EP 3
月給3億円の『バグ』と、空のろくでなし
けたたましい警報音が、巨大な空母の胎内に鳴り響いていた。
赤色灯が明滅する薄暗い通路を、坂上は凄まじい歩幅で突き進む。その後ろを、美月は小走りで必死に追いかけていた。
艦の心臓部であるCIC(戦闘指揮所)。
分厚いハッチをくぐり抜けると、そこは無数のモニターの青白い光と、オペレーターたちの怒号が飛び交う戦場だった。
「状況を報告せえ!」
坂上のドギツい怒声が響くと、CIC内の空気がピリッと張り詰めた。
だが、その緊張感を全く意に介さない人間が、部屋の最奥の中央コンソールにいた。
「あー、提督うるさい。鼓膜破れる。もっと論理的な声量で喋ってよ」
キャスター付きのチェアの上で、胡座をかいている女。
ダボダボのグレーのパーカーを着込み、寝癖のついた髪を無造作に束ねている。彼女の口には、棒付きのキャンディが咥えられていた。
早乙女蘭、25歳。
特A級AIエンジニアにして、防衛省が民間から月給3億円という破格のギャラで引き抜いた頭脳の怪物。
「で? 状況はどうなっとるんじゃ、蘭」
「見ての通り」
蘭はキャンディをガリッと噛み砕き、キーボードを叩く。メインスクリーンに、無数の赤い光点が映し出された。
「北西から中国の艦隊が展開中。それに合わせて、ロシア軍の電子戦機から強烈なジャミング(電波妨害)を食らってる。本国との通信回線は完全に死んだ。ついでに言うと、レーダーには実在しない『幽霊』の機影がウヨウヨ映ってる。ロシアお得意の欺瞞工作ってやつだね」
「……演習海域の逸脱にしては、陣形が露骨すぎるな」
坂上が舌打ちをする。
美月はモニターを睨みつけながら、霞が関で若林が言っていた言葉を思い出した。
『中国の張大使と茶ァどついてきたわ』
「これは、単なる演習ではありません」
美月が凛とした声で口を挟んだ。CICの視線が、見慣れないスーツ姿の彼女に集まる。
「中国とロシアは、日本政府の『覚悟』を試しているんです。極東のパワーバランスを揺さぶるために、この出雲艦隊を袋小路に追い詰めた。……恐らく、霞が関はこの事態を事前に予測していました。いや、容認したと言ってもいい」
「容認じゃと?」坂上が美月を睨む。
「はい。政府は国際的な摩擦を避けるため、そして中国からの巨額のインフラ投資を引き出すための『生け贄』として、最初からこの艦隊をこの海域に配置したんです」
その言葉に、CICの空気が凍りついた。
自分たちは、戦う前から国に売られていた。その事実が、乗組員たちの顔に深い絶望の影を落とす。
「ふーん。やっぱり人間って最高の『バグ』だよね」
重い空気をぶち壊すように、蘭が新しい角砂糖を口に放り込んだ。
「合理的に考えれば、自国の最強戦力を捨てるなんてあり得ない。でも、政治家のおじさんたちは見えない利益のために数式を歪める。……うん、すごく面白い」
「笑い事じゃあないぞ、蘭。このまま電波暗室に閉じ込められりゃあ、ただの鉄の棺桶じゃ。おどれのシステムで突破できんのか」
「できるよ。でも、相手のAIもかなり優秀。数式を書き換えるのに、あと20分は欲しいかな」
その時、CICの自動ドアが開き、間の抜けた欠伸の声が響いた。
「ふわぁ……。いや、なんか艦内のWi-Fi切れてるんだけど。いい所で動画止まっちゃったじゃん。誰かルーター蹴っ飛ばした?」
頭を掻きながら入ってきたのは、先ほど甲板で美月に借金を申し込んできたパイロット、平上雪之丞だった。
「雪之丞!! 貴様、緊急警報が鳴っとるのに何しとった!」
「いやいや提督、俺のシフトは午後からッスよ。それに、Wi-Fi直してもらわないとモチベ上がんないし」
極限の緊張状態の中で、全く悪びれることなくヘラヘラと笑う雪之丞。
この絶望的な状況下で、彼らには悲壮感というものが全く欠如していた。
暴力と仁義で艦を束ねる提督。
世界をパズルとしか思っていない天才エンジニア。
空飛ぶこと以外はポンコツの借金まみれのパイロット。
そして、彼らをまとめるはずの「国」は、とうに背を向けている。
(……なんて、歪で、バラバラな集団)
美月は、この艦が「掃き溜め」と呼ばれた理由を痛感した。
誰もが圧倒的な能力を持ちながら、歯車として組み合わさっていない。彼らには、戦うための「芯」がないのだ。
「雪之丞、四の五の言わんとF-35Bに乗れ。蘭のシステム復旧まで、上空でロシアの電子戦機を牽制して時間を稼ぐんじゃ」
「えー、残業代出んの? ま、いいけど。空の上なら取り立ても来ないしね」
雪之丞は面倒くさそうに首を鳴らし、ヘルメットを脇に抱えて格納庫へと向かっていった。
「提督、指示を」
蘭がモニターから目を離さずに言った。
「戦闘態勢発令。各艦、対空・対艦防御システム起動」
坂上が低く、腹の底に響く声で命じる。
「相手が撃ってくるまでは撃つな。だが、一発でもカスったら……容赦せん。艦隊の全火力で、敵の頭をカチ割れ」
開戦のカウントダウンが刻まれる中、美月は拳を強く握りしめた。
太陽(国家)は、彼らを照らさない。
ならば、誰がこの暗闇の中で、彼らを繋ぎ止める光になるのか。
美月の中で、何かが静かに、しかし決定的に変わり始めていた。




