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22話 彼女の妹

 強引に腕を引かれるまま、舞岡の自宅までついてきてしまった。住宅街にある、ごく普通の一軒家だ。


 玄関に入り、ようやく雨をしのげたことに小さく息をつく。


「ちょっと待ってて。タオル持ってくるから」


 舞岡は早足で廊下の奥へ消えていった。


 残された俺は、玄関の段差に腰を下ろす。


 ……尻がぐっしょり濡れていて、ものすごく気持ち悪い。


 なんでよりによって、水溜まりがあるタイミングで車が走ってくるんだ? ドライバーに悪意があったんじゃないかと疑いたくなる。


 しかも舞岡には傘に入れ忘れられるし。


 早く頭を拭きたいし、せっかくなので服も着替えたい。


 そんなことを考えていると、肩をつんつんと突かれた。早かったな。


「あぁ、さん……きゅ……?」


 振り返りながら礼を言おうとして、思わず言葉に詰まる。


 そこに立っていたのは、棒付きのバニラアイスを片手に、こちらを見下ろす小学生くらいの女の子だった。


 舞岡をそのまま幼くしたような顔立ちをしている。違いといえば、髪が少し短いくらいだ。


「舞岡さん、なんでそんな姿に……?」


 奥へタオルを取りに行ったら小学生になって戻ってきた……? まさか黒い服の人たちに変な薬でも飲まされたんじゃ……。


「何馬鹿なこと言ってんのよ」


 呆れたような顔で、舞岡が廊下の奥から戻ってきた。手にはタオルを持っている。


「何だ別人か。じゃあ誰だお前?」

「……私は姫奈です」


 少女はバニラアイスをぺろりとなめながら答える。なるほど、姫奈か。


「私の妹よ」

「あ、そうなんだ」


 まあ薄々そうかなとは思ってた。


 それにしても、舞岡とそっくりだな。将来は美人になりそうだ。どうか姉のようにスレないでほしい。


「はい、タオル」

「あぁ、ありがとう」


 差し出されたタオルを受け取り、わしゃわしゃと髪を拭き始める。


「あなたこそ誰です? もしかしてお姉ちゃんに群がる害虫ですか?」


 思わず手を止める。こいつ今何て言った?


「……何だって?」

「あなたはお姉ちゃんに群がる害虫ですか、と聞きました」

「……」


 聞き間違いじゃなかった。


「あはは、ウケる」と笑う舞岡。嬉しそうだな、こいつ。


 まあ今は姉よりもこの妹だ。舞岡の妹だけあってなかなか生意気な奴みたいだ。学校でもないし、こいつには猫を被らなくてもいいだろう。


「てめー誰が害虫だ? 誰がこいつに群がってるっていうんだ? あ?」

「小学生に凄むな」

「痛い」


 ぺしっと頭を叩かれ、思わず手で押さえる。


「あれ? 害虫じゃなくて可愛い猫に見えてきました」


 姫奈がぽつりと呟く。……猫ならまだマシか。


「……何で俺が害虫なんだ?」

「お姉ちゃんと街を歩くと大体害虫みたいな男が群がってくるので。だから同類かと」

「美少女も大変だな」


 舞岡は告白されても全て断っているような奴なので、ナンパしてくる男なんて余計にウザったいだけだろう。ちょっと可哀想かもしれない。


「で、あなたは誰なんですか?」


 また姫奈が尋ねてくる。


「俺は――」

「はっ、もしかしてお姉ちゃんを食べようとする狼ですか!?」

「……」


 遮った上に、意味不明なボケまで繰り出してきた。それ言い方が変わってるけど、さっきと同じような意味だよな? まあ害虫よりは狼の方がマシだけどな。ちょっとカッコいいし。


