不審者③ 九条邦一視点
「やはり逃げられてしまったか」
ワシの名は九条邦一。
国内はもちろん、国外でもそれなりに名を馳せておる九条財閥(九条グループ)で“名だけの会長”を勤め、何から何まで社長である息子に全てを託し、今はのんびりと余生を満喫しておる……と言いたいところだが、次期社長候補であるバカ孫に頭を悩ませる日々。
あのクソガキ(バカ孫)は誰に似たのか検討もつかん。軽薄でちゃらんぽらんな奴になりおって、ため息も出んわ。あのヘラヘラした顔もおちゃらけた態度もなんとかならんもんか? 人を小馬鹿にするような、神経を逆撫でするような、あんのクソ生意気なバカ孫が。
「はぁぁ。九条家の未来は一体どうなることやら。なぁ? 紀美子」
今日も今日とてバカ孫をどうしようか、九条の安泰は続くのか……そんなこと考えながら、今は亡き妻と初めて出会った公園に訪れていた。紀美子が好きだったブランコに揺られ、雲ひとつない空を眺める。
穏やかな風に吹かれながら黄昏るのも悪くはない。
傍から見たら老人がブランコに乗ってるなんぞ、奇妙で仕方がないだろう。誰ひとり声をかけてくることはない。むしろ奇妙がって避けられる始末。時代が時代なだけに、ブランコに乗って考えに耽る老人を避けるのは賢明かもしれんな。
全てが発達して何かと便利になった世の中と引き替えに、大切な何かを失いつつあるように感じる昨今。時代は移り変わってゆくもの、得て失って、それでも若人達は“今”を生きていかねばならん。
「さて、そろそろ帰るか」
重い腰を上げ、一歩踏み出した時だった。ちょっとした石っころに躓き見事に倒れ込んだ……のはいいが、こういう時に限って周りに人がいる。穴があったら入りたい、立ち上がる勇気がワシにはない。
「え、うわぁなにあれ~」
「あのじいさん変な薬でもやってんじゃね?」
「こわっ」
「行こ? 絡まれたくないし」
「動画撮らね?」
「ちょ、やめときなよ」
あれやこれやとヒソヒソ話す声が聞こえてくる。もうちょい聞こえんよう話せんもんか? まぁこれも時代だな。昔はもうちぃとばかし、助け合いの心っちゅうもんがあったような気もするが、今時こんな得体の知れん老人を助けようと思う若者はおらんか。まぁ、おらんわな。
いや、別にそれが悪いだの、おかしいだの、そんなことは言わんし思わん。ワシだってリスクを負ってまで赤の他人を助けたいとは到底思えんからな。ただ、一言だけ言ってもいいか?
『恥ずかしいからさっさと何処かへ行ってくれんか!!』そう心の中で叫んだ時だった。誰かがこっちへ向かって走って来る気配が……。少し遠くからでも分かる、息を切らしながら走っているのがな。
物珍しくて写真でも撮りに来たか? で、それをエスエヌエス? とやらに上げてバズる? だの何だのと騒ぎ立てて、注目されたいか? 何とも言えん世の中になったもんだな。バズるだの何だの、それの何がいいのかワシにはさっぱり分からん。依存者ばかりの世の中になったもんだ。まぁ時代に取り残された老いぼれジジイの戯れ言だと思ってくれ。
「だっ、大丈夫ですか!?」
若そうな小娘の声が聞こえるのと同時に肩を軽く叩かれた。今さら顔を上げるわけにもいかん。こうなったら意地でも顔は晒さんぞ。エスエヌエスとやらにアップする写真なんぞ、何がなんでも撮らせんぞワシは!
さて、この小娘が去るのを待つか……そう思った時──。両肩をガシッと掴まれ、死ぬほど揺さぶられた。今時の言葉で言うと『下手すりゃワンチャン死ぬ』というやつだな。
「おじいちゃん! ダメダメ! 死なないで!」
声を張り上げて必死になっている小娘。今の世の中も捨てたものではないか。これはこれで……悪くはない、のかもしれんな。
── というか、死ぬ。
「ねえ!! おじいちゃっ」
「し、死ぬわぁぁーー!!」
目がグルングルン回って、景色もろとも歪んで見える。ワシの眼球は無事なのか? そして、徐々にピントが合って見えてきたのはワシを殺そうとした小娘。
── ほう、なるほど。そうか、悪くは……ない。
はっきり見えた小娘の容姿はそこそこ……いや、結構綺麗な顔立ちをしておる……にも関わらず、素朴で化粧っ気もなければ服装も地味というか、飾りっ気がなく拘りがまるで無い。勿体ないの、素材が良いだけに。こう言っちゃあなんだが、容姿端麗なわりに“貧乏くさい”この一言に尽きる。
だが、直感で思った。根拠も確証も何もないが、バカ孫にはこの小娘しかおらん。これは逃すわけにはいかんな……とな。
「──てなわけで、逃げられたわ」
「……はあ、邦一様。それは逃げられて当然ですよ? むしろ賢明な判断ができる方だったみたいでホッとしております」
ワシの御付きをしている日下部が、ルームミラー越しに呆れた表情を浮かべながらこっちをチラリと確認しつつ車の運転をしている。
「日下部、言わんでも分かっておるな?」
「ええ、まぁ……相変わらず邦一様は無茶振りがすぎますね。承知いたしました、善処いたします」
大きなため息を吐きながら、やれやれと言わんばかりの顔をしてガクッと肩を落とす日下部。ただでさえ忙しいのに、余計な仕事を増やすなクソジジイ……といったところか。まぁ、日下部のことだ。
1週間もあれば、あの小娘を見つけ出すだろう──。