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怪異戦線 異常あり!  作者: のら


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本物が出迎えに行ってあげる

 

 影走りが煙のように消え、通路に一瞬だけ静けさが戻った。


 イザナは、陽向の隣で頬を膨らませていた。


「ヒナのケチ!」


「ケ、ケチ!?」


 唐突な言葉に、陽向は面食らった。


「ウチの出番無しで終わったんだけどッ!」


「ちょ、ちょ、その出番をわたしは寿命で買うんだよ!?」


「えー、それ言われると、ちょい重ー」


 迅が笑う。


「新人ちゃん、初手でちょっと学んだな」


 朱音も小さく頷いた。


「今のは正解どす」


「ですよね! ありがとうございます!」


「場面を冷静に判断して、必要な方法で処理する。なによりも覚えておきなはれ」


「はい!」


「元気な返事でよろしいわ」


「上ッ!」


 その時、凛道の声が低く響き渡ると同時に銃撃音が一発響いた。


 全員が動いた。烈火が瞬時に陽向の前に立つ。

 天井から、痩せ細った子供のような影が落ちてくる。

 腹は空洞で、目はなく、口だけが大きい。


『餓魂』。


 新人教育で見た、人間の魂を齧る下級怪異だ。


「やけに多いな」


 凛道が呟く。


 天井に十数体の餓魂が張りついていた。

 さらに奥からも獣のような声が聞こえる。

 その口が、一斉に開く。


「たりない」

「たましい、たりない」

「あたたかい、ちょうだい」


 陽向の肌が粟立った。

 助けを求める子供の声に聞こえてしまった。


「天野さん!」


 動揺している陽向に気付いた朱音が、声を張った。


「怪異の悪戯に惑わされない!」


「は、はい!」


「怪異は人の弱い部分を突いてきはる。常に冷静に対処しなはれ」


 そう言った朱音が、音もなく刀を振る。


 紫の火が、空中に線を引いた。

 落ちてきた餓魂の一体が、呪いの声ごと斬られて消える。


 同時に、烈火が前に出た。


「まとめて来い!」


 赤黒い籠手が、鈍く光る。

 烈火の背後に、巨大な赤鬼の影が立ち上がった。


「鬼腕!」


 拳が振り抜かれ、圧縮された空気が爆ぜる。

 餓魂の群れが、赤鬼の拳を受けて、まとめて壁に叩きつけられた。

 コンクリートが割れ、黒い煙が舞う。


「すごい……!」


「見とけ陽向! これが殴るということだ!」


 烈火が笑う。


 そこへ、通路の奥からさらに餓魂が湧いた。

 壁のひび割れ、天井の隙間、古い広告ポスターの裏から。

 数が多い。


「凛道さん!」


 朱音の言葉に凛道が即座に返す。


「――見えている」


 凛道がアサルトライフルから、狙撃銃に持ち替え、瞬時に構えた。

 背後の八尺様が凛道を目隠しすると、ゆらりと首を傾げる。


『――ぽ。』


 その声と同時に、鋭い銃声が響き渡る。

 押し出された弾丸は通路をまっすぐ抜け、行き止まりへと差し掛かる寸前に、九十度に曲がり、右奥の壁の向こうに隠れていた餓魂の核を撃ち抜く。

 黒い煙が、壁越しに吹き出した。


「曲がった!?」


「八尺様の視界だ」


 凛道は短く言った。


「見えた場所ならば、必ず届く」


 迅が裂き、烈火が潰す。

 凛道が核を抜き、朱音が呪詛を断つ。

 紫苑は餓魂の背後に回り、音もなく仕留める。


 違う動きが、ひとつの隊として噛み合っていた。


 陽向はその中で、必死に立っていた。

 何かをしなければと思う。でも、何をすればいいか分からない。

 前に出ても、下がりすぎても邪魔になる。

 イザナの力を借りれば、きっと何かできる。

 でも、そのたびに削れる。


 見極める。

