」
「……凄いわね。フレンチのコース料理に出てきそうだわ」
楓さんも信じられないといった様子で目を丸くさせる。
「お口に合うか分かりませんが……よかったらどうぞ」
「じゃあ、頂くわね」
楓さんがテリーヌを一口サイズに箸で切り分け、口へ運んだ。彼女が咀嚼する間、私は生唾を呑みながら見守る。
「美味しい……!」
楓さんはぱっと顔を輝かせ、驚きと感動の混じった笑みを溢した。やった! 高評価だ。
「美味い! さすが麗奈」
「そう? 良かった」
歩も一口食べると、いつものように、言葉を飾らずに褒めてくれた。そういうふうに真っ直ぐに言葉にしてくれるところはちょっと好き。
葵さんも顔を綻ばせながら、夢中で箸を動かしている。どうやら口に合ったみたいだ。
その後も、楓さんは、やたら上機嫌でビールを煽り続けるお父さんの相手をしながら、合間にテリーヌを口へ運んでは「ほんと美味しいわ」と優しく微笑んでくれた。
「ふふ、料理上手な彼女で良かったわね、歩」
「うん……まあね」
彼のお母さんに公認の恋人として扱われ、嬉しさと気恥ずかしさで、胸がいっぱいになる。
私は「えへへ……」と愛想笑いを浮かべながら、熱くなった頬を掻いた。
「あ、この前歩が持って帰ってきたオムライスも、とても美味しかったわ」
「ほんとですか? それなら良かったです」
「いやー、こいつは料理だけは得意で! はっはっは!」
お父さんうるさい。
※※※
和気藹々と食事が進む中、姫奈はずっと静かだった。
顔を赤く染めながら、時折、隣に座る楓さんの横顔をちらちらと盗み見ている。余程気になるのだろう。
「ねー姫奈ちゃん、抱っこしたげよっか?」
突然、楓さんが思いついたようにそんなことを言い出した。この人もすでに酔っているのかもしれない。顔がふにゃりと柔らかく緩んでいる。
「うえ!? な、何でですか!?」
「何となく」
「いや、そんなっ、子供じゃないので……!」
「私のこと、怖い?」
「い、いえっ、そんなことはないです!」
姫奈が顔を真っ赤にしながら、ぶんぶんと首を横に振る。
「とりあえず1回だけ抱っこして貰えば?」
彼女の様子を見かねたのか、歩が横から口を挟む。
「歩君!? 何を馬鹿なことを……!」
「いいからやって貰いなさい」
「…………はい」
葵さんの一言で、姫奈は素直に頷いた。あんたも葵さんには弱いわね……
姫奈は肩を強ばらせながら、ちらちらと楓さんに視線を送る。
「良い子だからおいでー」
「っ……」
楓さんがまるで子猫を呼ぶみたいに優しく声を掛けながら、両手を広げる。
姫奈はもじもじと躊躇いがちに楓さんとの距離を詰めていく。
「っ!?」
その瞬間、楓さんがガバッと腕を伸ばし、姫奈を抱き寄せた。
抵抗する間もなく、姫奈の顔が楓さんの豊かな胸にすっぽりと埋まる。
「よしよし、良い子ねー」
「っ〜~!?!?!?」
楓さんが愛でるように優しく髪を撫でると、姫奈は全身に電流が走ったみたいに硬直し、動かなくなった。
伏せられた髪の隙間から覗く耳が、真っ赤に染まっている。
胸が締め付けられる。姫奈の胸の内で吹き荒れる感情の嵐が、痛いほど伝わってきた。
こんな優しいお母さんが、当たり前のように傍に居る歩のことを、私も少しだけ羨ましいと思ってしまった。
けれど同時に、私はある一つの事実に思い至る。歩と葵さんには、逆に父親がいないのだ。そして、2人がうちのお父さんに対して、どこか懐くような、好意的な態度を取っていることも、何となく気付いていた。
そうか……だからいつも、2人は何だかんだ言いながら、お父さんの相手をしているのか。無理矢理付き合わされてるんだとばかり思ってたけど、そうじゃなかったのかもしれない。
「あ、歩君のお母さん……ちょっと苦しいです……」
「ふふ、ごめんね」
苦しげながらも嬉しそうな抗議を受け、楓さんは微笑みながら、腕の力を緩める。
「あ、姫奈ちゃん、長かったら、私のこと名前で呼んでくれてもいいわよ。何なら今日だけはお母さんと呼んでくれてもいいし」
「マジですか!?」
衝撃を受けたように、顔を真っ赤にして楓さんを見上げる姫奈。楓さん、めちゃくちゃ友好的だなぁ……
そんな微笑ましいやり取りを温かい気持ちで眺めていると、
「えっ、それって……」
お父さんが胸を押さえながら、まるで少女漫画のヒロインみたいに頬を染めて、ときめいたような顔を楓さんに向けていた。……何勘違いしてんの、この親父。
「それって、じゃねーわ」
そんなお父さんを冷ややかなジト目で一蹴する歩。声のトーンが低すぎて怖い。
やがて、姫奈はいつの間にか、楓さんの衣服をぎゅっと掴み、しがみつくような体勢になっていた。よほど彼女の腕の中が、居心地が良いのだろう。
「いやー! 甘えん坊の娘で申し訳ないですな! はっはっは」
「いえいえ。うちの子たちは全然甘えてくれないので、むしろ嬉しいですよ」
楓さんは微笑みながら、腕の中の姫奈を愛おしそうに撫で回している。
葵さんは、歩にはめちゃくちゃ甘えてますけどね。
年相応の子供の顔に戻り、幸せそうに楓さんに身を委ねている姫奈の様子は、見ていて本当に微笑ましい。
歩のお母さんが、こうやって愛情を向けて可愛がってくれる人で、本当によかったと思う。
この温かい夕食会に、私は心から感謝した。




