EP 13
狂犬とカウボーイ、海神の決闘
「システムが落ちたなら、窓を開けて肉眼で星を見ろ! 六分儀を持て! 海兵隊のケンカのやり方を、コンピューター漬けの坊ちゃん共に教えてやれ!」
米海軍第7艦隊旗艦、原子力空母『ロナルド・レーガン』の艦橋。
ジャック・フォークナー大将は、へし折った葉巻を床に吐き捨て、カウボーイハットを目深に被り直した。
蘭の放った「狂気のウイルス」によって、極東の海域は一時的に高度なデータリンクを喪失し、19世紀の海戦さながらの「アナログ(肉眼と経験)」の世界へと退行していた。
だが、海から這い上がってきた叩き上げの猛将フォークナーにとって、それは最高に血沸き肉躍る舞台だった。
『目標、距離一万二千! 接近してきます! デカい……! 護衛艦の陰から、「出雲」本艦が単艦で突っ込んできます!』
レーダー手の悲鳴に近い報告に、フォークナーはニヤリと笑った。
「空母が、護衛を捨てて単独で突撃だと? ハッ! 相変わらずイカれた男だぜ、シンイチ(坂上)! ……全艦、主砲および近接防空ミサイル、手動照準で構えろ!」
漆黒の太平洋を、全長248メートルの巨大な鋼鉄の島『出雲』が、波を砕きながら猛進していた。
「両舷前進、最大戦速! 機関長、ボイラーの底が抜けるまで焚べろ!!」
CIC(戦闘指揮所)ではなく、艦の最上部にある艦橋に陣取った坂上真一は、夜風と波飛沫を直接顔に浴びながら、双眼鏡も使わずに前方の闇を睨みつけていた。
空母である『出雲』には、戦艦のような巨大な主砲はない。丸腰に近い巨体が、圧倒的な火力を誇る米艦隊の真正面から突っ込んでいく。それは誰の目から見ても、狂気の沙汰だった。
「提督! このままでは敵の砲撃の的です!」
操舵手が悲鳴を上げる。
「構わん! 面舵五! 波のうねりに乗せろ! ……敵の弾筋は、ワシの目と『勘』で読む!」
坂上の瞳孔が、極限まで見開かれていた。
システムに依存しないアナログ戦闘において、勝敗を分けるのは指揮官の「空間把握能力」と「闘争本能」だ。かつて暴走族を率い、血みどろの抗争の中で培った「絶対に死なない間合い」を、彼はこの巨大な空母の操艦に適用していた。
ドンッ!!
夜空を裂き、米軍の駆逐艦から放たれた数発の砲弾とミサイルが飛来する。
だが。
「……今じゃ! 取舵いっぱい!!」
坂上の怒号と共に、『出雲』は信じられない角度で巨体を傾けながら急旋回した。
砲弾は『出雲』の艦首をかすめ、ミサイルは上空で待機していた雪之丞のF-35Bが投下したフレア(熱源欺瞞弾)に吸い寄せられ、空しく海上で爆発した。
「馬鹿な……! あの図体で、波と風を読んで弾を避けたというのか!」
米軍の艦橋がパニックに陥る。
だが、坂上の目は完全に据わっていた。
彼の脳裏にあるのは、合理的で冷酷な戦術ではない。背中に彫られた仁王像のように、「家族(部下)」を守るために鬼となる覚悟。国に捨てられ、傷ついたこの艦のクルーたちに、絶対に二度と「地獄」を見せないという強烈な仁義だった。
「距離五千! 敵旗艦『レーガン』の横腹が見えました!」
「そのまま突っ込め!! 衝突コースじゃ!!」
坂上は、コンソールを叩き割らんばかりの勢いで拳を振り下ろした。
巨大な空母同士のチキンレース。
『出雲』の艦首が、暗闇の中から巨大な壁のように『レーガン』へと迫っていく。
「提督!」
たまらず美月が叫んだ。このままいけば、両艦は激突し、太平洋上で数千人の命が海の藻屑となる。
だが、坂上は動じない。
