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34話 両想いなのに

 矢野が「あ、麗奈ちゃん!」と、弾むような声で彼女の名前を呼んだ。


 一方の麗奈は、彼の声など微塵も耳に入っていない様子で、とことこと気の抜けた足取りでこちらへ歩いてくる。


 本当に知り合いか? 2人の態度に温度差を感じるんだが。


 まあいいか。本人が来てくれたのは都合がいい。


「おい麗奈、止まれ!」

「へっ? 何?」


 俺の声に、麗奈は驚いた様子で、ピタっと動きを止めた。


 俺はすり足で背後へすすっと移動し、そのまま体をスライドさせ、さりげなく彼女の背中に身を隠した。


「ちょっと、何で私の後ろに隠れるのよ?」


 麗奈は不満げに眉を顰める。


 俺は彼女の肩に両手を置き、その華奢な体からひょこっと顔を出した。


「だってこの人、お前に用があるみたいだし」


 言いながら、視線で矢野を示す。


 こういう恋愛絡みの問題は当事者同士で話し合って貰った方がいいのだ。決して面倒臭かったから丸投げしようと思ったわけではない。


 ふと周りを見ると、俺たちが少し騒がしくしたからか、ちらほらと離れたところからこちらを窺っている視線がある。


「そうなの? 用って何ですか?」

「あ、いや、その……」


 何やら口籠る矢野。


 お前さっきまでの勢いはどうしたんだ? もしかして彼氏である俺に別れを持ち掛けたところへ本人が来て気まずいのか?


