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35話 VS親父

 放課後、舞岡家を訪れた俺は、ダイニングの椅子に腰を下ろし、麗奈が用意してくれたキッシュとやらを口へと運んでいた。


 昨日の残りを温め直したものだと言っていたが、バターの芳醇な香りと、香ばしく焼き上がった生地の匂いが鼻腔を心地よくくすぐる。


「美味い!」

「そう、良かった」


 素直に感想を口にすると、隣に座る麗奈がふわりと頬を緩めた。


 この辺だけ切り取れば、ただの可愛い彼女である。何で学校だとああなるんだ?


 ちなみに顔も美人で、小柄ながらバランスの良い体つき。料理の腕は抜群で家事全般そつなくこなす。あれ? 何だか理想的な彼女じゃないか。一体どうなってるんだ。


「後で夕飯作るから、少し食べてく?」

「頂こう」


 褒められると嬉しいのか、麗奈は「これも食べる?」と2品目を出してきたり、夕飯に作ったものを食べさせてくれたりもする。そのどれもが胃袋を掴みにくる美味さなのだから、断る理由などどこにもない。


 至福の軽食タイムを終えた後はリビングへと場所を移し、姫奈と格闘ゲームに興じる。ここを訪れる度に何度も対戦しているので、俺の腕もそれなりに上達している。


「あ、やられました!」

「っしゃ!」


 画面中央に鮮やかな「K.O.」の文字。姫奈が操っていた筋肉の塊のようなキャラクターが崩れ落ち、彼女は「くぅ〜」と悔しそうに声を漏らした。


 一方麗奈は、テレビゲームにはあまり興味が無いらしい。ソファにだらしなく寝転んでスマホを弄っていたかと思えば、俺の太ももを枕にしてもにょもにょしたり、逆に自分の足を放り出してきたりとやりたい放題だ。挙句の果てには、俺の脇腹を指先で小突いてくる。いやそれはやめろ。


 そんな風に他愛のない時間を過ごしていた時だ。


 不意に、背後の扉が無遠慮な音を立てて開かれた。


「ただいま」


 反射的に振り返る。


 そこに立っていたのは、手入れの行き届いていない無精髭を蓄えた、中年の男だった。誰だ、このおっさんは。


「あ、お父さん。お帰りなさいです」


 姫奈が振り向いて言った。


 ……何? お父さんだと? 馬鹿な、全然娘たちと似ていないじゃないか。母親に会ったことはないが、彼女たちは間違いなく母親似だろう。


 ソファでごろごろしていた麗奈も、ようやく身を起こして背もたれ越しに声を掛ける。


「お帰りなさい。あれっ、お父さん今日休みだったの?」


 彼女がそう尋ねたのは、父親がラフな私服姿だったからだろう。俺から見ても、仕事帰りのサラリーマンには見えない。


「あぁ。だからちょっと打ちっ放しに行って────ん?」


 鞄を壁際に置いて、キッチンへ向かおうとした父親の足が、凍りついたように止まった。その視線が、ソファの中央にいる俺の存在を捉えている。


 俺はとりあえず、礼儀正しく頭を下げた。


「どうも、こんにちは。お邪魔してます」

「なっ……?」


 舞岡父の表情が、驚愕で歪んでいく。


「何だそいつはあぁぁぁ!?」


 思わず耳を塞ぎたくなるような、鼓膜を震わせる怒声だ。


 自宅のリビングに見知らぬ男がいれば拒否反応が出るのは理解できるが、あまりにリアクションが大袈裟過ぎないだろうか。麗奈の友人とかで整理出来るだろ。


 何度もここへ足を運んでいれば、いずれ対面する日は来ると覚悟していたが、初対面からこの喧嘩腰だ。想像していたより面倒臭そうだ。


「えっと、この人は…………私の彼氏よ」


 麗奈はわずかに頬を赤らめ、ぽつりと告げた。


 敵意を剥き出しにしている父親に対して恋人設定を通さなくてもいいんじゃないかと思ったが、すでに姫奈には彼氏として紹介してしまっている為、父親にも同じように説明するしかなかったのだろう。


