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空を映す海の色  作者: せおりめ
終章
105/105

 満開の、サクラの木から花びらが降り注いでいる。見上げると、青い空の中に淡くて薄い紅色が溶けていきそうだった。


「ふわー、綺麗だなあ……」


 私は花に見蕩れる乙女を演出しつつ、恐怖の毛虫にこんにちはされないよう、サクラの木から少し距離を開けておじさんたちを待っているところだ。

 卒業式が無事に終わった後、クラスでのお別れも済ませて、私は友達と涙を流しながらずっと仲良しでいようね、とかなんとか友情を確かめ合っていた。まあどうせ同じ中学へ進学するんだけれど。こういうのはその場のノリなんだから、細かいことは気にしない。

 おじさんたちはその間先生に挨拶してくるということで、じゃあ運動場入口のサクラ並木で待ち合わせしようと、一時解散したのだった。

 さっきまでは運動場と校舎の間に伸びる通路を抜けて、その先に開いている門から帰ろうとする親子連れが結構行き交っていた。それなのに、今は私以外人っ子一人いない。

 暖かい気温の中この景色を独り占めしているなんて、なんとも贅沢な話ではないの。

 などと悦に入っていると、突然、身体ごと吹き飛ばされてしまいそうな突風が吹き抜けていった。ザーッと木が揺れて擦れる音がする。

 うわっ、砂埃!

 運動場から、覚悟しろ! とばかりに霞みたいな砂が風に乗って襲撃してくる。これは制服が砂だらけになるぞと思いながらも、私はそれに背を向けて両腕で頭と顔を庇って目を瞑り、ついでに素早く息を吸い込んでピタッと止めた。鼻と口の中がジャリジャリになるのは遠慮したい。強風による抵抗に足を踏ん張りつつもしばらくその姿勢で堪え忍び、風が弱まったところで目を開ける。

 反射的に制服と、見えないけれど多分は髪をも真っ白にしている腹立たしい砂を払いながらも、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。


「花吹雪……」


 はらはらはらはら、これでもかとばかりに花びらが落ちてくる。遠くへ飛んでいく。学校の敷地を埋めてやろうという勢いで。凄いな、サクラ。そのままどこへでも旅行に行けそうだ。でも今日一日で禿げてしまいそうだな、と余計な心配までしてしまった。

 短くない間その光景を見守ってから、まあそれはともかく、と私は首を巡らせた。花はとっても綺麗で目の保養になるんだけれど、私の場合は花より団子。かなりいい具合にお腹が空いている。か弱い少女がたった一人で心細げに佇んでいるのに、皆何しているんだろう。まだなのかな? せめて、蒼兄ちゃんだけでもさっさと来てくれればいいのに。

 景色を眺めることに飽きて退屈してしまった私は自分勝手なことを考えつつ、全くしょうがないなあと口を尖らせ、なんの気なしにうなじを撫でた。

 うん? 何、この感触?

 手の平に、細くて固い何かが当たったのだ。そのまま手探りして指で摘み、下へ下へと辿っていく。


「あれ? もしかしてペンダントか何か?」


 少し引っ張って見てみると、どうやら銀色の細かい鎖のようだった。服の下へと続いているらしく、辺りに人はいないしまあいいやとタイを緩めて第二ボタンまで外し、胸元を覗き込みつつ更に鎖を引っ張った。


「何コレ。可愛い!」


 出てきたのは花を象ったペンダントトップだった。楕円形の透明な石が全部で七つ。それぞれが一枚の花びらみたいだ。青、ピンク、黄色、紺碧、紅、薄紫、萌黄色。ちょっと角度が変わるだけでとんでもなくキラキラと光を反射している。

 でも……


「なんで?」


 私が持っている数少ないアクセサリの中に、こんなペンダントは無かったと断言できる。なんせ、本当にささやかなコレクションなのだ。手持ちの物は嫌でも全部覚えている。それなのに、どうして見覚えのないペンダントが私の首に掛かっているんだろう? 思わず、煌びやかな花を見ながら首を傾げてしまった。


「でも、なんとなーく懐かしい感じがするんだよねえ……」


 こんなの見たことがないクセに、触れていると心なしか安心するというか、物凄く馴染むというか。身につけているのが当たり前っていう気がする。

 いつの間にか首にぶら下がっていたなんて不気味な事この上ないとはいえ、どういうわけか嫌な感じは全然しなかった。

 だったら。


「どうせ、硝子だよね」


 これが本物の宝石とかで出来ているんだったらかなり不味いんだろうけれど、そんな物を私が持っているはずがない。硝子がこんな見事に輝くのかという些細な疑問はこの際無視しておく。誰にも言わなきゃ分かんないだろうし。