「見ておれ、美月。……リベラの嬢ちゃんが用意してくれた『見えない盾』と、ワシの『狂気』。どちらが分厚いか、テキサスの野郎に教えてやるんじゃ」
距離三千。二千。一千。
互いの艦橋に立つ指揮官の顔が、肉眼で見えるほどの異常な距離。
『――Crazy dog(狂犬め)! 本気でウチ(米国)の空母と刺し違える気か、シンイチ!』
国際VHFチャンネルから、フォークナーの怒声が響く。
「ワシは今、海を漂う『民間船』のただの船長じゃあ! そっちから手を出せば、国際法廷でテメェの国は破産するぞ、ジャック!」
坂上はマイクを鷲掴みにし、ドギツい広島弁で吠え返した。
「退けえ! 退かんと、このままテメェのドテッ腹に風穴開けたるぞ!!」
フォークナーは、双眼鏡越しに坂上の顔を見た。
その目に、一切の迷いはなかった。合理的な判断などとうに捨て去り、部下のために共に死ぬ覚悟を決めた男の、圧倒的な「気迫」。
それは、アメリカの正義や、兵器のスペックでは絶対に測れない、極東の武士の魂だった。
そして何より、桜田リベラが構築した「民間船」という法的な呪縛。
もしここで衝突すれば、米軍は「非武装の民間船を回避せず、撃沈した」という最悪の戦争犯罪の汚名を着ることになる。
暴力と、法。
二つの最強の武器を突きつけられ、フォークナーはフッと口角を上げた。
「……ハッ! 全く、とんでもないポーカーを仕掛けてきやがる」
フォークナーはハットを取り、通信機のマイクを握った。
『――All hands, hard to starboard!(全艦、面舵いっぱい!)』
米軍の旗艦『ロナルド・レーガン』が、重々しい汽笛を鳴らしながら、ギリギリのところで進路を変更した。
二隻の巨大な空母が、数十メートルの距離ですれ違う。
互いの乗組員の顔が見えるほどの近距離。風の轟音と、巨大なエンジンの唸りだけが、その場を支配していた。
『……お前たちの勝ちだ、シンイチ。そして、そっちのお嬢ちゃん(美月)に伝えとけ』
すれ違いざま、フォークナーの声が静かに響いた。
『国に捨てられてなお、それだけの牙と知恵を持つ集団……。もはやお前たちは、ただの反乱軍じゃない。一つの「国家」だ。……次は、テーブルの上で会おうぜ』
「……フン。美味いバーボンでも用意しとけや、カウボーイ」
坂上が通信を切り、大きく息を吐き出した。
全身が、限界を超えた緊張で滝のような汗に濡れていた。
「……抜けました」
艦橋の窓の向こう。
多国籍軍の巨大な壁が割れ、その先に、どこまでも広がる漆黒の海と、雲の隙間から顔を出した美しい満月が見えた。
「各艦、ダメージコントロール急げ。……海域を完全に離脱する」
坂上の静かな命令に、艦橋のクルーたちが次々と座り込み、歓喜の涙を流し始めた。
圧倒的な大国の暴力に対し、彼らは力と、法と、そして狂気で真っ向から挑み、打ち勝ったのだ。
「……提督」
美月が、ふらつく足で坂上の隣に立ち、夜の海を見つめた。
彼女の目は、恐ろしいほどの死線を越え、透き通るような強さを宿していた。
「これが、暴力ですね」
「ああ。綺麗な理想を語るだけじゃあ、この海は越えられん。……だがな、美月」
坂上は、夜空の月を見上げて言った。
「その血塗られた暴力の行き先を決めるのは、おどれの仕事じゃ。おどれが『皆の月になる』と腹を括ったから、ワシらは死地を越えられた」
美月は、自分の胸の奥で、かつての甘い理想が、決して砕けない鋼の「信念」へと鍛え直されたのを感じていた。
国を持たない、傷だらけの怪物たち。
彼らを乗せた『出雲』は、大国たちの包囲網を完全に突破し、何者にも縛られない自由の海へと、静かに進んでいった。




