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45話 隣で寝ていた女

 週が明け、月曜の昼休み。


 クラスの女子たちとお弁当を突きながらお喋りに花を咲かせていたところ、話題は自然と先日のデートのことへと流れた。


 どこへ行ったのかと訊ねられたので、映画を観に行ったと答えて、一緒に撮ったスマホの写真を見せた。私と歩が笑顔で寄り添っていて、どこからどう見ても仲良しカップルというものだ。


「仲良さそう!」

「いいなー」


 女子たちにはとても好評だ。


 実際、出会った頃の素っ気ない関係から比べれば、随分と仲良くなっていると思う。


 お弁当を食べ終えた後も、デート関連の話題が盛り上がってしまい、気づけば時計の針が進んでいた。


 私は慌ててお弁当箱を片付け、教室を出た。


 廊下を早足で歩き、賑やかな普通教室棟を離れて、人気のない特別教室棟へと向かう。あいつ、もう寝ちゃってるかも……そしたら寝顔でも見ていればいいか。


 特別教室棟に着くと、一番奥にある、薄暗い階段を上る。そして最上階の踊り場へとやってきた。


「────っ!?!?」


 辿り着いた瞬間、私の視界に飛び込んできたのは、頭が真っ白になるような衝撃的な光景だった。


 案の定、歩は眠っていた。ただし、一人ではなかった。彼の隣に、ぴったりと体を密着させて眠る女子生徒の姿があるのだ。


 歩は無防備に穏やかな寝息を立てており、その腕の中にすっぽりと収まっている女子生徒は、彼の脇腹に顔を埋めるようにして、細い腕で彼の体にぎゅっと抱きついている。


「………………ぐす」


 視界が急激に歪み、熱いものが瞼の裏に込み上げてくる。涙が零れ落ちてしまいそうだった。


 ……なるほど。これが浮気というやつか……いざ自分がされると、こんなにも胸の奥が痛んで、惨めで、悲しい気持ちになるんだ。


 麻莉さんも、歩が女の子にモテるって言ってたもんね。モテる男の正妻っていうのもつらいものね……


「…………ぐす」


 あ、また涙が。


 ……いいもん。もう知らない。ぐれてやる!


 さっきまで教室で咲かせていたデートトークの楽しい余韻は一瞬にして消え失せ、私の心は底なしの沼へと沈んでいった。


 うーん……でも、何かを忘れてるような気がする。


 あっ、そうだ。私は本物の恋人じゃないんだった。うっかりまた本物の恋人のような気分になっていたわ。さっきまでデートの話でみんなに冷やかされていたからつい。


 だけど、たった2日前に私とあんなに楽しくデートしておいて、別の女とくっついて眠るのはおかしいよね? それにこの場所はもう私の場所でもあるんだから、他の女を連れ込むのは許せない。


 私は胸に渦巻く怒りと悲しみを彼にぶつけるべく、右足を彼の胸元へと振り上げた。あ、一応靴は脱いで置こう。さすがに上履きで踏むのは悪いし。


 片足立ちで靴を脱ぎ捨てると、ソックス一枚となった右足を再び彼の胸の辺りへ持っていき、踏みつけた。


「────! ぅぐっ……はっ……!」


 歩は文字通り跳ねるようにして飛び起きた。あっ、ちょっと感情が乗りすぎて、強く踏み過ぎたかもしれない。でも当然の制裁よね。浮気したんだから!


「げほっ……ぅ……いってぇ……」


 歩は悶絶しながら胸を押さえる。そして、まだ涙目のまま仁王立ちしている私を、恨めしそうに睨みつけてきた。


「お前か……何すんだよ……!」

「その女は何よ!?」

「え……? 女……?」


 歩は怪訝そうに眉根を寄せると、右脇腹に感じる異様な温もりと重みに気づいたようで、おそるおそる視線を落とす。そして女子生徒の姿を視界に捉えると、呆れたように小さく溜め息を吐いた。


 歩の様子から察するに、どうやらこの女子生徒は、彼が眠っているところへ勝手に来て、勝手に彼にくっついて眠っていたようだ。歩の知り合いだよね? これで赤の他人だったらびっくりするんだけど。


「何してんの、姉さん」

「えっ!?」


 姉さん!? この子が歩のお姉さん!? うそ!?