 仕方がない。手っ取り早く終わらせるために、俺が説明してやるか。


「この人、俺がお前の彼氏として釣り合ってないって言うんだ」

「ほうほう、確かに」

「舐めてんのか」

「うにゃっ……」


 麗奈が頷くのがムカついたので、後ろから両頬を摘んで引っ張ってやった。


「んんっ、ふにゃぃうにゃぃ!?」


 麗奈の柔らかい両頬が左右に伸びて、変な鳴き声が漏れる。


 彼女は目に涙を浮かべ、ジタバタと暴れている。


「……い……痛いわねっ! 何すんのよ!」

「おっと」


 振り向いた麗奈が、涙目のまま殴りかかってきた。


 俺は手のひらでほいほいとそれを防ぎ、隙を見て彼女の手首をガシッと掴んだ。


「(落ち着け。俺たちは両想いの恋人だろ? 思い出せ)」

「(あんたが頬っぺた引っ張るからでしょうが! 痛いのよ!)」


 彼女の手首を掴んだまま、至近距離で視線を合わせ、ひそひそと言い合う。


「(俺が彼氏に相応しくないとか言うからだろが。お前が告白してきたくせにおかしいだろ)」

「(そうだった!)」


 こいつ、自分が仕掛けた嘘告白を忘れていたのか? ほんと舐めてるな。


「て、てめえ! 麗奈ちゃんとイチャついてんじゃねえよ!」

「「……」」


 俺と麗奈は同時にピタっと動きを止め、矢野へと視線を向けた。


 前にも同じようなことでイチャついてると思われた気がするな。すでに恋人設定になっているので、特に問題はないが。


「仲良さそうにぽかぽかしやがって! 羨ましいだろが!」


 矢野はもはや半べそ状態だ。拳が小刻みに震えている。……大丈夫かなこの人。


 よくわからない主張に返答出来ずに困っていると、麗奈が微かに頬を朱に染めて言い返す。


「べ、別に恋人同士だし、ちょっとくらいイチャつくのが普通でしょ……?」


 そんな照れた感じで言うなよ……こっちまで戸惑うだろ。


 一方、矢野は、その一言で心を抉られたようで、「ぅ……」と声を漏らして黙り込んだ。


 麗奈が俺から離れ、矢野へと向き直る。


「それで、この人が私と釣り合ってないって話でしたっけ? だから何なんですか?」

「え、えっと……だから……」


 矢野が何かを言おうと口を開くが、中々言葉が出てこない。麗奈が来る前とは別人のように歯切れが悪い。


 話が進まないな。俺が代わりに答えてやるか。


「この人、俺にお前と別れろって言うんだ」

「はぁ?」

「で、別れたらお前に壁ドンしながら告白するんだってさ」

「はぁ?」

「ちょっ、おまえ! それは本人に言ったら駄目なやつだろ! 察しろよ!」

「あ、そうでしたか。すみません」


 言っちゃ駄目だったのか。そういうのわかんないから言っちゃった。まあ事前に言おうが言うまいが結果は同じだと思うが。だって壁ドンとか意味ないし。てか嘘だし。


 麗奈の表情からは温度が消え、氷点下の視線が矢野へと刺さる。


「何それ? そんなの無理なんですけど」

「っ……」

「てかそもそもあんた誰なの?」

「ふぁっ!?」


 矢野の顔が愕然となった。


 麗奈の奴、やっぱりこの人のことを覚えていないのか。


 多分この人はお前に告白したことがあるし、自分で有名人だと思ってるんだよ。それにキザなロン毛で割と覚えやすいと思うよ。


「知らない人に壁ドンなんかされても好きになるわけないじゃん」

「えっ!」


 衝撃を受ける矢野。いや当たり前だろ。というか、知ってる人にやられても同じだろうけどな。


 あと麗奈は一応真っ当なことを言っているが、正直お前が言うなと言いたい。


 俺が呆れ果てて立ち尽くしていると、麗奈が突然俺の腕をぎゅっと抱き寄せ、上目遣いを向けてきた。


「ねえ歩、何で知らない人が私たちの仲を引き裂こうとするの……? 私たちは両想いなのに……」

「ぐふぁっ……」


 矢野は胸を押さえてよろけた。知らない人+両想いという言葉でダメージを受けたのだろう。


 俺はというと、思わず天を仰いでいた。こいつにはもうどこから突っ込んでいいのかわからない。


 それと、麗奈は顔も知らない男に名前で呼ばれていることになるのだが、それついては違和感を覚えないのだろうか。


 ちらっと周りを見ると、女子生徒たちが黄色い悲鳴を上げて騒いでいる。あいつらさっきより近付いてきてないか? まるで一言も聞き逃すまいとするような……


「なあ、多分この人お前に告白したことがあるんだよ。覚えてないのか?」

「え? マジ? うーん……こんなあんた以上に頭おかしい人いたっけ?」

「やっぱり覚えてないのか……おい、今何つった?」


 今さらっと俺を頭おかしい奴呼ばわりしなかったか? お前は俺と両想いの恋人設定だろが。ちゃんとやれよ。


「くっ…………でも麗奈ちゃん……そいつは君の後ろに隠れるような奴だし、そんなパッとしない奴が彼氏でいいのか……?」


 矢野は胸を押さえながら、苦しそうな表情で問う。何だか最後の力を振り絞っているみたいで、雰囲気だけはカッコいいような気がする。てかまだ粘るのか。ちょっと感心する。


「まああんたの言う通りかもしれないけど……」

「じゃあ──」


 刹那、小さな希望を見つけたように、矢野の瞳に光が宿る。


