39話 劣情とか
「うぅ……ぐす…………」
「……いや、あんた泣き過ぎでしょ。めちゃくちゃ見られてるんだけど」
エンドロールが終わり、館内に明かりが灯った後も、俺の涙腺は決壊したままだった。
観客たちが座席を立ち、出口へと向かうざわめきに紛れるようにして、俺たちは映画館の外へ出た。
袖口で目元をぐしぐしと拭いながら歩く俺の横では、麗奈が呆れたように眉を八の字に下げている。
すれ違うカップルや女子の集団から、「うわ、あの人……」と言わんばかりの白い目が突き刺さる。
映画そのものは、手に汗握るアクションや驚きの展開、そして息を呑むようなSF的な映像美に溢れていて、文句なしに面白かった。
けれど、物語の終盤、主人公とヒロインが絶体絶命の危機に陥ると、それまで確執のあった父親が駆けつけ、二人の身代わりとなって命を落としてしまうのだ。
これは駄目だった。実際に父親を亡くしている俺は、そのシーンに耐えられなかった。
「ぐす……お前はあれを観て何とも思わないのか……?」
「いや、面白いし良い映画だったけど、終わってからあんたが泣いてるのを見てドン引きしたのよ」
「ドン引きしたのかよ」
マジかよ……お前こそわけがわからないことで突然泣き出すくせに。
「あ、向こうに休憩コーナーがあるじゃん。ちょっと休んでいこうよ」
麗奈が指差したのは、メインの通路から少し逸れ、隔離された場所にある、ひっそりとした休憩スペースだった。
「え、何でそんなところに?」
今まで映画館で座りっぱなしだったのに。
「いや、あんたが泣いたままだと恥ずかしいから」
「……」
……学校で泣いたり結婚するとか子供3人作るつもりだとか言って騒ぎ出すお前の方がよっぽど恥ずかしいと思うんだが。
腑に落ちない気持ちを抱えながら、俺は彼女の後に続いて、その区画へと足を踏み入れた。
そこには、背もたれのない木製のベンチが並び、隅には自動販売機が複数置いてあった。
他には人影もなく、比較的落ち着いた映画館フロアの中でも、一際静寂に包まれている。
端の方のベンチに腰を下ろすと、麗奈が自動販売機でお茶を2つ買い、隣に並んだ。
「はい」
「あ、うん。悪いな」
差し出されたペットボトルを受け取り、蓋を開け、一口流し込む。冷たいお茶が乾いた喉を潤していく。
「ねえ、膝枕してあげよっか」
「……え?」
突然そんなことを提案され、思わず間の抜けた声が漏れた。どうしたんだこいつ。最近彼女ムーブが全開なんだが。
「……何で?」
「あんた泣いてるから丁度良いじゃん」
「何が丁度良いのかわかんないんだけど。つーかもう泣いてないし」
「いいからいいから。膝枕って何かデートっぽいでしょ?」
「まあそう言われるとそうだけど」
以前、どこかの公園の芝生で、周囲の目も気にせず膝枕を堪能していたカップルの姿を思い出す。
麗奈はデートらしいことをしたがっていたので、膝枕をしようとするのもわからなくもない。
「だが断る」
俺は毅然とした態度で告げた。
「はぁ? 何で断るのよ!?」
「いや、今日は寝る必要ないし」
「あんたマジで睡眠のためだけに毎日私に膝枕させてるわけ?」
「それがどうした」
俺が淡々と返すと、麗奈は眉を寄せて睨みつけてきた。
眠くて午後の授業までもたないから寝てるって前に言ったじゃないか。
「だって美少女の膝枕よ? 普通睡眠のためとかじゃなくて何か色々あるでしょ? 劣情とか!」
こいつが俺に何を求めているのか、よくわからない。
「でもお前、そういうこと言うとすぐ泣くじゃないか。むしろ何も言ってなくても勝手に泣くけど」
「膝枕は慣れてるからいいのよ。それ以上は駄目だけど」