 そういうわけで、私はこのペンダントをネコババすることにした。いやいや、ネコババなんて人聞きの悪い。でも例えばこれをお巡りさんの所に持っていって、私の胸元をいつの間にか飾っていました。なんて報告したって、悪戯は止めて早く帰んなさいって追い返されるだけだろうし。それに、なんとなくこれは私の物だって気がするんだよなあ。や、都合のいい言い逃れとかじゃなくて。

 ま、なんにしろ。


「恐ろしいぐらい制服には合わない……」


 制服というのは、華美な装飾を受けつけないように出来ているらしい。どうせ誰かに見せるつもりはないんだしね。

 私はうん、と一つ頷くと、ペンダントを元通りブラウスの中に隠し、ボタンをはめてタイも結び直した。服の上から胸元をポンポンと叩く。これでよし。


「桜ぁ!」


 私の名前。

 突然聞こえてきた声に、ドクン、と心臓が大きく鳴った。それと同時に、胸を金槌か何かで殴られたみたいに息が詰まった。

 花の『サクラ』じゃなくて私の名前だよね、と自分自身に確認する。さっきのは、本当の声?

 って私、何を幻聴じゃないかって怯えているんだ?

 そう不思議に思いつつも、私を呼ぶ声の方へ恐る恐る首を巡らせた。向こうから、零れる桜の中を歩いてくる。私に向けて手をひらひらと振りながら。

 本物だ。そう確認して、今度は身体ごと向き直った。

 さっき会ったばかりだ。待ち合わせしようって決めて別れてから三十分くらいしか経っていない。それなのに。そのハズなのに。なんだこれ。

 なんでこんなに――嬉しいの?


「蒼兄ちゃん……」


 ほとんど口を動かさずに小さく呟いてみる。向こうはやけに余裕の足取りで歩いているから、近付くスピードはあくまでゆっくり。ええい、もどかしい。

 じゃあ自分から行けばいいのに、足は地面へ根っこが生えたみたいに動こうとしなかった。私の方から行くんじゃなくて、蒼兄ちゃんの方から迎えにきてほしい。なんていう甘えた考えがあったのかも。

 なんだか、鼻の奥に、更にその奥を刺激する熱が集まってきた。喉も何かに押されているみたい。きっと、目がじんわり濡れてきたのはその痛みのせいだ。

 だって、苦しいんだもの。目も、鼻も、喉も、胸も、お腹の奥も、全部、全部!


「蒼兄ちゃん! 蒼兄ちゃん!!」


 堪えきれなくて、裏声混じりに叫んでしまった。不覚だ。これじゃあ、迷子になって保護者を見た途端に安心した子供みたいだ。どうして私を一人にしたのって。腹が立って、やるせなくて、不安感を相手にぶつけて受け止めてもらわなきゃ気がすまない。わがままだ。

 蒼兄ちゃんは私の様子が変だと気付いたのか、一瞬だけ足を止め、それから急いで走ってきてくれた。グレーで三つボタンのジャケットに同色のズボン。新学期から通う高校の制服。上に乗っている顔は全体的に色素が薄くて造作も整っている方だ。蒼兄ちゃんは制服を着ていくのは嫌だって言っていたけれど、おじさんたちに押しきられたらしい。

 腰の横で拳を握り締め、足を踏ん張って立っているという、仁王立ちの姿勢で涙を流してヒクつきながら自分を睨みつけている妹に、蒼兄ちゃんはぎょっとしたみたいだった。


「お前、何泣いてんの?」


 ズボンのポケットに両手を突っ込み、少し身を屈めながら訊いてくる。私は口をへの字に引き結び、目を見開いたガン付け状態のままでブンブン首を左右に振った。意訳は『なんでもない』だ。

