36話 勝負しろ
姫奈が「別のゲームをしましょう」と言って、鼻歌交じりにゲームソフトを入れ替えているときだった。
「ちょっと待て。歩とか言ったな?」
「……何?」
振り返ると、おっさんが腕を組み、鋭い目つきでこちらを睨んでいた。先程よりは落ち着いたようだが、俺に敵意があるのは相変わらずだ。これ以上喧嘩腰で絡んでこないで欲しいんだが。
「俺と勝負しろ。お前が勝ったら麗奈の彼氏として認めてやる」
「……マジですか」
あまりの不毛な提案に思わず乾いた声が漏れた。俺には彼氏としての公認を得る必要なんかないのだ。
第一、何の勝負をする気だ? 格闘技や腕相撲のような力勝負だったら即降参だ。俺がこのおっさんに勝てるわけがないからな。まさか格闘ゲームで勝負するわけじゃないよな?
麗奈は「何だそれ」と心底呆れたような視線を向けているが、親父の目は真剣だ。口うるさい親父だが、娘に対する愛情は深いらしい。
俺はおっさんの果たし状に対し、真摯に答えてやることにした。
「別に認めてくれなくていいよ」
「よっしゃ。じゃあ勝負内容だが…………何だと?」
おっさんが威勢よく勝負内容を告げようとして、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
「彼氏だと認めなくていいって」
「何でだよ!?」
「いや、ちょっと……面倒なので」
だって偽恋人だし。麗奈が恋人だと言った手前、そんなことは言えないが。
「もしかして負けるのが怖いのか? この根性なしめ」
「……」
何故か挑発してくる親父。もしかしてこの人、構って欲しいのだろうか。何か麗奈っぽいな。
「すいません、根性なくて」
「ちっ」
舌打ちされた。
何でだよ。認めなくてもいいって言ってるんだから勝負なんかしなくてもいいじゃないか。何の勝負か知らないけど、あまりやりたくないんだよな。この人、自信満々だし。
……てか面倒臭くなってきたし、もう帰ろうかな。
「あ、そう言えば今日親戚からカニが送られてきてたな。お前が勝ったら晩飯にカニを食わせてやるっていうのはどうだ?」
「乗った」
俺は迷わず手にしていたコントローラーを置いた。カニ美味そう。めっちゃカニ食べたい!
あと、こういう風に報酬を持ち出して勝負を吹っかけてくるところは姫奈に似ている。
「あんたねえ……私を賭けたときは乗らなかったくせに……」
隣にいる麗奈が不満そうにぼやく。
「別にお前を賭けたわけじゃないだろ。彼氏だと認めてくれるかどうかってだけじゃないか」
「いや、むしろそっちの方がやらなきゃいけなくない?」
言われてみればそうだ。
例えば他の男と彼女を奪い合う勝負であれば、受けてはいけないだろう。けれど、父親に認められるかどうかの勝負は負けてもデメリットがないからな。
おっさんはというと、何やら少し嬉しそうに口角を上げている。この人、やっぱり勝負をしたかったんだろな。
「で、何の勝負すんの?」
「これだ」
おっさんがどこからともなく取り出したのは、一枚の将棋の駒だった。赤い文字で「と」と刻まれている。今どこから出したのそれ。持ち歩いてるの?
「将棋か。別にいいよ」
力勝負ではなかったことに安堵する。少なくとも勝てる可能性はゼロじゃない。
でも、この脳筋ぽいおっさんが知略系のゲームで勝負を吹っ掛けてきたのは意外だな。
「あんた勝つ自信あるの?」
麗奈が不安げな様子で、上目遣いで覗き込んでくる。
「……そう言えば、ほとんど勝ったことがないな……」
「駄目じゃん……」
麗奈はあからさまに肩を落とした。
「……でも勝てる可能性はあるだろ? 相手はプロとかじゃないんだし」
「……お父さん、確か昔、会社の将棋大会で優勝したことがあるとか言ってたよね?」
「まあな」
「え、うそっ、このおっさんが?」
きたねえ。マジの得意なやつで勝負を吹っ掛けてきてやがった。
おっさんは顎に手を添え、得意げに笑みを浮かべる。
「ふっ、甲斐の虎と呼ばれていた俺の実力を見せてやろう」
……嘘つけ。武田信玄じゃねえか。大体、ここ東京都だし。
しかし呼称はともかくこの自信だ。当然ハンデなんかがあるはずだ。
「もちろん駒落ちだよね?」
「ふっ、もちろん平手で勝負だ」
「きたねえな!」
こいつ容赦が無さ過ぎるだろ。娘の彼氏を認めたくないからなのか俺をボコりたいだけなのか知らないが、確実に勝ちに来てやがる。
おっさんは戸棚から将棋盤を取り出してきて、床に腰を下ろした。
目を閉じて腕を組み、「フフフ」と不気味な笑みを漏らしている。どうやら勝利の美酒を確信しているらしい。
まあいいか。この人も何か嬉しそうだし、遊び相手くらいなってやろう。
俺は将棋盤を挟んで、おっさんの対面に腰を下ろす。
「歩君、大丈夫ですか? 負けたらお姉ちゃんの彼氏じゃなくなっちゃうんですよね?」
「まあ、別に大丈夫だよ」
姫奈が不安げな眼差しを向けてくる。
俺には特に不安はない。勝てば豪華な夕食。負けても損がないからだ。
姫奈はゲーム相手がいなくなると困るのかもしれないが、彼氏じゃなくても遊びに来ることは出来るしな。
「あんた、一応真面目にやってよね?」
「わかってるよ」
言われなくても一応真面目にはやるつもりだ。カニを食べたいからな。
「いっちょもんでやろう」
おっさんはぱちり、ぱちりと慣れた手つきで駒を並べ始める。その表情は、水を得た魚のように生き生きとしている。きっと普段は得意な将棋をさす相手がいないのだろう。
「しょうがないからちょっとだけ付き合ってやるよ」
俺も自分の陣地に駒を並べていく。
「……さっきから思ってたんだが、何でお前はそんなに生意気なんだ? 一応俺は彼女の父親だぞ? 普通もっとしおらしくするだろ」
「…………」
しまった。どう思われてもよかったのが、態度に出過ぎていたらしい。もっと新入社員みたいにへこへこするべきだったか。
「麗奈さんのお父さん、僕が先手でよろしいでしょうか?」
「いやもう遅えわ。逆に気になるから普通にしてくれ」
「じゃあ俺が先手でいい?」
「…………おう」
おっさんが眉間にしわを寄せる。何やら葛藤がありそうだが、これでいいというのならいいのだろう。
「全く……俺が嫁の実家に挨拶に行ったときなんか、めちゃくちゃ緊張したぞ?」
「へー。大変だなぁ」
生返事をしながら、淡々と駒を並べていく。
「こいつはこういう奴なのよ」
「そうです。歩君はこういう奴ですよ」
「やっぱり許さんぞ。こんな奴が彼氏だなんて」
「まあいいじゃん。とにかくちゃっちゃと勝負してカニ食おうよ」
「お前舐めてんのか!?」
俺の勝利宣言のような言葉に、おっさんが声を荒げる。
この人、ほんと熱くなりやすいな。もしかして適当に挑発していれば勝てるんじゃないだろうか。