 私の中のイメージと全然違う。何となく、華やかに髪を巻いていて、背が高くて、女王様のように尊大な態度を取る、見るからに年上のお姉さんみたいな人を想像していた。


 それなのに、眼前にいる人は、これといった飾り気のないミディアムの黒髪で、どこか儚げで大人しそうな雰囲気の人だ。


 というか、何で歩にくっついて寝てるの? まるで恋人みたいじゃん。どういう状況よ。まあ家族でもない女とくっついて眠っている方が、彼女的にアウトだけど。


 あ、そう言えば、以前歩が姉のことを甘えん坊だと言っていたような気がする。なるほど、こういうことか。


「ん……」


 歩のお姉さんが微かに身じろぎし、眠たげに瞼を開きかける。しかし昼の光が眩しかったのか、再びきゅっと目を閉じた。


 ていうかこの人、よく見たらめっちゃ可愛いじゃん。綺麗な顔。お人形みたい。


「姉さん、何でここに?」

「…………私も眠かった。……頭撫でて」


 その気怠げなおねだりに応じて、歩の手が自然に彼女の黒髪へと伸び、よしよしと優しく撫で始める。……って、普通に撫でるのか。


 けれど、無条件に可愛がられているその姿が、少し羨ましい。今度家で膝枕をして貰ったときにでも、私も撫でて貰おうかしら。


「……その人、あんたのお姉さんなの?」

「そうだよ」


 とても年上には見えない。妹だと言われた方が、よほど素直に納得できる。


 お姉さんは再び眠そうな目を薄らと開け、私を捉えると、ゆっくりと体を起こした。まだ覚醒しきっていないのか、小さな手でごしごしと目を擦っている。その仕草すら可愛い。


「……あなたが、歩の彼女?」

「……はい、そうです」


 まるで「彼女」の存在を知っていたかのような口ぶりだ。歩が私のことを家族に話していたのだろうか。そんな必要はないはずなのに。


「えっと、初めまして。舞岡麗奈です」


 とりあえず自己紹介をする。何だか本物の彼女として家族に挨拶している気分で、ちょっと照れ臭いかもしれない。


「私は歩の姉の葵」

「葵さんですか。どうも、よろしくお願いします」

「お姉ちゃんでいいよ」

「……」


 え、何? お姉ちゃんって呼べってこと? 歩も姫奈にお兄ちゃんと呼ばれて嬉しそうにしていたし、そういう嗜好の姉弟なのだろうか。


「えっと、じゃあお姉さん……?」

「うん」


 葵さんは小首をかしげて、柔らかく微笑んだ。うっ……この人、物凄く可愛い。こんな綺麗な顔で笑顔を向けられるとドキッとする。思わず見惚れてしまった。


「この前はご馳走様。あなたが作ってくれたオムライス、美味しかった。肉じゃがも」


 この前タッパーに詰めてあげたやつか。そう言えばお姉さんの為に持って帰るって言ってたわね。


「それは良かったです」

「また、作ってくれる?」

「はい、全然いいですよ」

「ありがと」


 葵さんは満足したように、またにこっと微笑んだ。


 どうしよう。この人本当に可愛いわ。年上なのに。ちょっと甘やかしたくなるかもしれない。


「じゃあ、私は教室へ戻るね」

「はい」


 葵さんはのそりと緩慢な動作で立ち上がり、階段の方へ向かう。しかしすぐに立ち止まり、思い出したようにこちらへ振り返った。


「あ、そうだ。麗奈」

「え? あ、はい」


 突然、親しげに呼び捨てで名前を呼ばれたので、少し驚いてしまった。


「お母さんが、今度うちにも遊びに来てって」

「うえ!?」


 お母さん!? 何で!? もしかして恋人を親に紹介するってやつ!? いきなりハードルが高くない!?


 まあ歩は私のお父さんと何度も顔を合わせてるけど。


 歩のお母さんってどんな人なんだろう。ちょっと気になる。優しい人だったらいいな。いずれ私のお義母さんになるかもしれないし……


 ……って、何で私はまた彼氏の親に会う彼女の気分になってるの!? しかも普通に結婚まで考えてるし!


 ちらっと歩の方に視線をやると、眠気でぼんやりしていたはずの彼は、バツが悪そうに頭を抑えている。


「じゃ、またね」

「……はい」


 お姉さんは戸惑っている私を気にも留めず、階段を下りていった。


 嵐が去った後の静けさの中、気まずそうに黙り込んでいる歩に、私は尋ねる。


「ねえ、今のって……」

「いや、この前のオムライスと肉じゃがを姉さんに食べさせてたら、母さんにまで絡まれてな……」

「それで彼女に作って貰ったって言ったの?」

「……言ったっていうか、半分推理された」


 そうか。お土産に手作りの料理なんて持って帰ったせいで、彼女の存在がバレたのか。ドジな奴。変なところはハイスペックなくせに。


「それで、どうすんの?」

「うーん……お前が母さんに会いたいなら会わせるけど」

「え、マジで?」


 こいつのことだから、絶対に会わせないように誤魔化すものだと思ってた。わざわざ家族に会いに行ってまで恋人を演じる必要はないし。だからちょっと意外。


 彼のお母さんに会ってみたい気持ちはあるけど、緊張するし、ちょっと躊躇うイベントだ。


「……とにかく、もう少し寝るわ」


 歩は眠気に我慢できなくなったのか、再び床へ向かって体を傾ける。


「待って待って。膝枕するから」

「うん……」


 私は慌てて彼のそばに寄り、スカートの形を整えて座り直した。


 歩はふらふらと力なく体を倒し、私の太ももに、ぽすんと頭を乗せた。


 その無防備な横顔を見つめていると、ふと魔が差す。


 私は、彼がお姉さんにやっていたみたいに、横向きになっている彼の髪をよしよしと撫でた。


「……何か甘えてるみたいだからやめて」

「……はーい」


 仕方なく手を止める。こいつ、甘えられるのは慣れているのに、甘えるのは苦手なのだろうか。それとも照れてる? 少し耳が赤くなってるように見えるし。


 とにかく、チャイムが鳴るぎりぎりまで寝かせてあげよう。


 お母さんに会うの、どうしようかな。


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