「だったら劣情とか無い方がいいだろ」
「何とも思われなくてもそれはそれで納得出来ないのよ!」
「そこまで知るかよ」
つまり彼女の希望は、「劣情を抱きながらも膝枕だけで我慢しろ」ということらしい。どんだけ面倒臭いわがままなんだ。
「とにかく、デートの一環として膝枕をするの! あんただって今日の可愛い私に膝枕されたいでしょ?」
「いや、まあ……別にいいけど」
そこまで言うなら希望通りにしてやろうとは思うが。
何でこいつは俺が断ったときまで無理矢理膝枕をさせようとするんだ? 最初に頼んだときは嫌がっていたくせに。慣れって怖いな。
あと、一応ここは公共の場だし、他の人が来るかもしれないから気を遣うっていうのもあるんだけど。
「じゃあ早く」
麗奈が急かすように自分の太腿をぽんぽんと叩く。
「……わかったよ。ちょっとだけな」
「仕方ないわね」
「仕方ないのはお前なんだけど」
俺は飲みかけのお茶を彼女に預け、ゆっくりと体を倒した。柔らかな弾力が後頭部を優しく受け止める。
……あれ? いつもよりスカートが短くて、太腿の感触が直に伝わってくるんだが。
「どう? 私の膝枕は?」
「……まあ、いつもの感じで落ち着くかな」
「そっか」
視線を上げると、満足そうに微笑む麗奈の顔があった。
「何か私たち、今めっちゃカップルっぽくない?」
「誰か来たら確実にそう思うだろな」
カップルっぽさで言えばいつもそうだろうけど。
心地よい彼女の体温と、微かに漂うシャンプーの香り。
何となく瞼を閉じると、喧騒から切り離されたこの場所が、いつもの踊り場であるかのような錯覚に陥る。今日は昼寝をしていないのもあって、急激な眠気が意識を掠めていく。
※※※
はっと目が覚めた。
瞬間、自分の置かれた状況を思い出し、背中に嫌な汗が流れる。どうやら本当に寝入ってしまっていたらしい。
「あ、起きた?」
視界に飛び込んできたのは、俺を見下ろす麗奈の顔だった。
答えようとして見上げると、彼女の胸元が至近距離で目に入り、俺は思わず視線を逸らして、体を起こした。
「……どれくらい寝てた?」
「多分15分くらいかな」
「マジか……悪い」
「別にいいわよ」
まだ重たい瞼をこすりながら、姿勢を整える。デート中に眠るつもりなんてなかったのに。
麗奈は特に気にする様子もなく、手慣れた手付きでスマホを弄っている。
「あっ、ねえ一緒に写真撮ろうよ」
「うん。まあ、良いけど」
彼女の意図は容易に察しがついた。どうせクラスの女子にデートの証拠として見せるつもりだろう。
麗奈はスマホを掲げ、インカメラのレンズをこちらへ向けて腕を伸ばす。
「じゃあ撮るわね。もっとこっちくっついて」
「はいはい」
促されるまま肩が触れ合う距離まで身を寄せる。
カシャッという電子音が鳴り、画面の中には、どう見ても仲睦まじいカップルである2人が収まった。
「よしよし、良い感じに撮れたわね。これで証拠になるわ」
予想通りだ。この親密そうな写真なら、麗奈の周りのいつも楽しそうな女子たちにも好感触に違いない。
こんな商業施設の休憩コーナーでデートの写真を撮るのもどうなんだと思うが。
まあ彼女が満足そうにしているから何でもいいか。
麗奈はスマホをポーチへしまうと、少しだけ小首をかしげ、上目遣いで俺を見てきた。
「これからどうする?」
その表情や声から、彼女がまだこの時間を終わらせたくないと思っていることが伝わってくる。
「適当にぶらぶらするか?」
「うん!」
麗奈がはじけるような笑顔を見せる。彼女は思ったよりこのデートを楽しんでいるのかもしれない。
そんな笑顔を向けられれば、俺も悪い気はしなかった。




