EP 10
修羅の弁護。国際法をハックする
東京・永田町。首相官邸の地下にある危機管理センター。
大型モニターには、房総半島の対艦ミサイル陣地が「所属不明の武装勢力(信長)」によって制圧され、沈黙したという報告が映し出されていた。
「……チッ。陸のネズミが一匹、紛れ込んだようですね」
狗飼潤は、いつもの温和な笑みを完全に消し去り、舌打ちをした。
内調の暗殺部隊を差し向けることもできたが、すでに『出雲』には燃料が届き、システムも復旧しつつある。こうなれば、物理的な破壊を多国籍軍に「合法的に」委ねるしかない。
狗飼の横で、与党幹事長の若林幸隆が腕を組み、重い声を出した。
「狗飼。米軍のフォークナーと、中国の張に連絡を取れ。『出雲艦隊は完全に国家の統制を離れたテロリストである。我が国は、同盟国および国際社会による無力化(撃沈)を要請する』と」
自国の最新鋭空母を、他国に沈めさせる。
国家のプライドとしては最悪だが、中国のインフラ投資を引き出し、米国の顔も立てるための「最も冷酷で合理的な算盤」だった。総理大臣の承認は、すでに若林が裏で握っている。
狗飼が国際緊急回線のスイッチに手を伸ばした、その時だった。
「あら、ごきげんよう。ずいぶんと物騒な夜更かしですわね、皆様」
重厚な防音扉が開き、場違いなほど甘い香りがセンター内に漂い込んできた。
キャスター付きのティーワゴンを優雅に押し、最高級のボーンチャイナのティーセットと、焼きたてのスコーンを運んできたのは、美しい一人の淑女だった。
日本政府・首席国際法務官、桜田リベラ(さくらだ りべら)。30歳。
日本屈指の巨大コングロマリット「桜田財閥」の令嬢にして、慶應大法学部を首席で卒業した元・人権派弁護士。
「……桜田法務官。ここは関係者以外立入禁止です。いくらあなたでも――」
狗飼が立ち上がろうとした瞬間、リベラはワゴンの下から抜いた一丁の拳銃(グロック19)を、迷いなく狗飼の眉間に突きつけた。ハワイの射撃場で鍛え上げられた、一切のブレがない完璧な構えだった。
「動かないでくださる? 狗飼さん。私、紅茶の温度には少しうるさいんですの。……先生(若林)も、ダージリンでよろしいかしら?」
銃を構えたまま、もう片方の手で優雅にティーポットを傾け、カップに琥珀色の液体を注ぐ。
かつて岡山で最強のレディースを束ねていた「荒ぶる魂」と、法を司る「冷徹な知性」が同居する、極めて危険な女の顔だった。
「……相変わらず、無茶苦茶な女じゃのう、リベラ。国際法務官が政府高官に銃を向ければ、国家反逆罪じゃぞ」
若林は動じず、出された紅茶のカップを手に取った。弁護士時代、彼女の底知れぬ才覚を見抜き、政界へ引き込んだのは他でもない若林だ。
「罪を憎んで人を憎まず、ですわ。私は先生を撃ちたいわけではありません。ただ、私の大切な友人たち(美月や坂上)に指一本でも触れるなら……法という名の刃で、貴方たちの人生を解体して差し上げると言いに来ただけです」
リベラは銃を下ろし、美しい微笑みを浮かべた。
「さて、本題です。先ほど『出雲』をテロリストとして国際社会に撃沈させると仰っていましたわね。……残念ですが、それは不可能です」
「ほう? 理由を聞こうか」
リベラは、タブレット端末を若林たちのテーブルに滑らせた。
「十五分前。日本政府が『出雲艦隊への一切の補給と支援を打ち切り、関与を否定した』という報道が世界に発信されました。……これは国際海法上、所有者である日本国が、自国の艦船を『放棄(Abandonment)』したと解釈されます」
狗飼の顔色が変わった。
「まさか……!」
「その『まさか』ですわ」
リベラは扇子を広げるように、一枚の電子契約書を提示した。
「放棄された艦船は、海難救助法およびサルベージ権の対象となります。我が桜田財閥は、民間海洋調査会社を通じて、たった今『出雲』および随伴艦の所有権を一時的に取得いたしました。さらに、艦に乗る500名の乗組員全員と、桜田財閥の警備部門として『緊急雇用契約』を結びましたの」
「な……馬鹿な! そんな詭弁が国際社会で通用するはずがない! 軍艦を民間企業が買うなど――」
狗飼が怒鳴るが、リベラは冷たく彼を制した。
「詭弁かどうかを決めるのは、国際司法裁判所(ICJ)ですわ。……いいですか? 現在『出雲』は、日本政府に属する軍艦ではなく、桜田財閥の所有する『非武装の民間海洋調査船』であり、乗組員は『民間人』です。彼らはただ、遭難して公海上に浮かんでいるだけ」
