29話 この為にきたのか
歩の太腿のほどよい弾力と体温を感じながら、もにょもにょと落ち着く場所を探していると、少し眠くなってきた。
……このまま寝ちゃおうかな。
そんな思いに任せ、瞼を閉じる。
直後、玄関の開閉音が聞こえてきて、元気な声がリビングに飛び込んできた。
「ただいまです。あっ、歩君。また来てたんですね!」
「おー姫奈、お帰り」
歩がゲームを中断し、振り返って笑顔を向ける。
姫奈はソファのそばまで歩み寄ると、眉をひそめ、無防備に寝転がっている私をじろじろと見下ろした。
「お帰りなさい」
私は眠気に抗い、瞼を上げる。
「……なるほど。2人きりなのをいいことにイチャついてたんですね」
「別にイチャついてなんかないわよ」
歩がゲームに熱中しているから、彼の太ももを枕代わりにしてごろごろもにょもにょとしていただけだし。
「いや、これは普通イチャついているように見えますよ」
「……」
私は体を起こし、膝を抱えて座り直す。頬が熱いのは気のせいだろう。
「あれれ? 恋人ならイチャつくのは普通ですよ。何故やめるんですか?」
「うるさいわね。妹の前だと恥ずかしいでしょ」
「私のことは気にしなくていいですよ」
「私が気にするのよ」
からかってくる姫奈に抗議していると、隣で歩が呆れ果てたような声を上げる。
「いや、その言い方だと2人のときはマジでイチャついてる感じになるだろ。もうちょっとマシな言い訳しなよ」
確かに。
えーっと、何か言い訳は……
「うーんと……うーん……」
「何も出ないのか」
「うーん……」
「ていうかもう遅いですけどね」
しまった。咄嗟に言い訳が思いつかなかった。
「姫奈、このクエストめちゃくちゃ難しいんだけど」
歩が話題を変えるように言う。
同じところで何度も失敗していたらしく、彼の表情には悔しさが滲んでいる。
「交替しましょう。私がクリアしてやりますよ」
姫奈が彼を挟んで私と反対側の位置に腰を下ろす。
「その前に手を洗ってうがいもしてきなさい」
「何だか本当のお兄ちゃんみたいなんですが!?」
「お兄ちゃんと呼んでもよいぞ」
「歩お兄ちゃん!」
歩の適当なノリに、姫奈が食い気味に、しかも満面の笑みで応じる。
歩はともかく何で姫奈まで嬉しそうなの? こいつがお兄ちゃんってことはさぁ……私がこいつと結婚するみたいじゃない。
「うむ。ほらさっさと行ってこい」
「はーい。まあ歩君なら何回かやればクリアできますよ」
姫奈は軽い足取りでリビングを出ていった。
その後、戻ってきた姫奈はまた彼の隣に腰を下ろした。
2人は交代でゲームを始め、画面には鮮やかなエフェクトが乱舞している。
しばらくその様子を眺めていたが、私にはこのゲームは出来そうもない。
私はまた体を倒し、歩の太腿に頭を預けて横になった。
2人の楽しげな会話を聞きながら、私は彼の太腿にもにょもにょと頬を擦りつける。やばい。これクセになりそう……
またイチャついていると思われるかもしれないけど、もういいや。どうせ恋人ってことになってるし。
そんな穏やかな時間を過ごしていると、姫奈が少し遠慮がちに声を掛けてきた。
「あの、お姉ちゃん」
「ん?」
「ちょっとお腹が空いたのですが……」
姫奈は基本的にはっきりとものを言う子だが、私に何か頼み事をするときなどはこうして申し訳なさそうな顔をする。
普段の夕飯より早い時間だが、遊び疲れていつもより早くお腹が空いたのだろう。
「じゃあ今から何か作るわね」
「ありがとうございます」
私は気怠い体を起こし、キッチンへと向かった。エプロンを首にかけ、シュシュで髪を1つに纏める。
さて、何を作ろう。買ってきた食材を思い浮かべながら考える。
……カレーでいいか。カレーなら今から作っても、後で温め直せばまたすぐに食べられる。
スーパーの袋から、ジャガイモや人参、玉ねぎなどを取り出し、シンクの横に並べる。
調理器具を揃え、ジャガイモの皮をピーラーで剥き始めた頃、背後から足音が近付いてきた。
「何を作ってるんだ?」
「カレーを作るつもりよ」
「おっ、いいじゃん」
手を休めずに答えると、歩は身を乗り出すように手元を覗き込んでくる。
「あんたも食べたい?」
「うん。俺もお腹空いたー」
「別に食べてってもいいわよ」
「じゃあ1杯だけ食べてこっかな」
「うん」
歩が嬉しそうに微笑む。
私も昨日料理をベタ褒めしてくれたことを思い出し、自然と笑みが溢れ、指先が軽くなった。
けれど、次の瞬間。
一筋の疑念が雷のように走り、思わず彼に視線を移した。
こいつ、この為に来たのか!?
