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44話 彼女が作ったんだって

「ただいま」


 玄関の扉を閉め、帰宅を告げてリビングへ入る。


「お帰りー。今ご飯作ってるから、ちょっと待っててね」


 キッチンで夕飯の支度をしていた母さんが振り返り、弾んだ声を返してくる。


 平日は俺が台所に立つことが多いが、休日はこうして母さんが腕を振るってくれる。


「あ、母さん。ご飯、あんまりいらないんだけど……」


 俺はつい先ほど、舞岡家でオムライスに加えて肉じゃがまで胃袋に収めてきたばかりだ。空腹感が全くない。


「えー、食べてきたの? せっかく私が作ってるのに」

「……じゃあ食べるよ。少なめでいいから」

「はーい」


 残念がる母さんの顔を見ると、そう答えるしかなかった。まあ量を抑えてくれれば食べられないこともないか。


 母さんはすぐに機嫌を直し、「待っててね」と、再び包丁の音を響かせ始めた。


 視線をリビングへ向けると、ソファの上では、姉さんがだらだらと横たわって映画を観ていた。出掛ける前と何一つ変わらない姿だ。


「姉さんただいま」

「おかえり」


 姉さんはのそりと体を起こし、ソファの上で胡座をかいた。肩に掛かる黒髪はぼさぼさに乱れている。


 このぐうたらな姉に比べると、麗奈の方が余程姉らしいな。あいつは料理以外も家事全般をこなしているそうだし。


 俺は姉さんの隣に腰を下ろし、持っていた小さな紙袋から、プラスチックのタッパーを取り出した。


「お土産があるんだけど、食べる?」

「お土産ってそれが?」

「うん」


 蓋を開けると、デミグラスソースの香りがふわりとリビングの空気を満たした。


 少し小ぶりに仕上がったオムライスは、作られてからそれほど時間が経っていないため、まだ温もりを保っている。


 姉さんは手元のリモコンを操作して映画を一時停止させると、タッパーの中身をじっと凝視し、怪訝な視線を俺へ向けてきた。


「……今日どこへ行ってたの?」

「映画を観に行ってたんだよ」

「映画を観に行ったお土産に手作りのオムライス?」

「……うん、まあ」

「ふーん。そう言えば歩、最近帰って来るの遅いよね。夕飯を食べないこともあるし」

「……そうだね」


 複数の状況証拠によって逃げ道を塞がれていく。この姉は何かを察して疑っている。


 姉さんはソファを這うようにして、俺の胸元に頭を預けてきた。無造作に乱れた髪から、微かにシャンプーの匂いが漂ってくる。


「毎日どこへ行ってるの?」

「ちょっと知り合いのお宅へ」

「これを作った人でしょ?」

「あぁ、うん」


 姉さんは俺にしがみつき、もにょもにょと顔を俺の胸に埋める。


「私じゃ駄目なの? いつも私の体を好きにしてるくせに」

「人聞きの悪いこと言うのやめてくんない?」


 頭を撫でたり、たまにマッサージと称して肩や腰を揉まされるだけだ。断じてやましいことはしていない。


「私の弱いところを知ってるくせに」

「ほんとにやめて。向こうに母さんもいるから」

「わかった」


 姉さんの悪ふざけの相手をするのはいつものことだからいいが、母さんに聞かれると気まず過ぎる。


「とにかく食べないの? 冷めちゃうんだけど」

「食べる」


 そう答えつつも、姉さんは俺の胸から一向に離れようとしない。


 俺は仕方なく、彼女の華奢な肩を押して引き剥がすと、キッチンへ向かい、スプーンを持って戻ってきた。


「食べさせて」

「……へいへい」


 どうやら今日の彼女は、いつも以上に甘えん坊モードだ。


 俺はスプーンでオムライスを一口分掬い、彼女の口元へと運ぶ。これはもはや介護だな。


 姉さんはそれをもぐもぐと咀嚼すると、やがて顔を綻ばせた。


「美味しい」

「だろ?」


 作って貰って良かった。麗奈に感謝だ。


「もう1つあるけど、これは?」

「肉じゃがだよ。食べる?」

「食べる」


 紙袋の中には、もう1つタッパーが入っていた。麗奈がついでだからと、肉じゃがも詰めてくれたのだ。


 俺はスプーンを姉さんに預け、箸を取りに再びキッチンへ向かった。


 リビングへ戻ると、姉さんは夢中でオムライスを頬張っていた。


「はい」

「うん」


 肉じゃがのタッパーの上に箸を置いてやると、彼女はスプーンを置き、今度は箸を手にして、肉やじゃがいもを口へ運ぶ。


「これも美味しい」