「そんなこと関係ないわ。私はこの人のことが好きだもん」

「っ……!」


 麗奈が俺の腕にさらに強くしがみ付きながら、心にもない気持ちを矢野へと告げた。


 俺はただげんなりとテンションが下がった。だってこれ、嘘だし……


 野次馬の女子たちが、またしても歓声を上げる。何でみんな嘘だと気付かないんだろう。そろそろ気付いて欲しいんだけど。


「それにこの人とはもう家族ぐるみの付き合いだし……け、結婚とかするつもりだから!」

「えっ……結婚……?」


 矢野、そして俺が、呆然と麗奈を見る。え、何言ってんのこいつ。


「そうよ。子供は3人くらいで庭付き一戸建てまで計画してるわ」

「ぐはっ……」


 麗奈は「どう、参った?」と言わんばかりである。


 俺は呆れてものも言えない。


 結婚して、さらに子供3人庭付き一戸建てって……それはお前が勝手に妄想して覚悟してたやつじゃないか。


「そういうことだから、もうどこかへ行ってくれないかしら」


 何でこいつはみんなの前でそこまで言ってしまうんだろう。偽恋人の限度ってものを知らないのだろうか。もうついていけないよ。


 それに家族ぐるみって言うけど、俺は姫奈にしか会ったことがない。うちの家族はお前の存在すら知らないし。


 そして、当然のように周囲の女子たちはきゃーきゃーと悲鳴を上げている。お前らほんと楽しそうだよな……てか近いな! もう野次馬ですらないぞ。


 矢野はというと、もはや魂が口から抜けかけている。


「も……もう…………おうち帰る……」


 矢野は力無くそう呟いて、よろよろと背を向けた。


 最初に声を掛けてきた威勢はどこへやら。そこにあるのは、惨敗兵のような弱弱しい背中だった。


 絡まれて面倒だったとは言え、こんな哀れな姿を見るとさすがに同情を禁じ得ない。


「大丈夫ですか? 体調が悪そうだし、保健室でも行った方がいいんじゃないですか?」

「いい……おうち、帰る……」


 俺の精一杯の気遣いも、虚ろな彼の心には届かなかった。


 矢野はふらふらと、おうちへ向かって去っていった。


 途端、ダムが決壊したように、女子生徒たちが黄色い声を上げ、麗奈に群がった。


「ちょっと麗奈、三島君のことマジで好き過ぎでしょ!」

「もう結婚を決めてるなんて、どこまで話が進んでるの!?」

「めっちゃ未来設計してるし!」


 女子生徒たちの声は興奮で弾み、瞳は輝いている。


 何だろう、この盛り上がり。全然共感出来ない。


「いや、うん……まあね!」


 麗奈がやんわりと俺の腕の拘束を解いた。称賛の嵐に頬を染め、気恥ずかしそうに応じている。


 いやもう外堀を埋められているどころの騒ぎじゃないんだが。どうすんの、これ。


「くそっ、三島放課後校舎裏だからな! 今日こそ来いよ!?」

「つーか後で殴る!」

「呪ってやるからな!」


 男子たちの怨嗟の声が飛んできた。お前らも居たのか……


 校舎裏へは行くわけがないからいいとして、呪うのはマジでやめて欲しい。怖いし。


 げんなりしながら麗奈へ視線を戻す。


 彼女は女子たちの熱気に気圧され、戸惑っている様子だったが、気分が高揚したのか、突然「ふっ」と勝利宣言でもするように拳を高く掲げた。いや何でだよ……


 もういいや……疲れたから、さっさといつもの踊り場へ行って弁当を食べて眠ろう。


 俺はとぼとぼと教室へ入る。


 自分の席へ向かっていると、麗奈が小走りで追いかけてきて、再び俺の腕を掴んだ。


「ねえ、ちょっと待って」

「……何?」


 麗奈がぴったりとくっついてきたため、またもや周囲の視線が集中する。


 女子たちは黄色い声を上げ、男子たちは殺気を帯びた目でこちらを睨む。お前らいい加減飽きろよ。マジで。


 こいつもこいつで、何故いつも人目も憚らずに腕にくっついてくるんだろう。遠慮がなさ過ぎないだろうか。


「一緒にいつものとこ行こ?」

「……何で? お前いつも教室で弁当食べてるだろ」

「いや、何かみんな騒いでるし、今日はあの場所で一緒に食べようよ」


 あいつらが騒いでいる原因はお前だろが。


 俺を好きだとか結婚するつもりだとか、子供3人庭付き一戸建てだとか、勢い任せに色ボケしたようなことをぽんぽん言うからあの辺の人たちが喜んでるんだ。


 とは言え、今の俺には彼女を責める気力すら残っていない。早くこの場を去ってあの静かな場所へ逃げ込みたい。疲れた。


「……わかったよ。弁当持ってきなよ」

「うん!」


 麗奈は弾むように自分の席へ向かった。


 俺もリュックから弁当を取り出す。何だか重く感じるな……


 周囲は未だに騒めいている。これほど目立っている状況で、麗奈といつもの場所へ向かうのは危険かもしれない。下手すると尾行でもされかねない。


「……ちょっと散歩しながら行こうか」

「うん!」


 教室を出ると、俺たちはわざと遠回りをして、いつもの場所へと向かった。


 隣を歩く麗奈は、鼻歌でも歌い出しそうなほど楽しげだ。


 こいつは嵐を巻き起こし、騒ぎをこれでもかと大きくするくせに、本当に呑気な奴だな……






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