51話 ありがたいことですね
自動ドアが左右に開き、スーパーの店内へ足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれる。
俺と姫奈はそのまま色鮮やかな生鮮食品が並ぶ青果コーナーへと向かった。
夕飯時を控えた時間帯の店内は、ピーク時ほどではないにしろ、買い物客はそれなりに多く、カートの車輪が立てるガラガラという音があちこちに響いている。
「人参とキャベツと……」
俺がカートを押し、すぐ隣を、姫奈が小さなメモ用紙を見ながら歩く。
彼女の指示に従って、俺は食材を次々とカートの籠へ放り込んでいく。
「──アスパラガスとヤングコーンとカリフラワーとオクラとズッキーニとトマトとほうれん草と……」
「多いな! どんだけ野菜を買うんだ!」
「あ、それだけです。あとはサーモンと卵です」
「え、野菜以外それだけ?」
「みたいですね」
新たに野菜料理にでも凝るつもりだろうか。何を作るのか見当もつかないが、健康的なメニューが出来上がりそうだ。
野菜エリアを抜け、続いて鮮魚コーナーへと進む。姫奈は上機嫌で俺の隣を歩いている。
「ところで歩君、こうしてると私たち新婚夫婦みたいですね」
「そうだな。お前が小学生じゃなければな」
「じゃあカップルって感じですかね?」
「兄妹とかじゃないか?」
「歩お兄ちゃん!」
姫奈が嬉しそうに顔を綻ばせ、俺の腕にぎゅっとしがみついてくる。可愛い。
そんな風に、微笑ましい年の差兄妹のごとくじゃれ合いながら、サーモンのパックを選び、籠へ入れる。
その直後のことだった。
「「あ……」」
腕にかかっていた重みが急に消え、姫奈の足がピタリと止まった。
彼女の視線の先には、姫奈と同年代と思しき1人の少年の姿があった。
お互いに知り合いを発見したような反応をしているので、おそらく同級生だろう。
どこかふてぶてしさの残る顔立ちをしたその少年は、偶然姫奈と遭遇した嬉しさを隠しきれない反面、どう接していいかわからないといった戸惑いの表情を浮かべている。
少年の少し向こうでは、彼の母親らしき女性が、カートを押しながら、真剣な目付きで食材を選んでいた。
「行きましょう、歩君」
「え? お、おう」
姫奈はふいっと少年から顔を背け、俺の腕を引いた。そして何事もなかったかのように、少年の目の前を通り過ぎていく。あれ? 声くらいかけないのか。
「あっ、おい……」
すれ違いざまに少年が呼び止めようとするが、姫奈に立ち止まる気配はない。
「なあ、あいつ、知り合いじゃないのか?」
「いいんです」
姫奈の小さな唇は固く結ばれ、その表情には明確な拒絶の意思が宿っている。どうやら彼女はあの少年に対して、良くない感情を抱いているらしい。
この場で事情を問い詰めようとも思えず、俺は黙ってカートを押し、姫奈の後ろを付いていく。
「ちょっと待てって! お前何で最近俺を無視するんだよ!」
少年は食い下がるように、素早く俺たちの前に立ち塞がった。
なるほど。最近姫奈のやつ、ずっとこうなのか。
どうやら彼はそのことが納得出来ないようだ。姫奈に好意でもあるのかもしれない。可愛いからな。
一方姫奈は、うんざりとした様子で彼を見据える。
「見てわかりませんか? 今彼氏とお買い物デート中なんですよ。邪魔しないでくれます?」
「「えっ……」」
少年も絶句しているが、俺の方はさらに驚いた。何を口走ってるのこの子。
「か、彼氏ってこの人が……? この人、高校生くらいじゃないのか……?」
「そうですよ。私、年上が好きなんです。あとこの人も年下が好きです」
「はあ? お前の年上好きはいいとしても、こいつはロリコンじゃねえか!」
「そうですよ。ありがたいことですね」
あろうことか、俺へのロリコン疑惑を事も無げに肯定する姫奈。嘘だろお前……
俺は天を仰いだ。
こいつ、やっぱり麗奈の妹だ。こんなのあいつの嘘告白とほぼ同じじゃないか。しかも勝手に小学生の彼氏にされた分、姉よりたちが悪いかもしれない。
ちらっと視界の端に入った少年の母親に目を向けると、彼女は眉間に皺を寄せ、信じられないものを見るような目で俺を見ていた。……最悪だ。
「とにかく、馴れ馴れしく外で話しかけないでください。デートの邪魔ですし、彼氏に勘違いされてしまいます」
姫奈は妙にリアリティのある台詞を吐きながら、俺の腕をこれ見よがしに抱きかかえる。あー、それそれ。姉と全く同じ行動だわ。完全に被ったわ。
「さあ歩君、早くうちに帰っていちゃいちゃしましょうね。そろそろ大人のキッスも教えて欲しいなぁ。それでは佐々木君、さようなら」
姫奈は再び俺の腕をぐいっと引いて、唖然と立ち尽くす佐々木君とやらの横を通り過ぎた。
俺のテンションはだだ下がりである。……これは酷い……もう無茶苦茶だ。