 舞岡も「何言ってんのあんた……」と妹に呆れた視線を向けている。


「何を黙ってるんですか? まさか本当にお姉ちゃんを食べようと……?」


 なおもしつこくボケてくる姫奈。どうやら俺のことを舐めている。こいつには人生の先輩として、一度ビシッと言っておかねばなるまい。


 俺はタオルを首に掛け、ゆっくりと立ち上がる。


「ふふ、姫奈よ。なかなか鋭いじゃないか」

「えっ、やっぱりあんた……っ! 私のことそんな目で見てたの!?」


 なぜか姉の方が顔を真っ赤にして喚いている。面倒なので今は無視だ。


「や、やっぱり、狼だったのですね!?」

「あぁ。ただ――」


 俺はニヤリと口角を上げる。


「食うのは貴様だけどなァ!」


 俺は魔王をイメージしながら邪悪な笑みを作り、姫奈に襲い掛かった。


「きゃあぁぁァァァ!」


 目を瞑って悲鳴を上げる姫奈。


 そして次の瞬間。


 ……ぱくっ。


 姫奈が持っていたバニラアイスをかじってやった。


「へ……?」


 姫奈は手元のアイスを見下ろし、それからゆっくりと顔を上げて俺を見つめてくる。


「おっ、結構美味いな」


 ぺろっと唇を舐める。


 姫奈は呆然と立ち尽くしている。ボケに乗ったつもりなんだけど。……大丈夫か?