 姉さんが満足げに微笑む。さすが麗奈だな。料理の腕に関しては尊敬するしかない。


 俺がキッチンとリビングを何度も往復しているのを不審に思ったのだろう。母さんが料理の手を止めて、様子を見にきた。


「ちょっとちょっと、何食べてるの? 夕飯前なのに」

「オムライスと肉じゃが。歩の彼女が作ったんだって」


 彼女だとは一言も言っていないはずなんだが。ただ女の子と映画を観に行ったり、放課後にその子の家へお邪魔してご飯をご馳走になっていると言っただけだ。


 しかし俺はすぐに否定することが出来なかった。学校でも舞岡家でも公認の恋人同士ということになっているので、否定するべきかどうか迷ったのだ。


「まあ、そうなの? 私にも一口ちょうだい」

「はい」


 姉さんから箸を受け取った母さんは、肉、人参、じゃがいもを順に口へと運び、さらにはスプーンに持ち替えてオムライスのテイスティングまで始めた。


「ふむふむ」と唸りながら咀嚼する姿は、まるで料理批評家のようだ。


「へー、美味しいじゃない。料理上手な彼女なのね」

「うん……まあね」

「じゃあ今日はその子の家で何か食べて来たってこと?」

「……そうだよ」


 この人、事情を把握するの早いな……まあ「ご飯いらない」って言った後にこんな手作りのものを出してきたらわかるか。


「彼女ってどんな子なの?」

「いや、そもそも彼女だと言えるかどうか……言えなくもないみたいな……」


 彼女だと肯定するのも躊躇われるし、否定するのもまた違う。もちろん嘘告白とか偽恋人だというのも言いづらい。説明するのが物凄く面倒だ。


「何それ。変な関係は駄目よ?」

「間違いなく彼女だ。彼女の家で夕飯をご馳走になったんだ」


 母さんが面倒な解釈をし始めたのを察知して、もう断言した。


 恋人というのは何てわかりやすくて納得しやすい関係なんだ。麗奈が家族にそう説明した気持ちがわかる。


 俺の答えを聞いて、母さんはにこっと微笑んだ。


「そうなの。じゃあ今度うちにも連れて来なさいね」

「え、何で?」

「だって私も会いたいじゃない」


 ここに至って、俺はついに後悔した。いや薄々ミスったとは思っていたが、今確信した。麗奈の料理を持って帰るんじゃなかった。


 姉さんが喜んでくれたのは嬉しいが、さすがにこの状況は厄介だ。麗奈を彼女として家に招待するだなんて、話がややこしくなるのが目に見えている。


 学校や舞岡家ではすでに恋人だということになっているが、俺の家族にまでその設定にすると本当に外堀が埋まる。すると後で処理しづらくなる。


 麗奈はきっと、後で「別れちゃったんだよねー」とでも適当に言っておけば済むと、軽く考えているのだろう。もしくは本当に何も考えていないか……怖いことにこっちの方が有り得るな。


 出来ることなら、無駄にうちの家族には関わらせたくない。下手に関わると、母さんもあいつに対して情が湧くだろう。


 いや、でも俺が当然のように舞岡家へお邪魔して彼女の父親に会っているのに、俺だけ母親に会わせずに面倒ごとを避けようとするのもずるい気がするな。となると、平等にするために会わせた方がいいか?


「……彼女の都合の良いときがあればね」


 俺は「行けたら行く」みたいな、駄目な可能性も大いにある回答をして濁しておいた。


 母さんの作った夕飯を食べ終えると、風呂に入った。


 その後、自室へ続く階段を上がりながら、小さく溜め息を吐く。


 逆転の発想で、いっそのこと麗奈と本物の恋人になるというのはどうだろう。クラスメイトにもあいつの家族にも、そしてうちの家族にも嘘をつかなくて済む。全て丸く収まるじゃないか。


 ……いや、駄目だな。お互い好意がなければ恋人になっても続かないし、意味がない。


 俺としては、あいつは美人だし驚くほど料理が上手いし、気前良くご飯を作ってくれるし、デートの内容や観る映画を俺の希望に合わせてくれたり、色々と流されやすいところも何となく好きだ。あれ? 俺って結構あいつのこと好きじゃないか?


 とは言え、麗奈の方はそもそも男に興味がない。以前彼女は好きな人に好かれないと意味がないなんて言っていたけど、普通に考えて物凄く難易度が高い注文だと思う。世の中には男も女もいっぱいいるわけだからな。


 うーん……まあ、いいか。面倒なことは未来の俺に任せよう。


 俺は頭を振ると、いつも通り、机に向かって参考書を開いた。


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