23話 チョロいですね
俺は熱めのシャワーで冷えた体を洗い流し、浴室を後にした。
脱衣所の籠の中には、バスタオルと共に、丁寧に畳まれたTシャツとハーフパンツが置かれていた。
濡れた髪と体をタオルで拭い、用意されていたTシャツに袖を通す。肩幅が少し窮屈だけど……まあ着れないことはないか。
脱衣所を後にし、静かな廊下を抜け、リビングへと入る。
姫奈がソファに腰掛け、テレビ画面に向かって熱心にコントローラーを動かしていた。画面内では、モンスターの群れが派手なエフェクトと共に薙ぎ払われている。
「お風呂ありがとな」
「あ、はい。どういたしまして」
姫奈が手を止め、こちらに振り向く。
姉の方はいないのかと思い、きょろきょろと見回してみるが、姿は見えない。
「お姉ちゃんは?」
「まだ2階へ行ったまま戻って来てないですよ」
「マジか」
さっき悪ノリし過ぎたかもしれない。泣き叫んでたしな……
俺は置いてあったリュックからビニール袋を取り出し、湿って重くなった制服を詰め込んだ。帰ったら洗濯しないと。
「それよりゲームの対戦やりません?」
「対戦? 何の?」
「これです。格闘ゲーム」
姫奈が掲げるのは、派手なパッケージの格闘ゲームだった。見たこともないやつだ。
「いいけど、あんまりわかんないぞ」
格闘ゲームなんて、いつぶりだろう。少なくとも高校に入ってからはやってないな。
俺はソファの正面へと回り込み、姫奈の隣に腰を下ろす。
「私に勝ったらアイス一本でどうです?」
「乗った」
姫奈は嬉しそうにソフトを入れ替え、余っていたコントローラーを俺に手渡した。
キャラ選択画面へ。
ずらりとキャラが並んでいて、やたらと多い。どうやら複数のゲームのキャラが登場するソフトらしい。
「全然わかんないんだけど」
「適当でいいんじゃないですか」
こいつ、俺をボコる気だな……
カーソルを動かしていると、やったことのあるシリーズのキャラを見つけた。これなら多少は動かし方がわかる。
「そう言えばお名前は何て言うのですか?」
「ん? 歩だよ」
「歩君ですか」
出来ればまたお兄ちゃんと呼んで欲しいところだ。
対戦が始まった。
開始数秒、俺のキャラはほとんど動かないまま、コンボ攻撃でボコられ、いつの間にか画面にK.O.の文字が。
「めっちゃ強いじゃん……」
「そうでもないですよ」
俺が弱いのか? 確かに格闘ゲームなんか久しぶりで、感覚が全然追いついていないが。
「もう1回やろう」
「はい」
俺はもう一度同じキャラを選んだ。
今度は少しだけ粘ったものの、結局ボコられて負けた。ほんと強いな、この女子小学生。
小学生……だよな?
「姫奈は何歳なんだ?」
「私は10歳ですよ」
「5年生くらいか?」
「はい。歩君はお姉ちゃんと同級生ですか?」
「そうだよ。同じクラスなんだ」
コントローラーをかちかちと動かしながら、会話が続く。
何度か勝負を重ねるうちに、少しずつこのゲームのコツを掴めてきた。重要なのは攻撃より防御だ。
姫奈の攻撃パターンを読み始めた俺は、上段攻撃か下段攻撃かを読んで防御を成功させていく。その上で、隙を見て攻撃を繰り出す。
そして、何とかギリギリの勝利を手にした。
「む……」
姫奈が悔しげに眉を寄せる。その表情は姉にそっくりだ。勝った嬉しさも倍増する。
「ゲームが好きなのか?」
「はい。家にいるときはよくゲームしてますね。たまにお姉ちゃんが一緒にやってくれますが、基本1人プレイです」
「ふーん」
まあ小学生が家でやることと言えばゲームくらいかもしれないな。
「だから今日は歩お兄ちゃんが一緒にゲームしてくれて嬉しいです!」
姫奈は頬を微かに染め、笑顔を向けてくる。
またお兄ちゃんと呼ばれた!
どうしよう、超可愛いんだけど……今ならシスコンの兄の気持ちがわかる。
心の中で感動に浸っていると、姫奈がぼそっと呟く。
「ふふっ、チョロいですね、歩君」
「……ん?」
今何やら不穏なセリフが聞こえた気がするんだが。
「何でもないですよ、歩お兄ちゃん!」
「……」
俺は歩お兄ちゃんというフレーズの余韻に浸ることにした。
「もう1回対戦しましょう! 歩お兄ちゃん」
「もちろんいいとも!」
俺は上機嫌でコントローラーを握り直す。
直後、ガチャリと、リビングの扉が遠慮がちな音を立てて開いた。
舞岡が入って来た。薄ピンク色の、フード付きの家着姿になっている。さっきの名残か、頬がまだほんのり赤い。
家着姿、ちょっと可愛いな……
「あんたら何やってんの?」
舞岡は不機嫌さを隠しきれない視線を向けてくる。
「何って、ゲームしてるだけだよな」
「そうですね。歩君、私ちょっと飲み物を取ってきますね」
姫奈がコントローラーを置いて立ち上がる。
「あ、俺も喉乾いたんだけど」
「歩君の分も入れてきますよ」
「悪いな。あとさっき勝ったからアイスくれよ」
「そうでしたね。一緒に持ってきます」
姫奈は軽やかな足取りでキッチンへ向かった。
手持ち無沙汰になった俺は、ポケットからスマホを取り出す。英単語アプリでもやろう。
ソファに深く背中を預け、スマホを弄る。
舞岡が隣にぽすんと腰を下ろした。
「ねえ、何であんた普通にうちで寛いでんの?」
「えっ……お前まさか、この雨の中帰れっていうのか? いつからそんな冷たい奴になったんだ」
窓の外は依然として雨が降り続いている。帰るのが億劫だ。
「いや、そうじゃないけど……っていうかそれ……私のTシャツじゃない! あ、そのハーフパンツも!」
「あ、これやっぱりお前のなのか。シャワーを浴びてる間に姫奈が持ってきてくれたんだよ」
ちなみにパンツも濡れていたので、現在ノーパンの状態で彼女のハーフパンツを穿いている。怒られそうなので黙っておこう。
「えっ、あんたシャワー浴びたの? いつの間に……」
「知らなかったのか。姫奈が案内してくれたぞ」
「いや、それどころじゃなかったっていうか……」
舞岡は頬を微かに赤く染め、目を泳がせる。
「あ、さっきはごめん。変なこと言って」
「!? も、もういいわよ……!」
舞岡は顔を真っ赤にして声を尖らせた。もういいならいいか。
「……あと、私も放置しちゃってごめん」
「あぁ、うん」
特に問題はない。必要なことは姫奈が全部やってくれたしな。
俺は再びスマホの画面へと視線を落とす。
舞岡はソファの肘置きを枕にして横になると、俺の太腿に、ぺしっと足蹴りを入れてきた。
こいつ、やっぱりまだ根に持ってるな……