 いつ借りて、いつ借りないか。

 それが今の陽向には、とても難しかった。


 その時、通路のさらに奥から、泣き声が聞こえた。


『いや……いやだ……帰りたい……』


 人間の声だった。

 陽向は顔を向けた。


「今の、聞こえましたか!?」


 迅が餓魂に応戦しながら答える。


「聞こえた!奥や!」


「生存者ですか?」


 凛道が目を細める。


「人影、二。微動だにしない」


 朱音が指示を飛ばす。


「罠の可能性も考慮! 紫苑は先行、生存者なら確保!」


「……了解」


 紫苑が影に溶け込むように消える。

 朱音の視線が、迅と烈火へ移る。


「迅は道を斬り開き、烈火はそれに続け!」


「了解!」


「任せろ!」


 朱音は陽向へ向き直る。


「天野さん、あなたはうちの横。イザナは許可出るまで何もしたらあかんよ」


「はい!」


「ほーい」


 その横顔を見て、陽向は気づく。

 イザナはふざけているようで、誰よりも深くこの場所を見ている。


「イザナ」


「んー?」


 横目で陽向を見る。


「本当に危なくなったら、力を貸して」


 陽向の言葉にイザナが、少しだけ笑った。


「……もちろんいいよ」


 その声は、珍しく静かだった。

 静かなだけに、それがかえって恐ろしくも感じた。


 餓魂の群れを抜けると、古い駅のホームに出た。

 ひび割れた床。剥がれた白線。

 使われなくなった時刻表と、色褪せた旧桜町線の路線図だけが残っている。

 電源はとうに通っていないはずの電光掲示板に、赤黒い文字が浮かんでいた。


『黄泉行き』。


 ホームの奥に、二人の人間がいた。

 一人はスーツ姿の三十代の男性。

 もう一人は制服姿の女子高生。

 どちらも、ぼんやりと線路の方を見ている。


「いた!」


 陽向が駆け出そうとした。


「待って」


 低い声がした。

 紫苑だった。

 生存者たちの手前まで先行していた彼が、赤い水溜まりの前で立ち止まっている。


「紫苑先輩……?」


 紫苑は答えず、足元を指差した。

 生存者たちとの間を遮るように、ホームの床に赤い水溜まりが広がっていた。


「なに、これ……」


 水面に、人の顔が映っている。

 苦悶に歪んだ顔が、何人も、何十人も、こちらを見上げていた。


 助けて。

 かえりたい。

 のせて。

 のせないで。


 声が、頭の中に直接流れ込んでくる。

 陽向は息を止めた。


「死人溜まり。踏めば、魂を引かれます」


 朱音が静かに言った。


「じゃあ、どうやって……」


「通れへんなら、道を作る。紫苑ッ!」


「了解……」


 紫苑が床に手を当てた。

 小さく呪詛を呟くと、彼の足元の影が、すぅっと伸びる。


 その影は、赤い水溜まりの上を細い橋のように渡った。


「短時間なら」


 紫苑が朱音たちを見上げる。

 朱音は迷わず、影の橋に足を踏み出した。

 迅と烈火が先に渡り、凛道は橋の手前で後方を警戒する。

 陽向は息を呑み、影の橋に足を乗せた。


「紫苑先輩、すごい」


「……急いで。まとめて掴まれたら、もたないから」


 陽向は頷き、影の橋に足を乗せた。


 冷たい。

 足裏から、何かに引きずり込まれるような感覚がある。

 でも、紫苑の影がそれを押さえている。


「ヒナは、下見ない方がいいよ」


「もう見ちゃった……えッ!?」


 振り返った陽向が見たもの。


 そこには、赤い水溜まりの上を、気にせず歩くイザナがいた。


「ちょ、ちょっとイザナ! あんた、どこ歩いてんのよ!?」


「へ? 水溜まりの上だけど?」


 よく見ると、イザナの足は水面の数ミリ上を歩いていた。

 その下で、水面の顔たちは、イザナの足を恐れるように離れていく。


「ヒナは降りちゃダメだからね。どすえ先輩の背中見ときな」