俺は佐々木君の母親からの刺すような視線を浴びながら、姫奈に引かれるまま、とぼとぼとついて行く。
ふと振り返ってみると、佐々木君はショックのあまりか、魂が抜けたようにその場に佇んでいた。
何となく同情はするが、俺は当然ながら全面的に姫奈の味方である。俺には何もできない。
※※※
買い物を終え、レジ袋を両手に下げて、スーパーの自動ドアを出る。
夕暮れ時の穏やかな風が吹き抜ける中、隣を歩く姫奈の横顔には、未だに不機嫌そうな空気が纏わりついている。
「あいつと何かあったのか?」
このまま無言で帰宅するのも落ち着かないので、軽く探るように尋ねてみた。
姫奈はほんの少し眉を寄せる。
「……別に大したことはないんですけどね」
「それにしては結構な拒絶の仕方だったけどな。俺も巻き込まれたし」
「あはは、そうですね」
彼女の口から漏れたどこか乾いた笑い声が、生温い空気の中へ寂しげに溶けていく。
やがて、姫奈はこちらを見ることもなく、ぽつぽつと話し始めた。
「少し前に、授業参観があったんですけど……」
「ほう」
「『お前のお母さん来てる?』って聞かれて、『来ない』って答えたら、『いいよなー』って言われて……何かもの凄くムカついたんですよね……」
姫奈は歩く先を見つめながら、小さく溜め息を吐いた。
彼女の吐露した言葉の重みに、胸の奥がちくりと痛んだ。
舞岡家には母親がいない。そして、うちには父親がいない。
親が欠けている環境で暮らす、言葉にできない寂しさや、他人の無遠慮な言葉に心を抉られる感覚を、俺は人一倍知っている。彼女の行き場のない苛立ちは、痛いほどよく分かる。
「まあ私の家のことなんて佐々木君は知らないですし、悪気がないのはわかるんですけど……何か相手をするのが馬鹿らしくなって避けてしまうというか……」
「……ふーん」
姫奈の言う通り、きっと彼の発言に悪気はなく、彼も悪いやつではないのだろう。
だからこそ、割り切れない感情のコントロールが効かず、ただ彼を遠ざけることしかできないのだ。
「大人げないとか、器が小さいとか思いました?」
「いや、思ってないよ。俺だってイラっとしそうだし」
「そうですか」
「むしろお前は小学生にしては器もでかくて大人っぽいと思うよ」
俺の周りの人間の中では、かなりまともな方だしな。ゲームを邪魔されたとき以外だけど。
「じゃあ歩君とカップルでも問題ないってことですね」
「それは問題あるかな」
「何でですかー」
「俺がロリコンだと思われるだろ」
「もうロリコンでいいじゃないですか」
「嫌だ。というか俺はお前の姉の彼氏だぞ」
「あっ、そうでしたね。じゃあ別れたらお願いします」
「何でだよ。小学生は友達と缶蹴りでもしときなよ」
「缶蹴りはたまにしますよ。楽しいですよね」
俺も昔はやってたな。麻莉さんの家の神社とかで。あそこは建物などの遮蔽物や大きな木もあって、身を隠しやすいのだ。
「てか、あいつにわざわざ俺が彼氏だとか言わなくて良かっただろ」
そのせいで無駄にロリコンだなどと言われたんだからな。あいつの母親にもとんでもない目で見られたし。
「あー、それはですね、この前友達に、『佐々木君は姫奈ちゃんのことが好きなんじゃないの?』とか言われたんですよ。そんなのこっちからしたら受け付けないじゃないですか。で、さっきも絡んで来たんで、これは一度がつんと言ってやろうと思いましてね。丁度良く隣に歩君が居たもので、こりゃ好都合と」
「そんなんばっかりだな……」
「え?」
思わず溜め息を吐いた。こいつは紛れもなく麗奈の妹だ。
「何でもないよ……それよりお前、今度うちに遊びに来るか?」
「えっ、何でですか?」
姫奈が驚いたように、瞳を瞬かせる。
「土日なら母さんが夕飯を作ってくれるから、一緒にどうかと思ってな」
「えぇっ、マジですか!?」
「うん」
姫奈は呆然とした表情で俺の顔を見上げ、その場に立ち止まる。
俺も足を止め、彼女の口から出る言葉を待つ。
「……行きたいです」
姫奈は噛み締めるように、ぽつりと漏らした。
「じゃあ母さんに言っとくよ」
「はい」
姫奈は少し照れ臭そうに微笑んだ。
先程の不機嫌な空気はすっかり吹き飛んだようだ。
……あっ、そう言えば、以前母さんに、「彼女をうちに連れて来なさい」って言われてたんだった。
それなのに、彼女の妹だけを連れて帰ると変な疑問を抱かれないだろうか。
※※※
「というわけで、今度歩君のうちへ遊びに行くことになりました!」
帰宅するなり、姫奈が嬉しそうに麗奈へ報告したところ。
「…………私も行く」
大人しく留守番をしていた彼女は、ほんのりと目を潤ませながら、恨めしそうな視線を俺たちにぶつけてきた。
うわっ……こいつ、さっきより拗ねてるぞ。