リベラは、紅茶を一口飲み、最高の笑顔を作った。
「もし今、米国の第七艦隊や中国軍が『出雲』を攻撃すればどうなるか? それはテロ鎮圧ではなく、国連決議を経ない『多国籍企業および非武装の民間人に対する、海賊行為ならびに戦争犯罪』となります」
背筋が凍るような、完璧な「リーガル・ハック」。
法というルールを極限まで拡大解釈し、グレーゾーンを突き、権力者の牙を根本からへし折る。
桜田財閥の巨大な資本力と、彼女の狂気じみた法解釈が組み合わさった時、世界中のどの国家も、法的なリスク(巨額の賠償と国際的非難)を恐れて手を出せなくなるのだ。
「もし一発でも『出雲』に弾が当たれば、桜田財閥は総力を挙げて、米国と中国を国際法廷で徹底的に吊るし上げます。……数兆円の損害賠償と、関係将校の戦犯指定。さて、フォークナー将軍や張大使は、そこまでのリスクを背負ってあの鉄の塊を沈めたいと思うかしら?」
センター内は、水を打ったように静まり返った。
力で勝てないなら、法で縛り上げる。
彼女は、愛する息子・優太に「戦争という地獄」を見せないためなら、どんな手を使ってでも世界のルールを書き換える「修羅」なのだ。
「……ククッ、ハハハハハッ!!」
不意に、若林が腹の底から笑い声を上げた。
「見事じゃ、リベラ。わしの教えた法を、まさかこんな形で国に突きつけてくるとはのう。……お前も、立派な修羅になったわい」
「先生の教えが良かったからですわ。いつでも議席を空けておくと仰っていましたが、私は遠慮しておきます。永田町の紅茶は、少し泥臭すぎますから」
若林は笑いがおさまらないまま、狗飼に顎でしゃくった。
「狗飼、米軍と中国への攻撃要請は取り下げろ。……法務官殿の仰る通り、民間船を沈めれば、こっちの首が飛ぶ」
「しかし、先生……! このままでは『出雲』が!」
「構わん。撃沈の口実は潰されたが、あいつらが生き延びられる保証はどこにもない。……ここからは、純粋な『現場の力比べ』じゃ」
若林の目は、遠く離れた太平洋の海を睨むように鋭く光った。
同じ頃。太平洋上。
『出雲』を包囲していた多国籍軍の艦隊に、激震が走っていた。
「……What? 民間船だと? ふざけるな、あのバカでかい空母のどこが調査船だ!」
米第7艦隊の旗艦で、フォークナー将軍がラッキーストライクを噛みちぎりながら怒鳴った。
「ワシントンから攻撃中止の命令だと……? 弁護士崩れの小娘の戯言に、ペンタゴンがビビったのか!」
中国艦隊でも、張大使が舌打ちをしていた。
「……桜田財閥ですか。日本の資本と法律を盾に取るとは。……どうやら、彼らの中には相当な『切れ者』がいるようだ」
包囲網の足並みが、法という見えない鎖によって完全に乱れた。
攻撃の手が止まり、現場に一瞬の「空白」が生まれる。
その報告は、暗号回線を通じて『出雲』のCICにも届けられていた。
「……リベラさんの『ティータイム』が、終わったみたい」
蘭がモニターを見ながら、ニヤリと笑った。「多国籍軍の火器管制レーダーのロックオンが、次々と解除されていくよ」
「……上出来じゃ。これ以上の御膳立てはねえ」
坂上が、艦長席からゆっくりと立ち上がった。
燃料は満タン。システムは完全復旧。そして、敵の政治的大義(撃つ理由)は消滅した。
坂上は、隣に立つ美月を見た。
「反撃の狼煙は、おどれが上げろ、美月。おどれがこの艦の『王』じゃ」
美月は深く頷き、艦内放送のマイクを握った。
国に捨てられ、泥を被り、仲間の命を失いかけた。それでも彼らは、金と、血と、法を繋ぎ合わせて、自らの足で再び立ち上がったのだ。
『――出雲艦隊、全乗組員へ』
美月の冷たく澄んだ声が、艦内に響き渡る。
『私たちを縛る鎖は、すべて断ち切られました。これより、本艦はすべての防衛態勢を解除し……包囲網を突破します』
彼女の瞳には、かつて内閣府で理想を語っていた時の輝きが戻っていた。
だがそれは、太陽に守られた温室の光ではない。暗闇の中で自ら燃え上がり、狂人たちを導く「血塗られた月」の光だった。
『空を開けなさい、雪之丞。私たちだけの、新しい朝を迎えに行くわよ』
『――了解、お姫様。最高の残業にしてやるよ』
甲板で待機していたF-35Bのエンジンが、鼓膜を裂くような爆音を上げて火を噴いた。
反撃の狼煙が、極東の夜空に高々と打ち上がった。