 それに、得体の知れない男友達よりは、恋人の方が父親に説明しやすいという話も聞いたことがある。この父親にとってはどっちみちアウトみたいだけど。


「彼氏だぁ!? てめー麗奈! いつの間にそんなもん作りやがったんだ!?」


 ほらね。俺の前なのにお構いなしに怒鳴ってるもん。やっぱり世の父親にとっては、娘が彼氏を作るというのは嫌なものらしい。


「いつって……最近よ」

「何でだよ!? お前全然男に興味なかっただろ!?」

「私にも事情があるのよ!」


 何やら言い争い始める舞岡親子。父親とはこんなに娘の色恋沙汰に干渉するものなのだろうか。


「何かわけがあって彼氏を作ったってのか?」

「そうだけど、話すと長くなるのよ」

「いいから言ってみろ!」 


 俺と麗奈が恋人になった背景には、確かに話すと長くなりそうな事情がある。だけど、それを話すとこの関係が偽物であることを露呈させることになる。


 麗奈もそのことに気付いたのだろう。


「あー……何か知らないうちに両想いになってたのよ」

「何だそりゃ!?」


 いや、説明雑過ぎ。端折ったのバレるだろ。


「別に彼氏くらい作ってもいいじゃない。私の勝手でしょ?」

「だからっていきなり家に連れこんでんじゃねえよ!」

「連れ込んだって……別にゲームして遊んでるだけじゃん」

「最初はそうでも結局アレな方向へ行くもんなんだよ!」

「アレな方向って何よ!?」


 不毛な押し問答は、終わる気配を見せない。


 つーかもうどうでも良くなってきた。


 もし俺が本物の彼氏なら、この針のむしろのような空間に、胃をキリキリさせながら座っていることだろう。


 しかし、俺は本物の彼氏じゃない。彼女の父親にどう思われたって構わないし、気に入られなくても問題無いのだ。


 とにかくこの親子が落ち着くまでは関わりたくない。隣の姫奈も面倒臭いのか、我関せずといった様子だ。


「歩君、この人たちは放っといてゲームしましょう」

「いいけど、さっき俺が勝ったからアイスくれよ」

「そうでした。取ってきますね」


 姫奈は怒鳴る父親の横を、まるで道端の石でも避けるかのように素通りし、キッチンの冷蔵庫からバニラアイスを1本取り出し、再び父親のそばを素通りして戻ってきた。


「さんきゅ」


 差し出されたアイスの包みを開け、麗奈と親父の喧嘩を眺めながら食べ始める。


「いやいや、てめーは何呑気にくつろいでやがるんだ!?」


 父親の怒りの矛先が俺に向いた。嫌だなぁ。麗奈1人で処理してくれないかな。


 この親父は、「娘が彼氏を作った」ことと、「その彼氏が家に居た」という情報が同時に入ってきて、怒りが臨界点に達している。


 面倒だが、ここらで少しばかり消化活動に加担してやるか。


「まあまあ、お父さん落ち着いてよ」


 俺はバニラアイスを咀嚼しながら、冷静に声を掛けた。


「てめーにお父さんと呼ばれる筋合いはねえ!」


 怒りのボルテージが上がった。


「じゃあおっさん」

「あぁ!?」

「おっちゃん?」

「もう何でもいいわ!」


 どれもお気に召さなかったみたいだ。俺としてはおっさんが一番しっくりきた気がする。


 ちなみに、ここまで喧嘩腰の相手に、猫を被る気はすでにない。


「じゃあおっさん、ちょっと落ち着きなよ。たかが娘が彼氏を連れて来ただけじゃないか」

「いやお前が言うな!」


 確かに。彼氏って俺だった。


「俺じゃなくてもさ、いつか娘は彼氏を家に連れて来るよ」

「えぇ!? ……いや、まあそりゃそうか」


 なぜ今さら気づいたような顔をするんだ。遅かれ早かれ、娘は結婚報告とかで見知らぬ男を連れてくるものだろ。


「それが金髪で刺青の入った不良だったらどうすんの? もしくはおっさんより年上のおじさんとか」

「それは……どっちも嫌過ぎる!」


 おっさんが苦い顔で呻く。


 隣の麗奈は「そんなのと付き合うわけないじゃん」と、眉を顰めている。とりあえずこいつは放っておこう。


「俺なんかまだマシだよ? 同級生だし、超優等生だよ」

「そうなのか? そりゃそっちの方が全然マシだが……」

「だろ? 不良男の方が手が早いだろうし、追加でいらん心配をしなきゃいけなくなるからな」

「確かにそうだな……!」


 このおっさんも麗奈の父親だけあってチョロいな。


 麗奈が「また自分で優等生とか言ってるし」と呆れた視線を送ってくる。だからマジだっつの。


「だったらいいじゃないか。大目に見なよ」

「でも高校生の分際で彼氏を家に連れてくるだなんて早くないか?」

「うちの近所の奥さんも高校生のときに彼氏を家に連れて行ったって言ってたよ」

「近所の奥さん!? 誰と何の話してんだお前!?」


 おっさんが驚愕に目を見開く。


 麗奈が「あんた近所の奥さんとどういう関係なのよ」と、俺のシャツの裾を引っ張って抗議してきた。


「それにあんたの娘は美人だから中学のときに彼氏が出来ててもおかしくないよ。高2なんて遅い方だと思うよ」

「……そうなのか」


 麗奈が頬を赤く染め、「えっ、美人って……あんたやっぱり私のこと好きなんじゃ……」と呟いた。今忙しいんだからお前は黙ってろ。


「とにかくそういうことだから。早いと3年後くらいに娘さんをくださいとか言われるんじゃないか?」

「3年後!? マジか……!?」


 おっさんがこの世の終わりでも見たかのような、絶望的な表情で固まった。その目には、愛娘がどこの馬の骨とも知れない男に連れ去られる未来でも映っているのかもしれない。


 19、20歳で結婚というのは早いが、あり得ないわけではない。美人なら特に早そうだ。


「いや歩君……何でさっきから他人事な感じなんですか。彼氏はあなたですよね?」


 姫奈がぽつりと突っ込んできた。


 確かに他人事みたいに言ってしまっていたが、他人事なので仕方がない。偽恋人だからな。


「3年で……マジか……」


 父親はすっかり戦意を喪失し、肩を落としている。先程までの勢いや怒りがどこかへ消えたのか、とても大人しくなった。


 よし、いっちょ上がりだな。


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