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30話 閑話 麗奈との出会い【夕亜視点】

 これは小学5年生の頃の話。


 当時の私は、影の薄い、ひどく引っ込み思案な子供だった。


 放課後の掃除当番を押し付けられても文句を言えないような、弱い自分が嫌いだった。


 周りの子たちがみんな明るくて、いつも楽しそうに見えた。


 そんなある日の、放課後のことだ。


 昇降口へ向かって廊下を歩いていると、前方に一際目を引く後ろ姿があった。


 艶やかな黒髪を靡かせたその少女は、舞岡麗奈さん。学年でも噂になるほどの美少女で、彼女に恋心を抱く男子は1人や2人ではないとか。


 私は少しだけ距離を置いて、彼女の後に続いた。


 砂埃の匂いが漂う昇降口。私の下駄箱は、舞岡さんの下駄箱と向かい合っていた。


 私が靴を取り出そうとした、その時だ。


 背後にいた彼女が、短く息を吐くのが聞こえた。


「はあ……また靴ないじゃん……」


 えっ……?


 振り返ると、舞岡さんは空っぽになった自分の下駄箱の前で立ち尽くしていた。


 ……もしかして、誰かに靴を隠されたのだろうか。


 何より私の胸をざわつかせたのは、彼女が口にした『また』という言葉だった。


 1度や2度ではない、執拗に繰り返される嫌がらせ。


 そんな明確な悪意が日常に転がっている事実に、私は足がすくむような恐怖を覚えた。


 けれど、当の本人は、まるで行方不明のパズルのピースを探すような、どこか冷めた視線で周囲を見渡している。


 悲鳴を上げるわけでも、涙を浮かべるわけでもない。


 そのあまりに静かな佇まいに、私は言葉を失った。


 舞岡さんは靴を探すべく、下駄箱の周りを歩き始めた。


 私はどうしようもなく彼女のことが気にかかり、その背中を追った。


「あれ? 今日はここも違うのか」


 真裏の下駄箱を覗き込み、彼女が小さく独り言をこぼす。


 まるで何の問題もないというような、あっけらかんとした態度だ。


 気づけば、私は勇気を振り絞って声を掛けていた。


「あ、あの!」

「ん?」


 振り返った彼女の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいた。子供ながらに、残酷なまでの美しさを湛えていた。


「靴……誰かに隠されたの……?」

「そうみたい」


 一言そう答えると、動じる様子もなく、彼女は再び靴を探し始める。


「わ、私も手伝うよ!」

「え? うん。ありがと」


 舞岡さんは使われていない下駄箱や傘立ての裏、掃除用具入れの中などを丁寧に覗き込んでいく。


 私は彼女の少し後を付いて回りながら、祈るような気持ちで辺りを見回していた。


 広い玄関ホールを一通り探し終えると、今度は屋外へ出た。


 校舎の周りを、注意深く探っていく。


「あー、あったあった。初めてのパターンだわ」


 そこは、校舎の隅にあるゴミ置き場だった。


 無造作に放り出された靴を見つけて、彼女は少しだけ口角を上げた。


「ありがとね! 一緒に探してくれて」

「う、うん」


 舞岡さんは何事もなかったかのように靴を履き替え、玄関へと戻っていく。


 彼女は上履きを片付け、再び外へ出て行った。


 校門へと向かう彼女の背中を見つめながら、私はどうしても聞かずにはいられなかった。


「あの……!」

「ん? あ、さっきの子か。何?」

「な、何で平気なの……?」


 震える声で尋ねた。


 私だったら、誰かにこれほど拒絶されたら、怖くて明日から学校に来られなくなるかもしれない。


「え? 何が?」


 ……っ!? 何がって、わからないの? そんな馬鹿な。


「今までも、何度もこういうことがあったんでしょ……? 嫌がらせされてるんじゃないの……?」


 私の必死の問いかけに対し、舞岡さんは一瞬だけ、きょとんとした表情を浮かべた。


「あぁ、別にどうってことないわよ、こんなもん」


 彼女は平然と言い残し、淡いオレンジ色の夕光を背に去っていった。


 彼女の横顔は、誰よりも凛としていた。


 あまりに衝撃を受けた私は、ただ呆然とその背中を見送るしかなかった。


 胸の奥で、今まで味わったことのない感情が激しく波打っている。


 彼女の強さが、弱くて泣き虫だった私の心に、憧れという名の小さな火を灯した。


 ……彼女のそばにいれば、私もあんな風に強くなれるだろうか。


 クラスが違ったため、彼女の姿を目にするのは朝の登校時や休み時間、そして放課後だけ。


 私は暇さえあれば、彼女の姿を探して廊下を彷徨った。


 そうやって、彼女を目で追っているうちに気付いた。


 どうやら彼女は男子たちにモテるが故に、女子たちの嫉妬を買い、標的にされていたらしい。


 陰口を叩く女子たちの会話を聞いて、私はその構図を理解した。


 しかし、舞岡さん本人は、それを気にも留めていないどころか、気付いてさえもいないようだった。


 凄い……


 彼女と友達になりたいと思った。


 けれど、自信のない私にとって、彼女はあまりにも眩しい存在だった。


 6年生への進級時。クラス名簿に書かれた名前を見て、私は歓喜に震えた。


 やっ……やったぁ! 舞岡さんと同じクラスになった! この機会に仲良くなって、一緒に遊んだりしたい!


 その日、教室の隅で、朝の光を浴びる彼女を見つけて、私はありったけの勇気をかき集めて声を掛けた。



 後になって知った。


 彼女が、わずか6歳の時に母親を亡くしていたこと。


 幼く小さな手で包丁を握り、妹の面倒を見てきたこと。


 私が出会ったあのときには、すでに家事のほとんどを背負っていたこと。


 そんな彼女にとって、靴を隠される程度の子供じみた悪意など、些細な出来事に過ぎなかったのだ。



 中学生になり、彼女はやっと女子の嫉妬というものに気が付いたらしく、不器用な猫を被り始めた。


「ふふ。相変わらずわけわかんない」


 少しだけ情けなくて、けれど必死に仮面を被って笑う今の麗奈。


 私はそんな彼女のことが、あの日の放課後に見た孤高の少女と同じくらい、たまらなく大好きだった。




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