50話 準備おっけーです
ダイニングテーブルでは、姉さんが麗奈の手料理をもぐもぐと脇目も振らずに頬張っている。
……あの人、マジで東大合格確実なのか? 信じられないんだが。昔から成績が良いとは聞いていたが、そこまでの化け物だとは思わなかった。
まあ東大だって毎年一定数は合格しているわけなので、世の中にはそんな人もそれなりにいるのだろうが、俺なんかだと手も足も出ないだろう。
あの姉、いつもぐうたらしているくせに……少し悔しい。
いや、そもそも俺は家族の経済力のために勉強しているんだ。姉さんだって勉強が出来ないより、出来た方がいいに決まってる。家族で協力できるんだからな。
……よし、切り替えよう。俺は俺で、自分なりの努力を続ければいい。
ちなみに、彼女が食べているのはケークサレという、ほうれん草やベーコンを練り込んだフランスの惣菜料理だ。
俺もさっき一切れ頂いたが、とても美味しかった。
「うわっ、やられました!」
スマホの英単語アプリをやっていた俺が顔を上げてテレビ画面に目を向けると、ゲームオーバーの文字が表示されていた。
「またやられたのか」
「はい……」
姫奈がコントローラーを握りしめたまま、肩を落としている。
彼女がやっているのは4人の仲間を入れ替えながら、四方八方から襲ってくるモンスターの群れを倒していくゲームだ。
クエストによっては大量のモンスターに囲まれたり、守るものがあったりするので、結構難しい。
先程から、姫奈は同じクエストを何度も失敗していた。
「このクエストめっちゃ難しいですよぉ……歩君、次やってください」
「おっけ」
俺は姫奈からコントローラーを受け取り、同じクエストを再開するべく、スタートボタンを押した。
……
……
「歩君! もうちょっとですよ!」
「うわっ、やべー! やられた!」
交代してから数分後、俺はクエストをクリアできるかできないかというところまできていた。
敵はあと少しだ。しかしこちらも4人のうち1人が倒れて、残り3人という状況だ。
「早く生き返らせてください!」
「もう蘇生の葉がないんだよ!」
「あっ、ほんとですね。とにかく頑張ってください!」
「うおぉぉぉぉ! あっ、やべー! またやられた!」
「何してるんですか! 王様が死んじゃいますよ!」
このクエストでは、うろうろ動いている王様を守りながら、だだっ広い地形に埋め尽くされている大量のモンスターと戦わなければならず、王様のHPが無くなると、その時点で失敗となる。この王様を守るという作業が難しく、何度もゲームオーバーになるのだ。今も画面の隅で王様のHPゲージが瀕死の赤色に点滅している。
「くそっ! やべー! 王様が死ぬ!」
「まだ大丈夫です! あ、今のうちにそっちの敵を倒してください!」
「おっけえぇぇぇぇ!」
「もう少しです! そのでかい奴さえ倒せば多分いけますよ!」
「おっしゃあぁぁぁぁ!」
──ぺしっ。がちゃっ。
「「えっ」」
何かが手に当たった感覚を覚えて、次にコントローラーを床に落としたことに気付いた。
一瞬、俺と姫奈の動きが止まる。
「ん?」
すぐ隣でごろごろしながら料理動画を眺めていたはずの麗奈が、スマホからひょこっと顔を上げてこちらを見た。
「「……」」
何が起こったのか、一瞬遅れて理解する。
麗奈が無意識に寝返りを打って伸ばした足が、俺の手に当たったのだ。
「あ、歩君! 早く!」
俺は慌ててコントローラーを拾い、持ち直す。
そしてテレビ画面に視線を戻した瞬間────
「「あっ」」
無残にも、王様は恐竜のような怪物に殴られ、HPが無くなってゲームオーバーとなった。
「「………………」」
声にならないがっかり感が、俺と姫奈を襲った。あと少し……あとほんの少しでクリア出来そうだった。
「え、何? 2人してどうしたの?」
黙りこんだまま画面を見つめる俺たちを交互に見やり、麗奈が怪訝そうに眉を寄せる。どうやらこの状況を理解できていないらしい。
「……歩君、ここは私に任せてください」
「え? あぁ」
……何をする気なんだ?