自分から荷物持ちを買って出たり、当然のように重い方を持ってくれたり……妙に優しいと思っていたけれど、ご飯目当てだったと考えれば腑に落ちる。
そうだ。間違いない。やっと謎が解けた気がする。
何よ……全然私のことを好きなわけじゃないじゃん。ご飯目当てでうちに来ただけじゃん。そりゃそうだけど! 私のことを好きな素振りなんて全く無かったけど! 何か変なこと考えちゃったじゃん。夕亜のせいだ。
ジャガイモの皮を剥きながら、もやもやと考える。
「何か手伝おうか?」
私の心境など露知らず、歩は呑気な声をかけてくる。
「……そう言えばあんたも料理するんだっけ?」
「まあな」
「じゃあそっちで野菜切ってよ」
「おっけい」
不機嫌さを隠すように、まな板を隣に置き、皮を剥いた野菜を渡す。
歩は手を洗ってから、慣れた手つきで包丁を握り、野菜を丁度良い大きさに切り揃えていく。普段から料理をしているだけある。
肩が触れそうな距離で2人並んで料理をしていると、また新婚夫婦などという単語が頭をよぎってしまった。
「後は私がやるからもういいわ」
「はーい」
これ以上、変な想像を膨らませたくなくて、私は途中で彼を追い出した。
歩は素直に手を洗い、リビングへ戻って行った。
やがて、スパイスの香りが部屋いっぱいに広がり、食欲をそそるカレーが完成した。
2人分を大皿に盛りつけ、テーブルへと運ぶ。
「出来たわよ」
「「はーい」」
席に着いた2人は、待ちきれないといった様子で「頂きまーす」と言って、スプーンを手に取った。
「美味い!」
歩は一口食べて、すぐに目を輝かせた。
そんな彼を見て、胸がじんわりと温かくなる。口に合って良かった。まあカレーだから簡単なんだけどね。
隣で姫奈も「美味しいですね」と頬を緩めている。
「何故ただのカレーまで俺が作ったのより美味いんだ……」
歩は悔しそうに、けれどスプーンを動かす手は止めずに呟く。その姿が妙に可笑しい。
「そんなに美味しい?」
「うん。(もぐもぐ)…………そうか、隠し味に小豆島の醤油を使ってるんだな?」
「醤油自体使ってないけど」
「知ってた」
「……」
あんた本当にわかってたのよね? あんたの味覚がポンコツなのだとしたら、私の料理の腕まで疑うことになるんだけど。
姫奈やお父さんが美味しいと言ってくれるから自信はあるけど、少し不安になるじゃない。
「ていうか、ご飯を食べたかったんなら最初から言えばいいでしょ?」
結局疑念をぶつけてしまった。
「最初からって?」
「だから、買い物を手伝うとか遠回りなこと言ってついてきたじゃん」
「いや、それは普通に手伝おうと思ったんだけど」
「………………はぁ?」
つまり、荷物持ちをしてくれたのは本当に善意だったってこと? でも泣くフリまでして、どう見ても不自然だったじゃない。
あ、もしかして昨日買い物が大変だって話したから? それで親切心を出して手伝おうとしてくれたの? わかりづらい!
私の猜疑心のせいと言われればその通りなんだけど……彼の今までの言動を見てたら仕方がないじゃない。
でもそう言えば、出会ったばかりの頃に「虐められたら助けてやる」とか言ってたし、昨日だって水溜りから庇ってくれたのよね……
「あんたってわけわかんないわね」
「マジかよ、初めて言われた」
……絶対嘘だ。
何度かは言われたことあるでしょ。だって本当にわけがわからないから。
何だか複雑な感情が胸の内で渦巻く。
けれど、私の作ったカレーを美味しそうに食べる彼を見ていたら、いつの間にかそんな思いは消え、温かな喜びに満たされていた。
「昨日の残りの唐揚げもあるけど食べる?」
「頂きます」
私は上機嫌でキッチンへと向かい、唐揚げを出してあげた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
これで第1章は終わりです。
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