 それなのに眉をひそめた蒼兄ちゃんは尚も言ってくる。


「首振ってるだけじゃ分かんないだろうが」


 ええい、ニブチンめ。なんでもないと言っているのがどうして分からない! 鈍感な男はもてないぞ。もてているみたいだけれど……


「最後に、誰かに苛められたのか?」


 違う。そんな子いなかった。またもやブンブン。


「友達と別れるのが寂しいとか?」


 それは確かに寂しいけど泣くほどじゃない。仲の良い子は同じ中学だし。だからブンブン。

 首を振るだけの私に業を煮やしたのか、蒼兄ちゃんがちょっと苛ついたように口調を強くする。


「なんなんだよ、ったく。大体、なんで俺を睨むんだ。何かしたか?」


 そんなこと言われたって、こうして気合いを入れとかないと馬鹿みたいに泣きわめいてしまいそうなんだもの。女心をちょっとは理解しなさい! 私は喉元まで出かかっている激情の塊を必死で抑え込みつつ、心中で蒼兄ちゃんに盛大な文句を垂れて、ちょっとでも強気を保とうとした。


「ほら、ちゃんとわけを言ってみろって」


 そう言った蒼兄ちゃんが取ったのは、何気ない行動だった。泣いている子を慰める、当たり前の仕草。ズボンから片手を抜き、私の頭に軽く手を置いてフワリと撫でる。髪を通して伝わってくる重さ、体温。

 胸に、何かが灯った。それに押し出されるようにして、ついに堪えていたものが顔中から溢れてしまった。目からは止めどない涙。鼻からは啜るのが追いつかない鼻水。口からはデカいわめき声。


「お、おいっ?」


 蒼兄ちゃんの声が戸惑いと焦りを抱いた。

 そりゃあさぞかし驚いたことだろう。慰めようとした途端に顔面崩壊! といった勢いで派手に泣き始めてしまったんだから。でも誰在ろう、私が一番ビックリしているのだ。どうしてこんなに涙を流しながらも、幸せだと思えるのか。

 会いたかった。凄く会いたかったんだよ、蒼兄ちゃん。


「ああもう、分かったよ。こうなりゃ思う存分泣け!」


 蒼兄ちゃんは私の喚き声に負けないようヤケクソめいた声を張り上げると、えぐえぐと嗚咽を漏らしている私の手に水色のハンカチを渡した。前にもこうして誰かが、泣いている私にハンカチを差し出してくれたような気がする。といっても私の場合はよく泣くから、覚えがあって当たり前という気もするんだけれど。

 これってデジャヴってやつ? 頭の片隅で感じ入りながら私は、水色の布を顔に押しつけて濡らした。蒼兄ちゃんが「制服汚すなよ」と涙と鼻水でグチャグチャになる未来を諦観しているような台詞を吐く。同時に、片腕で私の頭を抱き込むようにしてくれた。

 そして私は蒼兄ちゃんの期待に応えるべく、わざとハンカチを外して目の前にある新しいグレーの制服に沢山のシミを作ってやったのだった。



「それで? なんで泣いてたんだ」


 あの後しばらくして泣き止んだ私は、蒼兄ちゃんと一緒に運動場と校舎の間を連れだって歩いている。おじさんたちは校門の所で待っているんだって。


「なんでもないよーだ」


 私はそっぽを向いて誤魔化した。あれが蒼兄ちゃんに会えた嬉し涙だなんて言ったら、どんな風に増長されるか分かったもんじゃない。大好きなお兄様のためにあれしろこれしろと、鬼の首を取ったように命令しまくるに決まっているじゃないか。


「へー。まあ、桜の泣きベソは今に始まったことじゃないけどな。もうすぐ中学生のお姉ちゃんがそんなんでいいのかあ?」

「うるさい! 蒼兄ちゃんのイジワル!」


 ムカツク! どうして蒼兄ちゃんなんかに喜びを感じてしまったのか。数分前の錯乱した自分を呪ってやりたい。

 とりあえずは、顔を蒼兄ちゃんの方に戻してべーっと舌を出してやる。それを確認した蒼兄ちゃんは、やけに不吉さを感じさせる、それでいて綺麗な笑顔を私に向けた。多分、知らない女の子が見たらノックアウトされると思う。


「おっ、尊敬するお兄様にいい態度取ってるじゃないか。これはおしおきが必要だな」

「そのおしおきって言葉、なんか怪しい響きに聞こえるよ?」


 お嬢ちゃん、アメあげるからおじさんについておいでって類の。さりげなく足を横へずらしながら蒼兄ちゃんと距離を置きつつ、一応抵抗の姿勢を表してみる。

 でもそれより蒼兄ちゃんの方が素早かった。


「アホか。十年早い」

「暴力反対! 暴君! 変態!」


 ひ、酷過ぎる……。鬼だ!

