不審者②
「舞には我慢ばかりさせるわね、本当にごめんね」
しんみりするお母さんを見てると、あたしまでツラくなる。そんな顔をさせたいわけじゃない。いつもみたいに笑顔でいてほしい、ただそれだけ。それ以上のことは何も望まない。家族みんなが楽しく過ごせれば、あたしはそれでいいの。
「なに言ってんの~。別に我慢なんてしてないよ? ……あ、そういえば拓人と約束してるんだった! ちょっと拓人ん家行ってくるね~」
「そうなの? いってらっしゃい、気をつけてね」
「はいはーい、いってきまーす」
あたしはこの場にいるのが嫌になって逃げ出した。だって、本音が溢れ出ちゃいそうになるから。『いつもみたいに笑顔でいてほしい。それ以上のことは何も望まない。家族みんなが楽しく過ごせればそれでいい』これは紛れもない本音。
でも、あたしだって普通の……いや、口にするのはやめとこう。これは、この思いは、ちゃんと内に秘めておかないといけない。だってあたしは長女だから、あたしがしっかりしないといけないから。あたしが家族を支えなくちゃ、律達には行きたい高校へ行ってほしいもん。あの子達には我慢なんてさせたくないから。
「痛っ」
無意識に下唇を噛みしめてたみたいで、少しだけ血が滲んで口の中に血の味がじわっと広がった。我慢なんて今に始まったことじゃないじゃん、落ち着きなよあたし。軽く深呼吸をして、気持ちをなんとか落ち着かせながら幼なじみである拓人ん家へ向かった。
── 拓人ん家の近くにある、どこにでもあるようなただの公園。その公園をいつも通り、通り過ぎようとした時だった。
ドサッ!! 何かが落ちるような鈍い音が聞こえて、その音が聞こえたほうへあたしの体は咄嗟に動いていた。走って向かった先には、ブランコの下でうつ伏せになって倒れ込んでいるおじいちゃんの姿があって、慌てて駆け寄ったものの正直どうすればいいのか分かんない。
「だっ、大丈夫ですか!?」
息を切らしながらしゃがんで、おじいちゃんの肩を軽く叩いてみた……けど反応がない。これってもしかして、もしかしなくても── し、しっ、死んでる!? どどどどうしよう、どうする!? 脳内が盛大にパニクってるあたしは、おじいちゃんの肩を掴んで勢いよくガンガン揺さぶった。
「おじいちゃん! ダメダメ! 死なないで!」
そう叫んだあたしの声は公園中に響き渡って、なんならあたしがおじいちゃんを殺ってしまいそうな勢いで強く揺さぶってる。これ、あたしが殺人犯になるんじゃ……?
「ねえ!! おじいちゃっ」
「し、死ぬわぁぁーー!!」
ガバッ!! と凄まじい勢いで起き上がったおじいちゃん。し、死体が動いたぁぁ!? 黒目があっちゃこっちゃグルグル動き回って、ぶっちゃけキモいし怖すぎる! ホラーだよホラー!
「……え、もしかして、い、生きてる!?」
「生きとるわっ!! 勝手に殺すな!!」
全身についた砂埃を手でベシベシ払いながら少しだけ……いや、かなり機嫌が悪そうなおじいちゃんを見て、ホッと胸を撫で下ろした。ぶっちゃけ遺体の第一発見者とかになるのは勘弁してほしかったし。そもそも一歩間違えれば、あたしが人殺しになってたかもしれないもんね、揺さぶりすぎて……ははは。
「あの、えっと、もう大丈夫……ですよね? うん、大丈夫そうなのであたしはこれで」
軽く会釈をして、あまり絡まないほうが身のため、無難そうだなと思ったあたしはとにかくこの場からそそくさと去りたくて、おじいちゃんに背を向けた。
「ちょっと待たんか」
一歩踏み出し、歩き出そうとしていた足をピタリと止めるあたし。いや、止める必要はなかったんじゃないかって、止めた後に後悔しても時すでに遅し。なーんで止めちゃったかなぁ、無視すればよかったのにぃ。
「な、なんでしょうか……?」
呼び止められたし、わざわざ足を止めちゃったしで、嫌だけど仕方なく後ろへ振り向いておじいちゃんを見ると、ジッと真顔であたしを見つめていた。
どうしようかな。揺さぶりすぎちゃったし、慰謝料とか吹っかけられたりするパターンだったりする? 『頭がクラクラしてかなわん!! 5万で許してやる。親を呼べ!!』的な感じで。はぁぁ、人助けなんてしたって本当にろくなことないじゃん。マジで最悪なんですけど。
『うち、想像を絶するビンボーなんで慰謝料なんて払うお金はありません! 微塵もありません!』とか言っちゃう? めちゃくちゃ恥ずかしいし、なんで赤の他人にこんな暴露までしなきゃいけないのか……とか色々と思うところはあるけど、致し方ない、背に腹は代えられん。
「あの、うちビンボっ」
「気に入った」
「……へ?」
「おぬし、嫁に来い」
── は?
今なんて? えーっと……いやいやいや、何このおじいちゃん。ねえ、ヤバくない!? マジでヤバすぎない!? 『おぬし、嫁に来い』って、年の差婚レベルMAXじゃん! さすがにこの年齢差は無理がありすぎる!
「いや、今の言い方は少々語弊があったか?」
しまったな~みたいな顔をして、絶妙に近寄ってくるおじいちゃんに上手く笑えないあたしは少しづつ後退りをする。本格的にヤバい人だってあたしの本能が危険信号を発令して警告してくる、“直ちに逃げろ”ってね。
「あははは……えっと、ははっ。あの、あたし急いでるんっ」
「ワシの孫の嫁に来い」
は? いや、だから……はぁあんっ!?
ごめん、おじいちゃん。意味が分かんないのよ、ボケてんの? おじいちゃんの嫁でも、孫の嫁でも、どちらにしろ意味が分かんないよ、それ。
「おぬし、名はっ」
「ははっ! いやぁ、お元気そうでなにより! んじゃっ!」
「コラッ! 待たんか!」
この状況で『待て』と言われて待つ馬鹿がどこにいんのよ。言うまでもなく、あたしはダッシュで逃げた。顔面崩壊なんて恐れず、ただがむしゃらに猛ダッシュした。
「ハァッハァッ、何あれヤバすぎっ!」
あぁもうっ! ヤバいヤバい、ヤバいってば! とにかく逃げなくちゃ、あのおじいちゃんに捕まったら終わりよ。あたしの人生は、あたしの尊い命は、呆気なく終了する……予感しかしない!
「こわいコワイ怖いーー!」
あんな激ヤバ老人、もう二度と会いたくないわ。どうか、どうかこれっきりにしてください。“運命の再会!? ”とかそういうのも、一切いらないから! 本っ当にノーセンキュー!
「ハァッハァッ、忘れろ、忘れろ! とにかく今は己の無事だけを祈れ!」
あたしは世界新記録を更新しちゃうんじゃない!? ってくらいの凄まじい勢いで爆走しながら、幼なじみである拓人ん家へ向かった──。