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怪異戦線 異常あり!  作者: のら


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黄泉誘いの名を騙るもの

 第捌話 黄泉誘いの名を騙るもの


 悲鳴とも、笑い声ともつかない、不気味な振動が地下ホームに響いた。


 がたん。

 がたん。

 ごとん。

 ごとん。


 車輪が鳴っている。

 止まっているはずなのに、電車はまだ走っているような音を立てていた。


 開いた扉の向こうに、車内が見える。

 蛍光灯は赤く明滅していた。

 つり革が、誰も触れていないのに揺れている。

 座席には、青白い影が並んでいた。

 乗客。

 存在を塗りつぶされた、かつて人だったもの。

 テレビ画面の砂嵐で覆われたような顔が、いっせいにこちらを見る。


 口が動く。はっきりと見えないのに、イメージが流れ込む。


 帰りたい。

 帰れない。

 乗れ。

 乗るな。

 まだ間に合う。

 もう遅い。


 声が、陽向の頭の中に流れ込んできた。


 イザナは笑っていた。

 けれど、その笑みはギャル怪異の軽い笑みではなかった。


「いいよ、ウチの本気見せてあげるよ」


 イザナが一歩、前に出た。


 その瞬間、ホームの空気が変わった。

 黒い鳥居が、イザナの背後に浮かぶ。


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 それは、空間そのものに、黒く焼きついたように現れた。


 イザナの紅い毛先が、ふわりと浮く。

 金色の瞳が、燃えるよりも深い紅に染まっていく。


『名を聞け』


 イザナが言った。

 制御術式環が、ちりっと小さく光を散らす。

 ホームにいる全員が、その声に身を固めた。

 第一部隊も。

 陽向も。

 窓の向こうの亡者たちも。


『我が名はイザナ』


 空気が凍る。

 縛り付けるような圧が空間を支配する。


 迅の足が止まった。

 烈火の拳も、構えたまま動けない。

 凛道の銃口が僅かに震える。

 紫苑の影でさえ、床に縫いつけられたように揺れを止めた。


 その異常は人間だけではなく、怪異にとっても同じだった。

 赤い水溜まりから伸びていた無数の手が、一斉に引いた。

 水面に浮かんだ顔たちは、泣くことも、喚くことも忘れたように、ただイザナに視線を縫い止められていた。


 黒い電車の窓に張りついていた亡者たちも、動きを止めた。

 車内のつり革だけが、かすかに揺れている。


「な、名乗りだけやぞ!? なんちゅう圧や、アイツ……!」


 迅が、笑うことも忘れた声で呟いた。

 朱音は刀の柄を握りしめたまま、静かに息を吐く。


「これが、未分類怪異第零号……イザナ」


 その声には、恐れと納得が混じっていた。

 その場の誰もが、イザナの名に押し潰されかけていた。


 ただ一人、陽向だけを除いて。


 陽向は、呆然とイザナの背中を見ていた。

 封印室の時と同じく、怖いとは思わなかった。

 ただ、すごいと思った。

 やっぱりイザナは、すごい怪異なんだと。


 その感覚が、ほかの隊員たちとまるで違っていることに、陽向自身はまだ気づいていなかった。


『我は黄泉へ誘う、死の怪異』


 それは千年の奥底から響くような、古い声だった。


 陽向は息を呑んだ。

 イザナの横顔が、知らない怪異のものに見えた。


 怖い。

 でも。

 綺麗だと思ってしまった。


『黄泉誘いの名を騙るなら……』


 イザナが、黒い電車を睨む。


『悔いと共に、我の前に跪け』


 イザナは右手を、胸の高さまで静かに上げた。

 伏せた手の甲を、黒い電車へ向ける。


 ただ、それだけだった。


 だが、赤い水溜まりから伸びていた無数の手が、一斉に震えだす。

 低級怪異はその圧に耐えることすらできず、連鎖的に弾け飛び、黒い霧となって消える。

 電車は耳を切り裂くような甲高い金属音の悲鳴を上げ、車内の乗客たちは怨嗟の叫びを上げる。


 陽向は、息を呑んだ。

 黄泉そのものが、イザナに従っている。

 人も怪異も、イザナの名乗りの前にただひれ伏すしかないように思えた。