 十年も経ったら今の蒼兄ちゃんより年上になっちゃうじゃないか、とか余計なことを考えながら逃れるためにダッシュしようとした私は、健闘虚しく捕まり、くすぐりの刑に処されてしまったのだ。

 くそお、今度絶対、蒼兄ちゃんが寝ている間にマジックで顔へ落書きしてやる!


「ところでお前――」


 笑い死にするところだった私が膝に手を当ててゼーハーと息を整えながら、不穏なことを考えている最中に声をかけられたもんだから、一瞬ビクリと肩が揺れてしまった。

 はぐらかすために、何!? と勢いよく相づちを返す。そんな私の内心に気付いているのかいないのか、さっきまで私に地獄の苦しみを与えていた手を再びポケットに納めた蒼兄ちゃんは、少し改まった口調で言葉を続けた。


「名字をどっちにするか、もう決めたか?」


 思ってもみなかったことを問われ、目をパチパチと瞬いてしまった。そういえば、答えを保留したままだった。確かに、もういい加減決めた方がいいんだけれど。

 うん……、と曖昧な答えを返そうとした私は、次いで出てきた自分の声に意表を衝かれてしまった。


「――藤枝にする」


 やけにキッパリ。昔から思い定めていたみたいに。あれ、私? 

 んん、でも。身体の中から発されたその言葉が一度外に出て耳からまた入り、血の巡りと一緒に隅々に渡ってストンと腑に落ちた。

 うん、藤枝がいい。とっても大切な名前。私は、『藤枝桜』だ。

 私は蒼兄ちゃんにそう決意を込めて笑いかけた。

 蒼兄ちゃんは少しだけ呆けたような顔をしながらも、その意味を汲んでくれたのか、了解の微笑を返してくれた。


「そうか。ま、お前が決めたんならそれでいいんじゃないのか? 桜がウチの家族だってことに変わりはないんだしな」

「うん。ありがとう、蒼兄ちゃん」

「素直じゃないか。雨でも降るのか?」


 私は何時でも素直です! わざとらしく天を仰ぎ、架空の雨を受けるかのように両手を広げるその仕草を見て、私は蒼兄ちゃんの頭を叩きたくなった。今ならその行為も全人類から許されるに違いない!


「おっ、父さんたちだ」


 ふっと進行方向を向いた蒼兄ちゃんの視線を追うと、茶色の柵のような校門が見えた。観音開きの門は片方だけが閉ざされて、その外側にはこちらに裏を見せて『卒業式』の立て札が寄り掛かっている。おじさんとおばさんはそういった景色を背景にして立っていた。

 私たちに気付いたようで、おじさんが手を大きく振っている。私は思いっきり大きな声で呼びかけた。


「おじさん! おばさん!」


 ああ、また胸に何かが灯る。少しだけ切なくて、ほんわり温かい。その何かに励まされるように、私はおじさんたちに向けて駆け出した。

 家に帰ったら二人に、さっき蒼兄ちゃんに教えたみたいに藤枝でいたいって伝えよう。

 それからちょっと勇気が要るけれど、思い切ってお父さん、お母さんって呼んでみよう。

 二人共喜んでくれるよね。大丈夫だよね。ううう、今から緊張する! 不思議。これで姓が完全に佐伯とは違ってしまうのに、逆に皆をもっと身近に感じるだなんて。

 でもでも、今はそれよりも何よりも。やっと、やっとでおじさんたちと一緒にご飯を食べにいけるんだ。

 家族と一緒に。

 ん? やっと? 私ってば朝からそんなに楽しみにしていたんだろうか?

 それは余りに食いしんぼすぎるだろうと虚しい自分にツッコミつつ、お腹も空いているんだからまあいいかと見て見ぬふりをしておく。


「ほら、蒼兄ちゃんも早く行こう!」


 走りながらも、振り向いて少し距離が開いてしまった蒼兄ちゃんに呼びかけた。分かったからとっとと行けと言わんばかりにシッシッと手振りで示される。全くもう!

 むくれた様子を作りながらもまた前を向いた。


 目の前には笑っているおじさんとおばさんと。

 そして私やどこまでも行き渡る景色を全て包み込むようにして、青い、青い空が広がっていた。




  完


 最後まで読んでくださってありがとうございました!

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