勝手に切ってんじゃねぇよ
黒い電車の扉が、ゆっくり閉まり始めた。
女子高生の体が、さらに強く引っ張られる。
「烈火!」
朱音が叫ぶ。
「押さえます!」
烈火が女子高生と男性の前に立ち、巨大な籠手で床を叩いた。
「鬼鎧!」
赤鬼の影が膨れ上がり、烈火の体を覆う。
彼女は電車を背に、二人を両手で包み込むように受け止め、踏ん張った。
床が割れる。
烈火の足が、コンクリートにめり込む。
「うおおおおおっ!」
黒い切符の引力と、烈火の怪力がぶつかる。
だが、電車の力は強い。烈火の体が、じりじりと後ろへ滑る。
「っ、重いな!」
迅が風をまとい、黒い切符へ斬りかかる。
「風刃!」
ダガーから飛んだ風の刃が、切符へ走る。だが、三回、火花を散らし、弾かれた。
「硬っ! 刃が通らんとか、どないなっとんねん!」
凛道の銃声が響く。
鈍色の符弾が車掌の影を撃ち抜き、影の肩が爆ぜる。だが、影はすぐに戻る。
「……こいつには核がない」
凛道が言った。
「つまり、車両全体かッ! 面倒どすな!」
朱音の刀に、紫の火が灯る。
「――なら、因縁を斬るまでッ!!」
朱音が一歩踏み込んだ。
その前に、床の赤い水溜まりが盛り上がった。
無数の手が、朱音の足を掴もうとする。
だが、影がそれを縫い止めた。
紫苑が赤い水溜まりの端で、黒い糸を操る。
「隊長、行って」
「おおきに!」
朱音が刀を振るう。
紫の斬撃が、黒い電車の扉へ走った。
扉に刻まれていた赤い文字が、一瞬だけ消える。
黄泉。
その文字が揺らいだ。
『不正乗車』
車掌の声が変わった。
『不正乗車。不正乗車。不正乗車』
電車の中の乗客たちが、一斉に立ち上がる。
顔。
顔。
顔。
窓に張りついていた亡者たちが、扉の隙間から溢れ出そうとしていた。
陽向は女子高生の手を握ったまま、その顔を見てしまう。
どの顔も、泣いていた。
怒っているのではない。
呪っているのでもない。
帰れなかった人たちだ。
終電に乗れなかった人。
家に帰りたかった人。
誰にも迎えに来てもらえなかった人。
その未練が、電車になった。
その寂しさが、黄泉へ繋がった。
「……この怪異」
陽向は呟いた。
「人を連れて行きたいんじゃない!」
「ヒナ?」
イザナが横を見る。
「自分が帰れないから、誰かを乗せようとしてる」
言葉にした瞬間、胸が痛んだ。
終電さんの中にあるものが、少しだけ見えた。
帰りたい。
帰れない。
誰かと一緒なら、寂しくない。
だから乗せる。
だから連れていく。
それは悪意だ。
でも、悪意だけではない。
「天野さん!」
朱音の声が飛ぶ。
「同情しすぎたら、持っていかれます!」
「分かってます!」
分かっている。
でも、見えてしまった。
見えたものを、見なかったことにできない。
陽向は女子高生の頭上に浮かぶ黒い切符を見た。
切符。
乗る資格。
黄泉へ行くための証。
でも、この子はまだ行くべき人じゃない。
陽向は切符を凝視した。
この切符を作っているものが、陽向には見えた気がした。
恐怖。
後悔。
焦り。
終電に乗れなかった悔い。
家に帰りたかった願い。
誰にも迎えに来てもらえなかった寂しさ。
その感情そのものが、複雑に絡み合って、一枚の切符になっている。
陽向には、そう見えた。
「イザナ!切るんじゃなくて、因縁の糸をほどける!?」
「できる。けど、ちょい細かい作業になる」
黒い爪先が、糸のように細くなる。
「魂、どれくらい焦げる?」
「……ちょっと」
陽向の顔がこわばった。
「……具体的に」
「寿命でいうと――」
「あーッ!やっぱり言わなくていい!」
陽向は即座に首を振った。
聞いたら、きっと手が止まる。
陽向は息を吸った。
「……やろう。助けるために」
イザナが笑った。
「了解、ヒナ」
イザナの爪が、今度は鋭く伸びなかった。
細く、糸のように変化する。
黒い爪先が、切符に触れる。
陽向の胸が、ちくりと痛んだ。
思わず息が漏れる。
黒い糸のような爪が、切符に絡みつく。
切るのではなく、ほどく。
黄泉へ向かう因縁を、一枚ずつ剥がしていく。
女子高生の体が震えた。
「……お母さん」
かすれた声。
「お母さん、怒ってるかな」
陽向は、女子高生の手を握る。
「それは心配してるからだと思うよ!」
「ほんと?」
「でも、たぶん怒られると思う」
「え……」
「でも、ちゃんと帰ることが大事!」
女子高生の目から、涙がこぼれた。
黒い切符に、ひびが入る。
イザナが手を動かしながら呟く。
「ヒナ、変なこと言うね」
「変?どこが?」
陽向はイザナを横目で見た。
「そこは完全に安心させるとこじゃないん?」
「帰ったら怒られるものは怒られるよ。でも、それが大事なんだと思う」
「んー、人間ってよく分かんないな」
黒い切符が、ぱきん、と割れた。
女子高生の体から、引く力が消える。
烈火がすぐに彼女を抱え上げた。
「一人確保!」
「次!」
陽向はスーツ姿の男性へ向かう。
だが、その前に車掌の影が鋏を鳴らした。
『発車時刻を過ぎています』
黒い電車の扉が、再び開いた。
今度は、内側から無数の手が伸びてくる。
亡者の手。
冷たい手。
帰れなかった者たちの手。
それらが一斉に、陽向へ向かった。
陽向は警棒を構える。
しかし、数が多すぎる。
「ヒナ!」
イザナが叫ぶ。
その声に被さるように、車掌の影が鋏を鳴らした。
かちん。
陽向の胸元に、黒い切符が浮かんだ。
「え……?」
それは魂から剥がれるように持ち上がり、陽向の頭上でぴたりと止まる。
そこに赤い文字が刻まれていく。
片道。
黄泉。
――まずい。
そう思った時には、もう遅かった。
足元の白線が光る。
亡者の手が、陽向の腕を掴む。
イザナも咄嗟に手を伸ばす。
朱音が叫ぶ。
迅が走る。
烈火が手を伸ばす。
凛道の銃声が響く。
紫苑の影が伸びる。
けれど、その全部より早く。
陽向の体は、黒い電車の中へ引き込まれた。
「ヒナァッ!!」
イザナの声が、ホームに響いた。
ガシュンッ……。
扉が閉まる。
窓の向こうで、陽向は倒れていた。
頭上の黒い切符が、赤く光っている。
車内アナウンスが流れた。
『ご乗車ありがとうございます』
ノイズ混じりの声が、笑っているように聞こえた。
『次は――黄泉』
ホームに残されたイザナの瞳が、紅く染まった。
「……ふざけんな」
首元の制御術式環が、悲鳴のような音を立てる。
「ウチの契約者に……」
黒い鳥居が、背後に何本も浮かぶ。
怒りに呼応するように髪の毛がふわりと逆立ち、毛先の色が紅蓮へと変わる。
イザナの声から、完全に軽さが消えた。
「勝手に切符、切ってんじゃねぇよ!」