 陽向の足首が自由になる。

 女子高生とスーツ姿の男性を引っ張る力も、ふっと弱まった。


「今!」


 朱音の声が飛ぶ。


「迅、烈火、救助者、確保!」


「はいよ!」


「任せろ!」


 難波迅が風のように走った。

 烈火が床を蹴る。

 二人は陽向の横を抜け、女子高生と男性を抱えるようにしてホームの奥へ引き戻す。


「新人ちゃんも離脱や!」


「は、はいッ!」


 陽向は女子高生の手を握り直した。

 その手はまだ冷たい。

 けれど、さっきより少しだけ人間の温度が戻っている気がした。


「大丈夫。まだ帰れます!」


 女子高生の唇が、かすかに動いた。


「……ほんとに?」


「うん、あの電車には、絶対に乗せないから!」


 陽向は必死に笑った。


 その時だった。

 黒い電車の中から、ぬらりと、影が現れた。


 顔はない。

 帽子をかぶり、古い制服を着ている。

 けれど首が異様に長く、腕が膝の下まで垂れている。

 片手には、錆びた改札鋏。

 それはまるで、車掌だった。


 かちん、かちん、と音を鳴らしながら近づいてくる。


『乗車時刻です』


 頭に直接、響く声。


『お客様は、すでに切符をお持ちです』


 車掌の影が鋏を鳴らすと、女子高生と男性の胸元に、黒い切符のようなものが浮かび上がった。

 切符は二人の魂から剥がれるように浮き、頭上でぴたりと固定される。


 赤い文字が、ゆらゆらと揺れていた。


『片道』。


『黄泉行き』。


「切符……?」


 陽向が呟いた瞬間、女子高生の体がまた電車へ引っ張られた。


「きゃっ!」


「離しません!」


 陽向は両手で女子高生の腕を掴む。

 だが、引く力が強い。

 足元の白線が、赤く光った。


 ――境界線。

 その内側に立つ者を、乗客として認識する線。


「天野さん、下がりなはれ!」


 朱音の声。


「でも、この子がッ!」


 陽向が叫ぶ。


 ずるずると女子高生は電車へと引き寄せられる。

 黒い切符が、魂ごと引っ張っていた。


「イザナッ!」


「分かってる!」


 イザナが踏み込む。


 黒い爪が、女子高生の切符を裂こうとした。

 その瞬間、車掌の影が鋏を鳴らした。


 かちん。


 イザナの爪が、空中で止まる。


「――ッ!?」


 イザナの表情が歪んだ。


 制御術式環が、激しく光る。

 久我の声が通信機から響いた。


『イザナの出力上昇。第三制限に到達した。天野陽向、下がりなさい』


「チッ、こんな時にッ!」


 イザナが舌打ちをした。


「下がれって言われても!」


 陽向の胸が痛む。

 さっきよりも強く、魂の端が引かれている。

 イザナが強く力を出そうとするたびに、自分の内側から何かが削れていく。

 それが分かる。

 だからこその第三制限の意味を、陽向は理解できた。


『対象怪異、切符型の魂拘束を使用。終電さん本体、または中核端末と推定』


 久我の声は冷静だった。


『第一部隊。救助対象の切符を破壊してください。ただしイザナの出力はなるべく抑えて運用すること』


「な、難易度が高すぎます!」


「ヒナ」


 イザナが低く言った。


「ウチが切る」


「でも、これ以上、出力できないでしょ!」


「こんな首輪、ちょちょいと、ぶっ壊しちゃえばいいじゃん」


 イザナは、忌々しげに自分の首元の術式環を指差した。


「はぁ!?何言ってんのッ!」


 陽向は叫んだ。


「それで削れるの私の魂じゃん!」


 イザナが、目を見開いた。

 ほんの一瞬だけ。

 その顔は、叱られた子どもみたいに見えた。


「……そっか」


 イザナが爪を引いた。


「じゃあ、雑に使えないじゃん」


 イザナは、少しだけ笑った。

 いつもの軽い笑みではない。

 困ったような、変な顔だった。


「むずー」


「何が!」


「誰かの魂、大事にするの」


 その言葉に、陽向は一瞬だけ息を止めた。

 けれど、考えている暇はなかった。


 車掌の影が、また鋏を鳴らす。


『発車時刻です』

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