不穏な光を瞳に宿した姫奈は、すっくと立ち上がり、無言のままソファの前を通り、麗奈の頭の方へ回り込んだ。そして、彼女の背後からその無防備な脇の下へ、すっと両手を滑り込ませる。
「えっ、何?」
戸惑う麗奈を無視して、姫奈は彼女の両腕をガッチリと締め上げる。
「歩君、こっちは準備おっけーです。足を抑えてください!」
「お、おう……」
「は?」
姫奈のただならぬ迫力に圧され、俺はわけも分からぬまま、ソファの上に投げ出されていた麗奈のすらりとした両足の上に跨がり、その身を抑えた。
「ちょっ……」
2人掛かりで動きを封じられた麗奈は、困惑の声を上げる。
「さぁ歩君! 思いっきりくすぐってやってください! この人脇腹が弱いので!」
「はあ!?」
「え……まじか」
足の裏とかならまだしも、脇腹なんかくすぐるとセクハラにならないだろうか。さすがに少し迷うな……
俺が「うーん」と葛藤していると、姫奈は俺の躊躇を察したのか、代替案を提示してきた。
「すみません。くすぐり攻撃はさすがに可哀想でしたね。じゃあ胸でも揉みますか?」
「えっ」
「ふぁっ!?」
俺と麗奈が驚いて姫奈を見る。こいつ、俺が躊躇っていた理由を全く理解していないな。それセクハラどころじゃなくなってるぞ。あと、くすぐり攻撃は可哀想なのに胸を揉むのはいいのか。
「ちょっ、何言ってんのあんた! そんなことしていいわけないでしょ!? 馬鹿なの!?」
麗奈が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「歩君! 構わずやっちゃってください!」
「駄目だって言ってるでしょうが!」
麗奈はじたばたと必死に身をよじって抵抗を試みるが、上からは俺の体重がかかり、後ろからは姫奈の完全なロックがかかっているため、身動きが取れない。
「何か言ってますけど大丈夫ですよ。空耳みたいなものです!」
「お前姉に容赦ないな……」
「王様の仇なので! 私、忠誠心が結構高めなので!」
「お前のは忠誠心とかじゃないだろ」
ただゲームクリアを逃して残念がっているだけである。
俺は天を仰いだ。周りの人間の中では、姫奈は割とまともな方だと思っていたのだが、どうやらそうでもなかったらしい。
「…………ぐす」
麗奈の瞳に涙が溜まり、鼻をすする音が響いた。
「………妹の前で、そういうことされるのは……ちょっと……ぐす……」
「いや、何もしないよ」
俺はゆっくりと彼女の足の上から退けた。
姫奈もそんな彼女を見て、頭が冷えたらしい。
「あ……少し悪ふざけが過ぎましたね……」
姫奈は麗奈の拘束を解くと、とことこと戻ってきた。そして再び俺の隣にぽすんと腰を下ろす。
「どうするんだよ。麗奈が泣いちゃったじゃないか……」
「ごめんなさい。王様がやられたせいで我を忘れていました」
なるほど。今後彼女がゲームをしているときは、あまり邪魔をしない方が良さそうだ。
ちらっとソファの端へ視線をやると、麗奈は体を抱えるようにして、潤んだ瞳でこちらを睨みつけていた。
「姫奈……! あんたねえ……! こいつがその気になってたら危なかったでしょうが!」
姉の放つ怒気に射すくめられ、姫奈がビクッと肩を震わせる。
「え……? でも、恋人なら問題ないのでは……?」
「そうだけど! そういうのは2人きりのときにするものなの!」
「……わかりました。ごめんなさい」
何でこいつは暴走するといちいち俺を巻き込むんだろう。もう聞き流すけど。
麗奈は塞ぎ込むように、膝を抱えて、顔を埋めてしまった。
少しの間、姫奈は気まずそうに視線を彷徨わせていたが、何か思いついたように麗奈に声を掛ける。
「あ、お姉ちゃん……何か買い物とかありますか? 私でよければお遣いにでも行ってきますけど……」
「……え?」
麗奈が僅かに顔を上げる。薄っすらと涙目だ。
「あー……うん。あると言えばあるけど、重くなるかもしれないから」
多分、麗奈は夕方近い時間帯に、姫奈を1人で出歩かせたくはないのだろう。
「じゃあ俺も一緒に行くよ。それなら大丈夫だろ?」
「ほんとですか? じゃあ一緒に行きましょう。お買い物デートですね!」
お買い物デートって……可愛いなこいつ。
「お姉ちゃん、何を買って来ればいいですか? メモしてください」
「…………私も行く」
麗奈が膝を抱えたまま、拗ねたように呟いた。
「え? いや、お姉ちゃんはゆっくりしててくださいよ。たまには私がお手伝いしますよ」
「そうだな。いつも家事をこなしてるんだし、休んどきなよ」
「………………うん」
彼女は頷きつつも、口元を尖らせており、あからさまに不機嫌な空気を放っている。
俺も同行するから、買い物くらい大丈夫なんだけどな。