 イザナは眉間に皺を寄せ、ビシッと陽向を指さした。


「降りれるかいッ!」


 陽向のツッコミが暗いホームに響いた。


 ◇


 陽向たちは、ホーム奥へと向かった。


 スーツ姿の男性は、虚ろな目で呟いていた。


「終電……乗らないと……帰らないと……」


 女子高生も同じように、線路を見ている。


「怒られる……帰らなきゃ……」


 陽向は二人の前に回り込んだ。


「助けに来ました! 二人とも、こっちへ来てください!」


 しかし、二人は人形のように線路を見つめたまま、反応しない。


「ヒナ。こいつら、魂が半分持ってかれてるね」


 イザナが目を細める。


「まだ間に合う!?」


「どうかな? ヒナが間に合わせたいなら、間に合うんじゃない?」


「なにそれ!? 雑すぎ!」


『帰りたい』


 その言葉が、陽向の頭の中で反響した。


『帰れない』

『終電を逃した』

『家に帰らなきゃ』

『怒られる』

『もう帰れない』


 陽向は、女子高生の手を掴んだ。

 氷のように冷たい。


「帰りましょう」


 陽向は言った。


「でも、帰り方は、あの電車に乗ることじゃありません!」


 女子高生の指が、わずかに動く。

 陽向は続ける。


「まだ帰れます。こっちです。私たちが必ず連れて帰りますから!」


 その時。

 線路の奥に、赤い光が二つ浮かんだ。

 目のようだった。

 電車の前照灯だと気づくまで、陽向はそれを生き物だと思った。


 がたん。

 ごとん。

 がたん。

 ごとん。


 電車の音が近づく。


 ホームのアナウンスが鳴った。


『まもなく、黄泉行きが参ります』


 陽向の背筋が凍る。

 イザナの目が、鋭く細められた。


『白線の内側にお入りください』


 闇の向こうから、黒い電車が現れた。

 見たこともない古い車体。

 ぼんやり照らされた車内には、無数の人々が俯いて座っている。


 車体側面の行き先表示には、『黄泉』。

 赤い文字が、不気味に明滅していた。


 女子高生と男性が、ふらりと線路側へ歩き出す。


「だめ!」


 陽向が引き止める。

 しかし、二人の力は異様に強い。


「――ッ!」


 足首に、ぬるりと冷たいものが絡みついた。

 陽向は、息を呑んで下を見た。


 いつの間にか、赤い水溜まりが陽向の足元にまで伸び、無数の手が足首を掴んでいた。


 冷たい。

 魂が、下へ引かれる。

 意識が遠のきそうになる。

 そう思った刹那、イザナが、低く言った。


「ヒナ」


 振り向くと、金色の瞳を鋭く光らせたイザナが、陽向を見据えていた。


「そろそろ、ウチのこと頼んなよ」


 黒い爪が伸びる。

 制御術式環が、青白く光る。


 陽向は息を呑んだ。


 ここで借りるのか。

 自分の魂を削ってでも、この二人を助けるのか。


 考える時間はなかった。

 電車の扉は今にも開きそうだ。

 ホームに、冷たい風が吹く。


 陽向は、イザナを見た。


「……イザナ」


「うん」


「……力を貸してください」


 イザナが笑った。

 けれど、その笑みはもう、ギャル怪異の軽い笑みではなかった。


「いいよ、ウチの本気見せてあげるよ」


 その声は、千年の奥から響くように低かった。


「黄泉誘いの名を騙るなら……」


 イザナの背後に、黒い鳥居がひとつ浮かぶ。

 赤い水溜まりが震えた。

 電車の窓の向こう側の亡者たちが、いっせいにイザナを見る。


「本物が出迎えに行ってあげるよ」


 その瞬間。

 黒い電車が激しく震え出した。

 悲鳴とも、笑い声ともつかない、不気味な振動が地下ホームに響いた。



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