表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一葉恋慕・大森編  作者: 多谷昇太
まとの蛍

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/16

お父上正義氏の眼差し以て

それをひねくれ根性で勘繰って、世の意向に沿うもの、などとした私の指摘は彼女にとってどれほどくやしいものだったろうか。こう考えていただきたい。小説「うもれ木」に於ける兄入江籟三を彼女の内の本地、すなわち銭金や権力になびかぬ、謂わば真善美こそとする境涯にそのまま置きかえてもらいたいのだ。すればいまの一葉の立場は自明であろう。確かに彼女はいま兄入江頼三のために妾になるのだった。自分のためではない。しかし斯く云う私が見取った彼女に於ける理を世間はそうとは見まい。いや見れまい。単にやはり「自分のため」か、あるいは「生活に負けて」妾になるのだとぐらいにしか見ないだろう。しかしいずれにせよ、それへのくやしさと、またどうしても自分で自分をあざむくような、単に自らに詭弁を弄しているだけとも見てしまう、そのくやしさもあいまって、彼女はいま斯くも堪えがたいのだった。そのうっ屈のからくりが、他ならぬそのいとしいお蝶を前にすれば、私には実によくわかるということだ…。

 と、このとき目には見えないが我々二人のかたわらで何の為にか、いや誰の為にだろうか、人が泣いているような、何某か波動のようなものが伝わって来た。何とはなく私は、もし今この彼女の姿を彼女の父上、今は亡き樋口正義氏が見るならば、いったいどう思われるだろうかとふと思ったのだった。愛する妻を、また愛娘二人を、彼は心ならずも事業の失敗ゆえの貧窮の中に残して行かなければならなかった。はたしてそれはどれほど無念だったろうか。そして生計の煩わしさなど考えさせもしなかった、箱入り娘として人一倍可愛がっていた娘夏子(一葉の本名)の、今の生き行く苦労を見るならば、こちらもまた万端遣るかたあるまいと思われた。そのように想像するうちに突然胸がいっぱいになり、はからずも私の目に涙がにじみ出た。するとそれに呼応するかのように私を睨視していた一葉の目付きが変わり、そこにも切なげな、しかし愛しげでもある涙が浮かびあがる。一歩、二歩と私の方へ歩みかけたが逡巡して止まった。しかし『いいんだ。みんなわかっているよ。すべて許している』とでも云うような想念が私のうちに湧き起こって来、一葉に向かって私は鷹揚にうなずいていた。その途端「お父っあん!」と一言叫んで彼女は私の胸に飛び込んで来、そのまま堰を切ったように泣き出した。その背に手をまわして私は彼女を慰めるのだが「すまない、すまない」と侘び続ける声を、どこか胸の内で聞きながらのことであった…。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ご感想等ありましたらお寄せください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