「あんた、顔が怖すぎるわよ……」


 舞岡が顔を引きつらせている。


「そんなに怖かったか?」

「怖いです! 猫が一瞬でライオンになったかと思いました!」


 ふっ、狼の次はライオンか。さらにカッコいいな。


「何であんたちょっと嬉しそうなの? 馬鹿なの?」

「黙れ。食うぞ」

「ぐす……」

「あ、いや、ごめん……」


 目に涙を溜める舞岡を見て、慌てて謝る俺。そんなすぐ泣くなよ……。お前が泣くと嫌なんだ。教室でのトラウマが頭によぎるから。


「あ、猫に戻りましたね。よかったです」

「マジか……」


 俺、猫に戻っちゃったのか……。ライオンの方がよかったな……。


「で、あなたは結局誰なんですか?」

「……ちゃんと聞くんだろうな?」

「はい」


 なかなか話が進まなかったが、ようやく自己紹介ができそうだ。


「俺は――」


 言いかけたところで、ふと思いとどまる。


 なんて名乗ればいいんだ? 家族に偽物の彼氏だなんて言いづらいし、本物の恋人のフリだってする必要はない。


 ちらっと舞岡を見る。こいつの家族だし、説明を任せた方がいいかもしれない。


「この人は私の彼氏よ」


 舞岡はあっさりと言い放った。


 こいつは俺がためらった理由をわかっているのか? 何も考えてなさそうなんだが。


「へー。この人がお姉ちゃんの彼氏ですか」

「そうよ」

「高校生にもなって彼氏の一人もできないのを心配してましたけど、ついにできたんですね」

「あ、うん……まあね」


 こいつ、小学生の妹にそんなことを心配されていたのか。まあ舞岡なら彼氏を作ろうと思えばすぐにできるだろうけど。


 ちなみにうちの姉はすでに高3だが、彼氏ができる気配は全くない。放課後も休日も、常に家で寝転がっているからな。


「何とお呼びすればいいですか?」


 ふと頭をよぎる。


 舞岡の恋人である俺は、姫奈にとって兄のようなポジションのはずだ。


 ……ふむ、俺が兄だと? いい響きだ。俺は普段は弟の立場なので、ぶっちゃけ兄という立場に憧れているのだ。


「よく聞け姫奈。俺は実質お前のお兄様だ。特別にお兄ちゃんと呼ばせてやるからしっかり敬えよ。いいな?」

「はァ!?」


 また横にいた舞岡が、顔を赤くしながら声を荒げた。何で余計なところでお前が反応するんだ。今俺が兄と呼ばれるかどうかの瀬戸際なんだから静かにしててほしい。


「ちょっと待って! あんた、もしかして私と、けっ……結婚する気なの!?」


 何やらアホなことを言い出す舞岡。こいつと結婚? 嫌だ。俺はもっとまともな女の子と結婚するんだ。


 そもそも姫奈に俺のことを彼氏だと説明しておいて、そんな態度を取ることが意味不明だ。


 案の定、姫奈は怪訝そうな視線を姉に向けている。


 まあこいつは基本的にアホの子だからな。ここは俺がカバーするしかない。


 だが、どうする? 俺が「お前と結婚なんてするわけないだろ」と否定すると恋人として不自然だし、かと言って「結婚するつもりだよ」と頷けば、さらに舞岡が暴走しそうだ。


「ふふふ」


 とりあえず笑っておいた。


「その笑いは何……!? まさか、私を嫁にすれば毎日抱き放題とか思ってるんじゃないでしょうね!?」


 舞岡は顔を真っ赤にして、胸を隠すようにしながら一歩後ずさる。


「ふははは!」


 意味不明なので、俺はさらに笑うしかなかった。ついでなので勝ち誇ったように笑ってやった。


「ちょっ……まじ? えっと……まっ、毎日は駄目よ……? 多分体力的に……せめて、二日に一回に……」

「くっくっく」


 え、何が? こいつ何言ってんの? とりあえず適当に笑ってみたけど。


「ぐす……」


 ……泣き始めた。


「夫婦だったら……そりゃ仕方ないかもだけど……うぅ……ひぐっ……」


 だからお前との結婚なんて全く考えてないって。というか笑ってただけだし。


 ちらっと姫奈の方を見ると、姫奈はバニラアイスを持ったまま、ぽかんとしている。


 教室でのトラウマがあるので、泣き始めた舞岡にはすぐに謝りたいところだが……。


「ふぅ」


 俺は制服のネクタイを緩め、ブレザーを脱ぐ。


「さーて、今日は先にご飯にするかお風呂にするか、どっちにしようかなァ? それとも……?」


 なぜかノリでやってしまう俺。あのときの舞岡もこんな気持ちだったのか。


 俺がニヤリと笑みを浮かべると、舞岡は肩をびくんと跳ねさせ、涙をこぼしながらじりじりと下がっていく。


「……い…………嫌ああぁぁぁぁぁぁァァァ! この絶倫魔王ーっ! うえぇぇぇぇん!」


 舞岡は絶叫しながら逃げ出し、奥の階段を凄まじい勢いで駆け上がっていった。


 え……マジかよ。というか、絶倫魔王って何だよ……。


「「……」」


 嵐が去ったあとのような静けさの中、残された俺と姫奈は、ただ呆然と立ち尽くす。


 あいつは相変わらず何でも真に受けるなぁ。将来とか大丈夫だろうか。


「はぁ」


 どっと疲れが出て、小さくため息をつく。


 外したネクタイと脱いだブレザーを左腕に抱える。濡れていたシャツが肌に張り付いて、ちょっと寒くなってきた。


「………………ぷっ」


 静寂を破ったのは、姫奈の声だった。


「あははっ。ちょっ、何ですか今の! お姉ちゃんのうろたえ方最高だったんですけど!」

「はは、それな」


 腹を抱えて笑う姫奈に、適当に相槌を打つ。楽しんでもらえたならよかった。あいつは泣き叫んでたけど。


 というか、さっきバニラアイスをかじってやったときのお前の顔も結構面白かったけどな。


 姫奈は残っていたバニラアイスを口に放り込む。


「先程は失礼なことを言ってすみません。雨に濡れたんですね。シャワーでも浴びますか?」

「え、いいのか?」


 ありがたい申し出だった。シャツは濡れて冷たいし、外はまだ雨が降り続いている。


「はい。着替えなら私が持ってきますから」

「マジかよ、悪いな」

「全然いいですよ」


 あれ? 実はまともな妹じゃないか? というか普通にいい奴だ。さっきは生意気な子供だと思ったけど、急に可愛く見えてきた。


「こっちです」

「あぁ」


 俺は靴を脱ぎ、姫奈についていく。


 脱衣所へと案内された。


「じゃあ風邪を引くといけないので早く入ってください。適当に着替えを置いときますから」

「あ、うん。ありがとな」


 姫奈は姉の彼氏である俺が遊びに来たとでも思っているのかもしれない。


 最初に害虫呼ばわりされたときはムッとなったが、姉を想うがゆえの警戒心だったのだと考えれば理解できる。俺だって、姉さんに変な男が寄ってきたら害虫にしか見えないだろう。


 なぜ警戒が解けたのかはわからないけどな。さっきの舞岡とのやりとりがウケたからだろうか。


 姫奈は脱衣所の外へ出ると、引き戸を半分ほど閉め、ひょこっと顔だけのぞかせて笑顔を向けてくる。


「では、ゆっくりと温まってくださいね、お兄ちゃん」

「っ!?」


 そのまま、パタンと引き戸が閉まる。


 ……なん、だと?


 あいつ、しれっとお兄ちゃんとか言ったぞ! 可愛い! いいじゃないか妹!




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チョロくて草。自分ら似た者夫婦やで。
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